わがはじ!

めんどいオタクのブログ。

人は胃カメラ検査で性的に興奮できるのか

人が大人になる過程には、さまざまな禊(みそぎ)がある。何かしらの儀式と呼んでもいいだろう。例えば、セックスをし、童貞を捨てること。あるいは酒を飲むこと。社会人として働きだすこと。まぁ、つまるところ何でもいいのだけど、今日。僕は胃カメラを初めて飲んだ。きっとそれも、大人への儀式の一つなのだ。今日はそんな大したことない話題から、結局下ネタや特殊性癖に繋がっていく話をしたい。

 

 

前々から胃の調子が少し悪かった。どうも食べたものをうまく消化できない。なんだか量も食べられなくなった。翌日に酒がやけに残る。とにかく朝起きたら胃がもたれている。徐々に身体もアラウンドサーティ仕様になってきたということか。まぁ、これも摂理。生きてる上では仕方なしと思いしばらく放置していたものの、ちょっと無視できないレベルになってきて。胃薬あたりでごまかしてはいたのだけど、昨年母親も胃がんをやっていたこともあり、もうまどろっこしいので胃カメラを飲んで検査してもらうことにした。

 

これまで胃カメラ検査などしたことがない僕にとっては、ある種の大英断だった。なんだか周囲の諸先輩方の話を聞く限り「飲み込む瞬間がキツかった」「顔面から出る汁が全部でた」「ずっとお腹に何かいる感じがする」「いやな膨張感がしばらく残る」など、さながらシガニーウィーバー的状況を思わせる感想ばかりが出そろう。ただ、一部からは光明が。どうも「鼻から入れればマシ」という声も聞こえてきた。どうやら同じ胃カメラにしても「鼻から入れる細いタイプの胃カメラ」があることを知り、真剣にそちらであることを祈った。

 

そんな大人の階段を昇る直前の昨晩。21時から水を除く飲食を禁じられた中で徐々に緊張が高まる。不安を紛らわす為にも「明日、胃カメラ童貞を捨てる」と一言ツイートをしてみる。きっとそれを見たみんなは「どうしたの?」「体調でも崩したの?」「ストレス溜まってるんじゃない?」と心配してくれるだろう。と、僅かながらに期待した僕がバカだった。

 

「ついに食道オナニーという新しい性癖へ」

「触手責めに遭うという夢が叶いますね」

「凌辱されるヒロインみたいな気持ちで頑張ってください」

「直腸カメラじゃなくて残念ですね」

 

アホか。俺を何だと思ってるんだと。催眠音声ばかり聞いて現実的な感受性を完全に失ってしまった変態オタクとでも思っているのだろうか。文面にしてみたらほぼ正解なので黙るほかなくなった。結局、待てど暮らせど体調に関する心配リプライはゼロ。病院に胃カメラジャンルという新しい性癖を開きに行くというネタリプライばかりが集まり、なんだか今まで僕はどんな人生を送ってきてしまったのだろうと自分でも後悔し始める。

 

しかし。みんなの言う通り。胃カメラ検査を目の前に、自分の人生を後悔ばかりしていても仕方ない。もしかしたら、フォロワーさんたちの指摘はあながち間違っていないのかもしれない。新たな性の目覚めというか。最近、30前後となりマンネリ化してきた昨今の自慰事情において、新しい角度からの興奮を得られるかも、という一抹の期待感を持って病院に乗り込んだほうが建設的なのではないかと。今思えば、ほぼ錯乱していたのだろう。自分でもちょっと建設的の意味がまったくわからなくなりつつも、色んな意味でドキドキしながら当日を迎えた。

 

明朝。早速病院へ。しばらく待たされたのち、診察室に入る。いや、まだ口からの胃カメラと決まったわけじゃない。案外、検査としてはアッサリと終了するのかもしれない。先生を前にして、まるでクラス分け帽子をかぶらされたハリーポッターが「グリフィンドールがいい、グリフィンドールがいい」と呟くが如く「鼻からがいい、鼻からがいい、鼻からの細いヤツがいい」と内心で連呼する。

 

そんな僕に向かって「歯ブラシで歯を磨くときは、えずく方ですか?」と質問する先生。

 

この瞬間、シガニーウィーバーが確定。淡い期待感も砕かれ「あ、ええ・・・まぁ、そんなには。」と冷静に答える他なかった。ここからはもう開き直るしかない。オークに捕まった女騎士を自分に投影しながら、触手に凌辱される事を想像。エロ異世界的固有結界を脳内で作りだし、この状況下を楽しむしかない。まずは喉元を麻酔で麻痺させ、感覚を鈍化させる。そうしたら、ベッドに横向けになり、いよいよ管を飲み込む。結構太い・・・え、こんなものが身体に入っちゃうなんて・・・くっいっそ殺せ・・・ここまではいい展開。なんだか気持ちも昂ってきた。え、本当に興奮できちゃうんじゃないの?ちょっと舞い上がりながら、少し胸の鼓動を感じる。これは・・・そう思いつつ先生の「はい、じゃあうどん飲む感じでー」の声に従う。

 

まぁ、結果、ただただ本当にキツかったよね。性的興奮?するかボケ。という感じ。

 

もう、諸先輩の意見が正しかった。結局、僕はその時ただのシガニーウィーバーでしかなかった。顔から色んな汁出るわ、検査終わってもお腹の中になんかいた感じ残るわ、異世界は異世界だけど、確かに『エイリアン』の世界観だったわ。エロ女騎士なんて微塵も感じさせない苦痛だった。なんだか、今まで体験したことないタイプの仕打ちをうけたもんだから、なんだか少し大人になれた気がした。ちょっと苦めのコーヒーが昨日よりも美味しく感じた。

 

 

ただ、今回の胃カメラ検査の経験を終えてみて感じたこととして。僕は正直無理だったけど、この検査に性的興奮を覚える人は確実にいる。そんな確信が芽生えた。なんていうか、口からあんな管を通されるっていうこと自体に、凌辱感的な何かを得る人もきっといる気がする。僕が必死に思い込もうとしていたエロ妄想を、胃カメラ検査で実際にやってのけちゃう「達人」はきっとこの世の中にもいるんだろうなと思うと、世界がもっと広く感じた。

 

個人的に色んな友人がいる手前、様々なことに性癖を抱く人を見てきた。先日は、某フェミ系弁護士さんが「真空パックプレイなんて気持ち悪い!」と散々宣っていたけど、まぁ、結構いるんだよ。うん。

 

こんな僕でも過去に「え?それは・・・どこに興奮するの・・・?」って思う事も沢山聞いたし、見てきた。実際、自分の性癖をまともな友人に話すと「それはそもそもAVなの?」って聞かれたことも思い出した。結局、胃カメラ飲んだことよりも、それを興奮の材料にする人を想像して関心してしまっている。という次第である。

 

ちなみに胃の検査の結果は異常なし。但し、人より胃酸が多かったり、腸への出口が狭かったりと、胃がもたれやすい体質らしく、もう30近いんだからお酒も飯も摂生しなさいと怒られた。確かに食べ物には気を付けようと思う。油ものはダメだ。2~3日調子が悪くなる。

 

とか、ダラダラ書いてきて、何が言いたいのかいまいち分からないんだけど、少なくとも僕は胃カメラで興奮するタイプの人間ではなかったようです。そのご報告とともに、そういう人がいたら、面白そうなので同人誌で取材でもしてみたいなぁと思いました。

 

あなたが10秒黙れば世界はだいぶマシになる

今日はできるだけ短めに。ふと最近思っているネットでの発言だったり、そういうことについて愚痴まじりに。

 

ネット上において、多少なりともSNSを活用する人なら理解できるかと思うが、自分の発言を読む人に対して、その短い内容から「本意」や「文脈」を伝えるというのは案外骨が折れる仕事である。ある事象を皮肉っぽくいってみたところで、その真意が伝わるのは恐らく読む人の6~7割がいいところ。その発言が広範囲に広まってしまったのならば、残りの3割ほどの方々から非常に面倒なコメントを招く結果となる。

 

自分の発言の真意は、その批判してきている人と同じこと言ってるはずなのに、なんか、めっちゃ怒られてる。え、これどう弁解すればいいの。しかも、すげー権幕。話聞いてくれなさそう。なんていうか、文章の内容とか以前に、もうマウント取ることしか考えてないよね、この人。みたいな。そんな人災は各所で頻発している。彼らを心の中で「マウント族」と個人的に呼んでいるのだけど、とかく議論に勝ちたい人って古くはBBSや2ちゃんの頃からネットには跋扈していた。しかし、SNSがこれまでにないほど拡充した昨今では、その「マウント族」の数は圧倒的に飛躍し「炎上」という手法を持って、厄介な勢力となり始めている。彼らはどのように発生し、そしてどう対処したらいいのだろうか。

 

・便所スマホ文化

少し話題がそれるが、先日NHKのニュースでO-157が流行しているという話題に触れていた。暑い日が続くし、手洗いを励行するなどして食中毒には注意せねばならない。そこで思わぬ落とし穴があるとのこと。それはトイレでスマホを弄る行為だというのだ。要は、事をなしている間にスマホを触る。その後、手をしっかり洗っても、トイレ内でスマホを触ったことによって雑菌がスマホに残っているという。

 

なるほど。確かに言われてみれば。いや、その前に便所でスマホを触るのってやっぱしそんなにスタンダードな行為だったんだなと気づかされる。確かに小生も仕事が嫌になると会社のトイレにこもってスマホを弄る。エロ記事を読みそうになり、ちょっと頭の中で天使と悪魔が葛藤する。でも、みんなきっとそうなんだな・・・とか思うとこの国やっぱし病んでる気がしてくる。

 

そんなことはどうでもよくて、詰まるところスマホで文章を読む、SNSの発言を見るというのはそのくらいの時間内で行われる行為だということだ。トイレで用を為している間、待ち合わせの時間、電車のちょっとした移動、時々によるだろうが長くて5分、短くて1分くらいがスマホの文章と向かいあう時間だということだ。

 

そうなると、文章から得られる情報は嫌でも断片的になる。ニュース全体の意味合いから単語のみをピックアップし、そこから大まかな意訳を得たりする。それはそれで人間の素晴らしい特技なんだけど、大抵そういうことをすると情報を見誤る。お前ら、マスコミに対して「全文でなしに、一部を抜粋して意味合いを変えているじゃねえか、何が報〇ステーションだ!!偏向ステーションじゃねえか」と憤っているあれを、自ら遂行しているのだ。なんつーか、人間だもの。みたいな事案なのだけど、自分を棚に上げすぎだし、ブーメランが側頭部刺さって、血まみれですけどみたいな人って往々にしてツイッターで見かけたりする。

 

先日の真木よう子氏のCF事案の時も、なぜあそこまでの炎上事案につながったのかという話題が盛り上がった。その中でも、特にコミケという特異な文化や、それを支えてきたオタクの自意識、その点を見過ごした真木よう子企画サイドの失点など、懇切丁寧に解説してくれていた記事があった。「これは熱があるな・・・」と感心して読み進めていたところ、ラストのコメント欄に愕然とした。「長すぎる」「三行でまとめてほしい」「読む気が失せる」

 

こいつら、もう誰が悪いかとか、馬鹿だとか。一瞬でそういうのが欲しいだけなんだなと感じた。自分でも叩ける材料が欲しいだけ。わずか30秒足らずで得た情報で、マウントがとりたい。強気になりたい。そういう状況が昨今のネットのヤバさだと痛感する。

 

・とりあえずお前ら10秒黙ってろ

そこで提案したい。とりあえず「10秒黙れルール」。とかく何か記事を読む、画像を見る。そうした時に自分の感情をそのまま文章にたたきつけるのでなしに、10秒黙るのだ。例えばネトウヨの煽り記事があったとする。中国人や韓国人をあからさまにdisる記事を見た。なるほど、チュンチョンクソじゃねえかと2秒で食いつかない。ソースはどこ。いつの発言。この人の普段の発言の傾向はどういうったものか。もう何年も前から言われてるネットにおけるリテラシーの基本のきである。

 

ただ、ソースをわざわざ探すというのも骨が折れる。だからこそ、10秒黙れ。なのだ。心をいったんフラットに持っていく。なんか煽情的な情報に対して「そうだ!!おかしいじゃねえか!!」と即沸騰しない。拡散もしない。まずこの発言をしている人の本意を伺う。少しだけ我慢をする。僕のこの発言でさえじっくりと吟味をする。その上でなら「クソじゃねえか」と思ってくれて何も問題ない。

 

大抵、本ブログでコメントをくれる人の中でも、やけに叩いてくる人って、ほぼ最後まで読んでない。触れてくる論旨が「起承」で終わってる。もうー、頑張ってそこから転んで、結論だすのに。確かに「前半で読み手をつかめ!」みたいなわかりやすいブロガー講座的発想もわかるけど、グーグルアドセンスに、申請後2分で「不適格」とか言われたブログがそんなこと今更気にしていないのだ。

 

ちょっと話は飛躍するが。先日、雨の中川の側溝に落ちた犬を助ける動画がツイッターでめっちゃ拡散されていた。明らかにマイルドなヤンキーぽい人のアカウントで各所から絶賛の嵐だった。いやぁ、確かに動画を見たけど感動のシーン。コメントも「こんな日本人が増えてほしい」「最近の若者を見直した」ただ、ちょっと待てよと。なんでそもそもカメラ回ってるんだ。めっちゃフォロワー増えてるけど、そこんとこどうなんだ。てかお前ら『こち亀』の「ヤンキーが更生したら手のひら返す世の中おかしいだろ!」って画像大好きなのに、いざ実例見たら賞賛なのかよ。

 

いや、そんなこと疑うとかお前性格絶対歪んでるだろっていう指摘は甘んじて受ける。だけど、ネットはそれほどに善意と承認と下心と悪意やらが交じり合った世界だっていうこと。それは確かだと思っている。誰が何を狙って、何を本意に発言してるか。その判別はとても難しいのだ。

 

・「マウント族」はどこから来て、どこへ行くのか

最後に。何かにつけて攻撃的な事を言ってくるマウント族。自分の琴線に触れるいろんな単語をサーチしては、とりあえず殴る。それをまた電車や町中、家で特段普通の人と同じように無表情で発言していることを想像すると、マジで怖かったりする。

 

そうした彼らの発言やフォロー数、フォロワー数を見ていると、ふと思うことがある。なんていうか、SNSを見る限り失うものがなさそうなのだ。先日ネット記事でも話題になった黒子のバスケ脅迫事件で逮捕された渡邊受刑者の「無敵の人」という言葉が過る。それは、定職もなく、恋人や家族とも疎遠。つまり、犯罪を犯したところで失うものがない。そうした何も社会的なダメージに繋がらない「無敵の人」と日本の社会は向き合わなければならない。というものだった。

 

「マウント族」と彼は、たぶん地続きな気がして仕方がない。本来、名前や素性を出しての誰かへの攻撃はある種のリスクを伴う。当然違う意見の人との関係はこじれる。友人に違う意見の人がいるかもしれない。そういうバランスの中、自制をしながら人は生きていく。しかしながら、ネット弁慶というか、匿名でFF数が少なかったり、もう主義主張が偏りまくりの人しか見てない、ただひたすら文句やヘイトを垂れ流しているアカウントがあったりする。それらは、もうアカウントという隠れ蓑を使って、リスクもなく捨て身の攻撃をするだけの存在である。昨今話題の凍結マンもその一種だろう。

 

こうしたとことん攻撃したい人というのは、一種の病を抱えているように見える。嫉妬や怨嫉、社会全般への不満。SNS自体が自分のうっ憤をまき散らすだけの道具なのだ。それだからこそ、それについつい乗っかってしまう人はちょっと落ち着いてほしい。一旦、そうしたヘイトやアジテーションを見た際に自分のスタンスを見直す。その発言だけでなく、アカウントを覗いてみる。拡散や安易にコメントするのは楽だけれども。ちょっと10秒黙る。そんなことを気にすれば色んな事が多少は変わるんじゃないかなと。

 

インスタントに情報を得て、インスタントに発言する。マスゴミとメディアを批判するあなたのリテラシーはそれでいいの?とついつい思ったりする機会があったので適当まき散らしました。結局、長めになってしまった。涼しいので風邪には気を付けたい。

 

『Wake Up,Girls!』を見て思った「アイドルを愛する」という事について

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Wake Up, Girls! 総合公式サイト|WUG!ポータル より

🄫Green Leaves / Wake Up,Girls!製作委員会

昨日、ようやく『Wake Up,Girls!』を全話見終えたので、その思いを好き勝手語っていく。薦めたいので、ネタバレ少な目でエッセンスだけ書けるよう頑張ります。てかマジでみんな良い娘だからみて。

 

 

僕は正直言えばもともと「アイドル」という仕組み自体が好きではなかったのかもしれない。

 

アイドルになろうという当事者は、承認欲求の権化というか。自分自身が美男美女であることをいいことに、それが自己発露だ社会貢献だといわんばかりの顔でパフォーマンスをする。アイドルを追っかけるファンは、当人たちの裏表も考えず、また例のサッカーサポーターを煽った議員の発言でないが「自分の人生を人の人生に乗っけてる」ような感じを受けてしまう。そしてそれを取り巻く音楽業界も、そうしたアイドル志望の人やファンたちをひとつの道具として捉え、経済の循環を作ろうとするだけの世界。

 

こうして書くと単純に、非モテの陰キャなクソ中二の発想じゃねえかと受け取られるのも理解できる。なんていうんだろう。昔から僕はアイドルという存在をとりまくすべてに、何かこう穿った見方をしていたのは確かだ。自分の周囲のアイドルオタの方々や、またアイドルを扱ったコンテンツにどうしても馴染むことができず、その理由を自分の中で武装していった結果、このような感情を抱くに至ったのではないかと自分の事ながら推論している。

 

しかし、かなり前にそんな感情の一部を知人に漏らすと「それならWUGが好きなんじゃないかな」と言われたことがあった。僕も一介のオタではあるので、コンテンツ開始当初から外装の知識だけはあった。確かavexとヤマカンがコラボして、震災以降の東北復興を念頭に置いて立ち上がった声優アイドルユニット兼アニメ作品『Wake Up,Girls!』。当時の印象は、キャラも地味だし、avexが絡んでいるという時点で引き気味だったのは間違いない。

 

おススメを受けながら、そのまま作品に触れることはなく2年ほどが経った。そんな折、知人から今年のアニメロサマーライブの3日目へ誘っていただき、そこにどうやらWUGが出ると知る。登録していたApple Musicを探すと案の定WUGの楽曲も入っていた。とりあえず、ライブを楽しみたいから。そんな思いで軽く聞き始めることにした。

 

・衝撃の『Beyond the Bottom

久々にアニソンで鳥肌が立った。いや、正直泣いていたと思う。Apple Musicには「初めてのWUG」のように各アルバムから、何曲かをピックアップしてくれる機能がある。それを流しながら聞いていると、僕の琴線に触れるどころか、そのまま乗っかってきた曲があった。それがこの『Beyond the Bottom』である。構成からしても確実に単なるアイドル楽曲のそれではなく、メロディ・歌詞ともに美しく、また壮大なアレンジからは「原作を見ろ」という意思がひしひしと曲から感じられる曲である。

 

調べれば、アニメ版『Wake Up,Girls!』の構成はプロローグ的劇場版『七人のアイドル』から始まり、TVアニメシリーズに続く。そして更に前後編の劇場版が挿入され、そこでひとまずの幕を下ろす形となっている。その最後の劇場版後編タイトルこそが『Beyond the Bottom』なのだ。その明らかに「逆境に打ち勝つ」という意味合いのタイトルにも一瞬で惹かれたし、作品のラストを飾るのがこの曲と知り、徐々に「見るしかないのでは」という気持ちになる。

 

しかも、関連楽曲の作曲はすべて音楽集団「MONACA」の田中秀和氏と神前暁氏コンビ。双方『デレステ』や『物語シリーズ』の楽曲を手掛けた天才である。他の楽曲も含めてこれはクオリティに間違いないかも・・・アイドルアニメだからとか、見ない理由が徐々になくなっていった。

 

・『ふたりはプリキュア(無印)』の8話までを想起させる空気感

最初の劇場版『七人のアイドル』を見始めて驚いた。物語は女社長・丹下と社員・松田しかいない仙台の弱小芸能プロダクションが思い付きでアイドルプロデュースを行うというところから始まる。そのオーディションに集まる女の子たちも、全員が「こんな事務所で大丈夫なのか」という疑心暗鬼を抱きながら活動をスタートし、序盤は本当にツライ仕事や営業回りばかりが目に入る。そう、他のアイドル作品になかなか見られないレベルの「ツラさ」がふんだんに盛り込まれているのだ。

 

それでも徐々に共通の目的を共有しながら、夢に向かって打ち解けていくように映る。しかし、本当の意味で彼女たちが打ち解けるのは、かなり先の事だ。TVアニメ版、そして後期劇場版でようやく自分の気持ちを吐露し、邂逅するキャラもいる。その間ずっと視聴者である我々は一抹の不安というか、やきもきした微妙な気分を味わい続けることになる。

 

ここで個人的に『ふたりはプリキュア』8話を思い出したのである。この8話では、初めてお互いが本音をぶつけ合い、それぞれのことを「なぎさ」「ほのか」と下の名前で呼び合う関係になるという神回である。それまでの7話分は、突然伝説の戦士プリキュアになってしまったお互いが、単に逆境を通じて「仲良くなろうとする」ぎこちなさが見て取れる。喧嘩はしない、仲良くしていたい、でも本当の気持ちが分からない。これをモノローグでなしに、空気として描くのは思った以上に骨が折れる仕事である。

 

このWUGという作品の凄さは、それをほぼ全編通してやってしまう。上に書いた通り、それぞれの邂逅までの話が非常に長く、またWUGのメンバーだけでなく、社長の丹下、マネージャーの松田、楽曲提供をするプロデューサーの早坂といった周囲の人間にもこのやり取りが当てはまる。誰が本当に信じられるのか。心の底から相手に期待できるのか。それぞれの本音と建前が浮き沈みする状況下において、当然人間関係も交錯する。そして、それら一つ一つの壁を乗り越えるWUGのメンバー達の描写にはどうしたって心を引き付けられてしまう。

 

・大人の世界の「アイドル」を愛するという事

そして、この作品において注目すべきはファンの「大田」の存在である。本作を知らなくてもこの画像で知っているという人は多いことだろう。

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TVアニメシリーズ『Wake Up,Girls!』12話『この一瞬に悔いなし』より

 

アイドルアニメにおいて、ファンを描くというのはなかなかに難しい手法だと思う。作中ドルオタを描きづらい理由は、エロゲに明確な主人公を登場させないのと同じ理由だ。だって、それは視聴者にとって鏡になってしまうから。例えばエロゲで自己投影するべき主人公が、イケメンすぎたら「いや俺そこまでイケメンじゃないし」となり、またキモオタなら冷静に自分を見返してしまうというリスクを孕んでいる。

 

それでもキモオタ然とした大田は本作の中で、WUGを愛し続け、応援を続ける。元スターの島田真夢を擁するという事で掲示板で叩かれまくるWUGに期待の目を持ち続ける。そして、私設ファンクラブを立ち上げたり、最後まで応援を続ける。この作品の大田の姿から、われわれは一体どんな感情を得るのだろうか。

 

僕らは本作でWUGというアイドルグループを俯瞰的な目線で見ることになる。どれだけツライ仕事があった。内部でのいざこざがあった。それらを嫌でも見させられる。それはあくまで憶測だが、大田もそのくらいのことは分かっている、と思えてくるのだ。スキャンダルで叩かれる、嫌な仕事をさせられる、楽曲に恵まれない、内部紛争だってある。それでもファンは、その語源「ファナティック」の名の通り、そのアイドルという存在の性善を信じ続ける。ツライ世界を生き残る彼女たちを信じること。彼から「人はなぜアイドルを愛するのか」という教科書をまざまざと見せつけられる気分になった。

 

冒頭に掲げた通り、僕はアイドルという仕組み自体を信じられていない。単純に発想がガキで人間不信という話なのかもしれない。しかしながら、本作で見た光景はその「信じられない汚れた大人の世界」というとエッセンスをしっかりと残しておいて、それを乗り越えるアイドルたち、そしてそれを信じられるファンという、僕が正直欲しがっていた感情すべてが『Wake Up,Girls!』には詰まっていたのである。

 

アイドルなんてものは、浮き沈みのある稼業だ。当然本人たちの年齢もあるだろうし、世の中の流行なんて一瞬ですげ変わる儚いものである。しかしながら逆にファンの一念とアイドル達の必死さで、その世の中を変えることもできるのだ。我々の世代での女性アイドルで言えば、モー娘。AKB、パフューム、ももクロ、でんぱ組などなど。それぞれのグループの歴史を垣間見ると、それは「大人の世界」で本人たちとファン達が足掻き続けた物語そのものだろう。

 

一歩引いて二次元のアイドルコンテンツも同様だ。今や最大手である『アイドルマスター』は当時窮地のナムコがアーケード筐体としてある種の博打に出たと言われた作品だ。ポリゴンかつCG技術が未発達の頃から、それらキャラクターを愛し続け、作品自体にこだわり続ける人がいたからこその現在の地位であるし、また『ラブライブ!』も同様に『電撃g's magazine』の誌面企画として打ち出された当時は「アイマスのパクリ」「キャラがパッとしない」などと言われ続け、一向に芽の出る気配すらなかったコンテンツだった。

 

僕らが愛好する、という事は信じることだ。どれだけ利権が動いていようと、汚い発想が渦巻いていようと。それを乗り越えられると、ファンは応援し、そしてそれを受けてアイドルは乗り越える。これまで僕がぼんやりドルオタに対して感じていた「裏のある世界に対して何盲目的に愛を抱いてるんだ」という揶揄すら乗り越える「汚い世界すら乗り越えるエネルギーを信じること」それをこの『Wake Up,Girls!』からは学べた気がするし、その過程こそ『Beyond the Bottom』まさにどん底を乗り越えることそのものだと感じた。

 

 

 

長くなったが、当然、以上書いてきたことは僕の独りよがりな考えだし、いろんなドルオタがいれば、いろんなアイドルだっていることだろう。それでもいわば「アイドル版SHIROBAKO」とも呼べるような本作を見たことで、多少なりともポジティブな発想でアイドルコンテンツを見られるようになったと思う。中居くんが某CMで言う「アイドルはやめられない」というその複雑ながらも前向きな意味合いも、感じることができた。

 

とかく楽曲、ストーリーと申し分ない出来だったし、TVアニメシリーズの各話タイトルが黒澤明作品を捩っていたりとか、まだまだ魅力について言い足りないことはあれど、とかくこれから10月新章もスタートする。期待をもって待ちたいところである。

 

 

僕らは「自分を守るため」に正しさに堕ちていく

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『人はなぜ宇宙人に誘拐されるのか?自我を形作る「意識」と「無意識」の並行システム』

竹書房 著:エリエザー・J・スタンバーグ 訳:水野涼 2017/7/6発刊

 

つい先週くらいまで、うだるような暑さに体も心もやられていたのだけど、気づけば徐々に涼しさの気配も見え隠れする時期となってしまった。小中学生は、もう夏休みも終わって、学校が始まるところもあるらしいし、NHKを見ていれば夏の甲子園も終わり、いよいよ晩夏に差し掛かっている知らせを至る所で感じる。

 

そんな折、時間は多少かかってしまったのだけど、冒頭掲げた本をようやく読み終えた。自分が前々から関心を抱いていた分野というか、不思議に思っていた事にひとつの解が与えられたようで非常に面白かった。なので、毎度のごとく懲りずにその感想やら、それに纏わる所感などを、根暗前提で書いていこうと思う。いや、ほんとおススメなので読んでみて。

 

 ・なぜ人は幻を見聞きし、それを信じるのか

本書のタイトルの通り『人はなぜ宇宙人に誘拐されるのか?』という問いは、なぜ人は幻を見て、それを現実と捉えるのか、をキャッチーにしたものだ。無意識下での人間の思考は、自分で思っている以上に多様な役割を演じ、そして自分の認識すら大きく塗り替える力を持つ。それは例えば、錯視や錯覚、そして幻聴や幻覚、そして嘘だったり作り話に至るまで。自分の脳は、どのような理屈のもとで物事を考え、そして現実を認知するのか。そんな話が脳科学や心理学の分野から延々語られている本である。

 

この本の中でも特に興味深いのは「作話」の話である。それは重度の記憶障害や認知障害を負った人が、ありもしない話を作り出すのはなぜかという事を論じた個所である。大きな記憶障害を抱えた人は、当然のことながら自分の成り立ちに大きな空白部分を抱える。自分がだれかわからない、家族がだれかわからない。仕事や家庭、自分というアイデンティティの成立や、これまでに知り合った人たちなどなど。そうしたデータが欠落した状態では、自分の自意識が危機にさらされる。

 

それに対する危機管理として脳が勝手に働くというのである。つまり、相手や自分から持ち掛けられた問いに対して、辻褄があってなかったとしても詭弁としてある種の整合性のある答えが勝手に用意されるという現象だ。本書内で紹介される医者と患者のコミュニケーションにこのようなものがある。

 

医者「あなたの名前はわかりますか」

患者「当然です。ただ、今ここで知り合いでもないあなたに打ち明ける必要はないでしょう。」

医者「今あなたが精神病院にいる理由はなんでしょうか」

 患者「膝を悪くして昨日手術したばかりなのです。そのリハビリの一環です」

 

詰まるところ、自分の回答を持ち得ていないにも関わらず、まったく別のロジックで答えが発せられる。それが作話という現象である。しかも、そこからは嘘をついているという自覚が微塵も感じられない。本当に本人が信じ切っているのである。そして、その嘘と自覚されない嘘は、タイトルである「なぜ人は宇宙人に誘拐されるか」という問いにもつながっていく。

 

・信じていれば、嘘でない

次に語られるのが「宇宙人に誘拐された」つまりエイリアンアブダクションに遭遇したと信じる人である。そうした人は、必ずしも記憶障害や精神疾患を持った人だけではないというのが興味深い。この本では、睡眠麻痺いわゆる金縛りという現象からその体験を解説しようと試みる。

 

金縛りというのは、脳は働いているが、身体が眠っている状態といわれる通り、その身心のギャップに原因が見いだされる。目は覚めていると感じているのに身体は寝ているからこそ、自由が利かない。まさにエイリアンアブダクションの状況に酷似している。そして、そうした睡眠に近い状況は夢や幻覚を見やすい。もし、そうした宇宙人の誘拐というような発想が普段から根付いているのだとすれば、その無意識下のイメージがいわゆる宇宙人による接触という解釈を促すのも自然であるという。

 

脳は自分のイメージに対して自然な理解を促す。そこにないはずのロジックを生み出してしまうのだ。前者の記憶障害を抱えた患者の例でいえば「名前を思い出せない」のではなく「ここで名前を言う必要がない」という形に転換し病院にいる理由も作り出したりする。記憶の消失という事実から自分を守る。またエイリアンアブダクションのケースでは、記憶ははっきりするものの睡眠麻痺つまりは金縛りという現象に対する自分への説明がつかず、その状況に相似した「宇宙人からの誘拐」という解を導き出す。

 

それらは、本人が嘘をつきたいから嘘をついているのではなく。あくまで自分の理解の範疇を守るための脳の営み、つまり機能だというのだ。現実の現象が、自我を超えるとき。それは人の心的余裕を失わせ、結果「新たなロジック」をそこに作りだす。経験があるかもしれないが、嘘だと分かっていても、それを自分の中に刷り込むことによって、人はそれが現実だという認識を持つことは可能だ。そして自分の作話なのかすら分別不可能になる。詰まるところ、信じていることは「嘘をついていることにならない」というのである。

 

・人は「正しさ」以上に自分を守ることを追求する

人は精神疾患や脳の損傷のあるなしにかかわらず「作話」つまり自分の中でのロジック展開を行う習性がある。その発想に立つと、昨今のツイッターなどネット界隈での発言を垣間見てみると面白い。正直「この人何言ってんだろう・・・」っていう事案に出会うことは少なくないのではなかろうか。

 

例えば、ネトウヨネトサヨの政治議論。彼らはお互い政治議論などを毛頭する気もなく、イデオロギーの打ち合いに終始している。「正しさ」をそれぞれが別に持ち、まったく違った歴史・事実認識から主張を展開する様子などは、冷静に眺めているとなかなかに不思議である。また、例えば何か熱狂的なファンなどの発言も興味深い。

 

例えば昨今では歌い手やYoutuberが炎上した際には「法律よりもその人のが偉い」という持論を持ち出す。某フェミニストは過去の自分の行動からはかけ離れた「ポルノ批判」を展開するし、その言動については周囲の人も戸惑うばかりである。延々誰かを叩き続けたり、あるいは自分の信念をぶつけてマウントを取ろうとする人。そういう人は正直ネット上には珍しくない。

 

僕は前々から何かに対して過激な発言や、一方的な非難中傷をする方を見て「この人らってどのような思考回路で生きているんだろう」とか疑問に思っていたりもしたが、今回の本を読んでその答えに近い発想を与えてもらった気がした。詰まるところ、作話や幻聴、幻覚、錯視、それら人が生み出すエラーに共通している概念は「自分を守る」という点である。記憶障害を患った人が、その空白を無理やり脳の理屈でカバーするのと同様。自覚的についた小さな嘘だって、結局は自分の自我を守るためにあるものなのだ。一つ一つの考えが、過去から積み上げた自分を守るために自動的に生成されたものと考えると、頷けてしまう場面が多い。

 

・人との意見の違い、その前に知るべきその本当の意図

以上みてきた通り、本書が指し示すのはこの「とことんエゴイストな脳」の存在である。自我を守るため、本人の意識とは別次元の箇所で嘘も構成する。事実という概念は無視をして、ただただ理屈に合うことを勝手に醸成する。無意識下で僕らはどれだけの「作り話」をしているのかわからない。

 

そうすると、とかくネット上にてみられるような、寄り添う余地もないような言い争いにも徐々に理解が及んでくる。そう、彼ら、彼女ら、そして僕らも。結局何かを主張するという事はそれ自体の正しさそのものよりも「自分」を守っているのだと。そう自覚してふとこのような発言たちを眺めることで「正しさ」の相違というか、時間の消耗にしかならない議論がなくなることを祈るばかりだ。

 

伝わっているだろうが、これは議論や対話という人とのコミュニケーションに対するニヒリズム的意見ではない。違った思想や意見をぶつけ合うことは重要だし、人として実に生産的な営みである事は確かだ。人は人と話し合ってこそ、アイデアが醸成されるというのも真なる話だろう。しかし、その一方で不毛な意見の殴り合いが存在することも間違いない。これ言い合ってても意味あるんだろうか?とか。そういうときには往々にして「何がとられるべき対策か」「正しい選択肢はなにか」という問題軸がズレ、結局「自分の信念だけを守る」という議論になり果てる。ただし、それは脳の機能としては非常に自然なことであり、自我を守るというのは、整合性よりもはるかに大事なことなのである。

 

結局何が言いたかったのかって、人が意見を述べたり、自分の信条を語るときって、案外自分を守っている。その自覚や相手への認識があるだけでもだいぶ無駄な時間が減らせるのではないかと感じたのだ。これは、障害を負った人たちだけの話でない。日頃社会に出て、またネット上でやりとりしている中でも、多分にみられる脳の営みそのものであろう。

 

だって、様々な意見はそれを発した本人の為の話なのだから。信じることは、自我を守る第一歩である。それがたとえ支離滅裂だろうと。あるいは他者との常識に差を感じたとしても。僕らは誰だって、たとえ障害があったとしても、自分という存在を守るために脳は動き、自分という存在を落ち着けるのだ。三つ子の魂百までというか。自分の生き方を守る為に、僕らは何かを信じ、そして言葉を発する。自分の発言もきっと「保身」の意図がいたるところに見える。それに注意しなければならないのは当然なのだけど、周囲のそんな主張にいちいち自分の心を惑わせる必要もない。

 

それら意見は、所詮自分の意思やこれまで生きてきた中で見つけた何かを守るためにあるのだから。今回良書からそんなことを気づかされ、なんとなくネットの意見もそれぞれが、エゴに基づいていると思うと、逆に愛おしくなったり。結局正しさの主張なんて、自分を守りたい結果なのだなとか考えたらちょっと楽になった。酔いながらも長々書き続けたが、適当にここら辺で終えようと思う。冒頭にも書いたけど、この本おススメです。

 

 

そんなに言うなら評論島へ来いよ(個人的評論情報本15選)

ここ最近、毎回コミケやら同人誌の話題ばかりで飽きられている気もしているのだが。もう少しだけ我慢頂きたい。というのも、ちょっとまだ言いたいことがあるのだ。

 

今回のコミケ前こんなことを呟いたら、思いのほか拡散されてしまいなんだか複雑な心境だったのである。

 

久々に5000RTなんかいったわ。ということで、ニッチな世界のはずのコミケでも更にニッチな空間が広がる評論・情報島。このツイートを見て「分かる」「そうなんだよなぁ」という共感と同時に「え、そんなものもコミケにあるの?」とか「エロ本だけじゃないのか」といった意見も散見されたのが結構個人的にはびっくりで。あぁ・・・そっか。そもそも評論情報というジャンル自体を知らないって人もいるのね・・・ということで、今回は個人的に「こういう本と出会えるよ」っていうのを自分の本棚から引っ張り出して紹介。お前らそんなに共感・拡散するんなら、評論島にも絶対来いよという半ばやっかみの記事である。

 

超個人的な紹介かつ、身内補正も多分に含まれているので、そこは暖かい目で見ていただければ幸いである。また、今回紹介するのは、これまでの参加歴で自分が購入したものであるため、現在は参加されていないサークルさんもある。そこはご注意くださいませ。

 

・サークル:悪人酒場 「ビール本シリーズ」

http://shop.comiczin.jp/products/list.php?category_id=5166

コミックZIN通販ページへ

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いやぁ、とりあえず流行ってるよね。グルメ&お酒関連。ということでその筆頭に近い悪人酒場さんとこのビール紹介本。毎度のフルカラー印刷かつハイクオリティなレイアウトデザインと醸造所に直接出向く取材力、もうなんていうかすごい。とかく「ビールが苦手」という人でも「こんだけ紹介されたら一つくらい口に合う銘柄もあんじゃねえの」と思えるほどのバリエーションを、なんとコミケで売ってる本で知ることが出来る。クラフトビールからコンビニで買える缶ビールまで、ありとあらゆる角度からビールを扱いつくす姿勢にただただ感服。バーなんかでちょっと一緒になった女子に知識ひけらかしたいという安易な貴方にもぜひ勧めたい納得の評論シリーズ。

 

・サークル:オタクとデザイン 『OTAKU×DESIGN』シリーズ

まんだらけ通販 | オタクとデザイン

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このシリーズをきっかけに評論島に興味を持ち、そして僕自身も雑誌を作り始めたという思い出深い本。デザイナーの染谷洋平氏が企画から制作全般を行った非常にスタイリッシュなシリーズとなっており、とらのあなのロゴデザインについての考察や、オタク関連グッズのパッケージデザインについての論評などは「こんな同人誌があったのか」と唸らずにはいられない。細かなコーナーなども秀逸であり、一冊通して文字が基調ではあるものの飽きずに読める。とにかくオシャレ評論同人誌の先駆け的存在と言えるだろう。

 

・サークル:くぬぎやま通信社「アキバ暮らしを楽しむ本」/秋葉に住む「秋葉に住む」

http://office-k2.sakura.ne.jp/akiba/ くぬぎやま通信社さん

秋葉に住む

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それぞれ別のサークルではあるものの一貫して秋葉原に住み、暮らすという視点で書かれた評論雑誌シリーズ。何が圧巻って、単なるカルチャー本かと思いきや完全に住宅事情からおすすめの周辺マンション、そして今後の建設予定までを網羅する、なんていうかアキバに住みたい人のための不動産バイブル。『アキバ暮らし~』の方がグルメといったよりカルチャー寄りなコンテンツを含むのに対して『秋葉に住む」の方が土地柄や立地といった硬派なイメージを抱く。何はともあれ、趣都秋葉原で暮らす上では全国流通している本以上に専門性が高く、地場に密着した情報を得る意味ではおススメなシリーズ。

 

・サークル:M3-PRISON『脱衣舞シリーズ』

看守控室@M3-PRISON/ウェブリブログ

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『脱衣舞』ってなんじゃそりゃ、と思われるかもしれないが、まぁストリップショーのレビュー本である。確かシリーズ19弾まで発刊されていたはず。なんでそんなものをセレクトするのかいえば、前にこのサークルさんとお隣になったのだが、いかんせんそのキャラの濃さに圧倒された。サークル主の短髪で金髪のおばちゃんから、ストリップショーへの愛とその魅力を開催中に教えていただけた。内心では「高須院長」と呼ぶほどのキャラクターで、本の内容も勢いそのまま。レイアウトは単調ながらも文字の力がすごいこと。評論島ではこういう濃い方との出会いも楽しみの一つ。そういう目線から足を運んでみると、思わぬ知識を授かったりする。一回浅草あたり、見に行ってみたいなぁ。

 

・サークル:テクノコスプレ研究会『女装と思想』シリーズ

同人誌 『女装と思想』 | あしやまひろこのサイトとブログ

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以前、弊サークルの既刊「女装という在り方」でもお世話になったあしやまひろこ氏主宰のサークル。なんていうか、うちと違ってインテリ感がすごいし、女装という文化に向かう熱量も並大抵のものでないと感じる。また三橋順子氏を招いた回などは読み応え十分。僕も同様な特集を組む中で「よく呼べたな・・・」と感心するほかないできとなっている。あしやま氏自身も多方面にわたって活動している為、同人活動だったりその他ニコニコ技術部だったりと、その活躍の幅は広い。今は沼津周辺の研究に忙しそうなので、またいつか『女装と思想』再開してくれないかなと内心思ったりしてる。女装文化について知る上でのある種の教科書とも呼べるシリーズ。

 

・サークル:金腐川宴遊会『二級河川』シリーズ

金腐川宴游会 (@kinyuukai) | Twitter

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正直このサークルさんの本は今のところコミケでは買えない。主に文学フリマにて活動されているようである。僕も以前文学フリマに参加した際にお隣となったときに諸々お話して、一気に惚れ込んだサークルだ。どうも高校生時代の旧友数人で活動しており、それぞれのニッチな知識を持ち寄って記事を書いている合同誌のテイスト。ちなみにシリーズ10作目までは身内だけで楽しむ為の会報誌だったとのことで、ノリで同人誌を作ってみたという。だが、それらテキストの質は異常に高い。ネタにしても「ファミ通町内会の人ら集めて長文書かせた」みたいな質量は、ぜひコミケ参加をお願いしたくなるレベル。サブカル好きなら、この本を見かけた際には確実に買い占めた方がいい逸品である。こういう謎のサークルとの出会いもまた、評論情報の魅力かもしれない。

 

・サークル:星空亭『この東方同人がすごい!」

紡 (@tsumugu) | Twitter

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東方ジャンルが一世を風靡していた絶頂期。東方オンリー最大のイベント「例大祭」が開始してから、しばらくしてそこに評論島が出来た。その中で見つけたのが本書である。この着眼点が憎い。他の二次創作と違い東方の世界観は半ばファンアートに任されている部分が大きい。そうすると、漫画を描く人間によって数々の東方の世界観が生み出される。そこに着目し、同人誌をレビューする同人を作ったという発想力は称賛に価する。当時も「あーこの手があったか!」と手を打ったのを覚えている。単に「何かのスペシャリストじゃないといけない」ということではなく、アイデア一つで雑誌を生み出す。まさに出版社の発想を見いだせるのも、評論という島の面白さだろう。

 

・サークル:手ブラおぢさんズ『ラベルデザイン』シリーズ

おかやん (@okayan08) | Twitter

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やけにテプラ好きな人っているよね。というところから、ここまでやるかというシリーズ。町中で見かけるテプラで作った表記をわざわざフルカラーで一冊の本に仕上げるというその気力がすごい。なんだろう、あの会社の備品に注意書きのためにテプラ貼るのはいいけど、情報多すぎて逆に何言いたいのかわからなくなっちゃってたり。日本人のデザイン性に対する悲しくも不器用な性をそのまま見せられているような気分になる。日常見逃しているところもよくよく見てみると「なんでここにテプラなんだろ・・・」みたいなツッコミを抱くこともある。そんなふとした時に感じる面白さや、シュールな空気を味わえる秀逸な一冊。

 

・サークル:町田メガネ

町田メガネ@3日目東T41b (@machidamegane) | Twitter

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正直言えば、胡散臭い。毎度なかなかに胡散臭い感じの本を出す。この夏コミも買いに行きたかったのだけど、自サークルから手が離せず。何がそんなに胡散臭いのか。まずは企画である。この写真の『秒速でDJに為る条件』完全に、秒で1億稼ぐあれのパロディだし、その他既刊にも『ツイッターコミュニケーション読本』『アラサーオタク女子生存戦略』『コミケマーケティング論』などなど。企画力と言えば聞こえはいいが、とかく煽るネタスタンスで顧客をつかむ。こういう戦い方もあるのだなと毎度唸ってしまう。評論情報は企画の強さが非常にモノを言う界隈である。そりゃ漫画と違って、試し読みもちょっと無理がある。その中において強気の評論ジャンルを、町田氏は繰り広げている。

 

・サークル:Ensonode『スク水あならいず』シリーズ

ぼつよん@C92-2日目東ミ01bちほー (@botuyo) | Twitter

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かつてこんなに適格で強いスク水紹介があっただろうか。と思わせるレベルの情報密度。なんていうか、これまではメーカーやデザインにとどまっていたスク水評論を素材レベルでの検証から、乾いたときの透け具合から強度といった部分まで徹底的に分析。詰まるところ、他製品との比較検討を行うという非常に理系的アプローチから発せられるスクール水着評論本なのだ。確か、購入するにはいわゆるメカミリジャンルに行かなくてはならなかったはずなので、手に入れにくい部分もあるが、そのコンセプトやスク水愛は間違いないため購入すべき代物である。未読の方は是非ともフェチの一歩先のスク水評論を味わってほしい。

 

・笹松しいたけ『スク水うどん珍道中』

新スクの淵から

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スク水の話題が出たならばこの本を外してはなるまい。コピ本と思って侮っていると、その猟奇的ともとれるコンセプトにやられる。先にいうと、まるでうどん関係ない。ひたすら空気嫁スク水を着せて、その触感や伸縮性、挿入のしやすさといった様々なポイントから評価をなす本となっている。そういう意味では上記の『スク水あならいず』の先駆なのかもしれないが、どうでもいい感も否めない。しかしながら、この本をきっかけに僕自身は氏とも関係性を持つに至ったし、なんていうかスク水は人と人をつなぐんだなぁって思いました。改めて読み返すと、よくこれでメンタル保っているな、と感じる良書。

 

・サークル:monomaniaK『Kemonoclome』シリーズ

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ケモノファンの為の評論誌。なかなかにその着眼点も鋭く、関連漫画のレビューから着ぐるみの論考、さらには性的欲求にいかにつながるかというようなフェティシズムの話まで及ぶ。僕個人かなり興味のある話だったので当時熟読したのを覚えている。ケモナーはなぜケモナーなのか。その問いは基本的に僕自身が現在行っている評論の在り方に近いし、あーもうちょっと僕も同人やってる時期が早ければなんか一緒にやってみたかったなぁと思わざるを得ない。アプローチも内省的というか、非常に自分の癖を一歩引いた目線でみようとするメタ視線が評価できる。今見ても、しっかりとした論考が編者の真面目さを伺わせる一冊。

 

・サークル:ダム日和 『私立荒玉女子高校ダム部 活動日誌』シリーズ

まずまずのダム日和

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結構ダムって人気あるんだなとよく思う。建造物の写真集なんかでもダムって思った以上に集客力あったり。そんなニッチながらも堅実なダムの世界を余すところなく同人誌にされているダム日和さんのシリーズ。このシリーズでは井上よしひさ著・少年画報社『ダムマンガ』というダムをテーマにした漫画の聖地巡礼を主に扱っている。そのため、周辺地図といった情報もわかりやすく掲載され、専門性というよりはイラストレーションから誰でもダムに親しめる内容となっている。このVol.4にて漫画の最終巻に追いついたため、この先はどうなっちゃうのかなとちょっと寂しい感じも。サイズもA5判と手ごろな感じもあり、かわいいながらも本格的なダム評論紙として魅力が詰まっている。

 

・サークル:外蛇口『外蛇口』シリーズ

外蛇口ドットコム

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数ある評論サークルの中でもかなり好きなシリーズ『外蛇口』ごん助氏の目の付け所にはもう拍手するしかない。だって、外蛇口だよ?完全に日常に溶け込んでいるのに「なんでこんなところに蛇口あるんだろう」と疑問に思ったが最後。この蛇口を誰が使っているのか、あるいはここの周辺にはどんな生活があるのかなど、想像力が無駄に掻き立てられてしょうがない。まるでトマソン物件のような哀愁と、その蛇口を見逃さない氏の執念には感服してしまう。このような「ふと見ると普通だけど、よーく観察すると面白いもの」それが評論島にはあふれていると思うし、この本みたいな視点を持つことで、日常世界がより面白くなると僕は思ったりする。

 

 

以上、なんかかなり長くなってしまったけど。トータル15選、いかがだっただろうか。多少触手が反応してくれたのならそれ以上のことはない。ただ、それでもここに挙げた本はまだまだ厳選ということで。まだまだ紹介したりないのが本音。「評論島面白そう」と引用コメでツイート拡散するだけじゃなくって、現場に行ってみるともっと面白いものがまだまだ散らばってたりするよ、という示唆だけ残して。とりあえず今日はもうお疲れさまでした。

異常、ということについて。

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今年も例年の如く夏コミが終わり。弊サークルの新刊も想定以上に捌け、もうちょっと作っても良かったかななんて。毎度数量は読めないもので、せっかく遊びに頂いたのにお渡しできなかった方がいて反省材料も残ったり。また冬コミに再販も考えてますのでそういう話はまた改めて。ひとまず今回も、新刊作成及び頒布に協力頂いた方、そしてわざわざ足を運んで頂いた全ての皆さまに感謝を表しつつ、また迫り来る冬コミへの企画を練り始めている次第です。本当にありがとうございました。

 

・初めて手紙を頂いて

ということで御礼もそこそこに本題へ。今回のコミケで僕自身、初参加から丸12年。サークル出店に関しては7年となった。頭の中は初参加当時となんら変わりないように思えても、やはり身体は衰えており、1日ちゃんと参加するとゲンナリしてしまう。アフターなんて言われても、半分寝てる。楽しい時間をより多く享受するには、そもそも体力が必要と思い知る。そんなアラサーにいつの間にか成り果てている自分に絶望しつつも、やはり楽しい3日間であることには間違いなかった。

 

今回、そんな年数参加してきた中でもなかなかないというか、初めての体験を得る事が出来た。ある方がサークルへ遊びに来てくれた際に過去既刊の感想を書いた手紙をくださったのである。そんな事もあるんだなぁと思いつつ、丁寧に閉じられた封を開け中をチラ見したら、その場でちょっと泣いてしまった。情けないけど、これまでやって来た事がここまで伝わっている人がいたのだと切に感じて、嬉しくて。

 

いや、当然ながらその文章を僕がエゴ全開で解釈しているという可能性も十分ある。その可能性を差し引いても、そこにあった文章というのは久々に自分自身がなんでこんな同人活動みたいなマゾヒズム的な事を延々続けているのか、思い起こさせてくれるのに十分な内容だった。

 

かいつまんで言うと、そこに書かれていたのは異常と正常についての話だった。軽く引用すると、果たして自分は社会の中で異常な存在なのではないだろうかという自問、そしてその解として得た「異常である自分」を認められなかった自責。そうした葛藤の中で弊サークルの既刊を読んで頂き、少しながら自分の異常というあり方に対して目を向けることが出来たというニュアンスが綴られていた。色々なネタが届いたことは純粋にうれしいし、そして恐らく。僕が同人誌を作る中で意識し続けていた事が、多分その方には伝わっている気がした。

 

・自分の異常さを知る瞬間

これまで僕が7冊続けてきたこの「’00/25」という雑誌シリーズの企画は正直言えば自分の中で感じていた世間との隔たりを少しずつ見直す作業だったように思える。キャッチコピーに「フェチとオタクを考える雑誌」と銘打っている通り、通常の性の趣向とは異なる「フェティシズム」と、趣味や愛好対象が世間とズレている「オタク」その双方が自分の中には小さな頃から根付いていると自覚していたし、手紙を頂いた方のように次第に社会の中で成長するにつれて「自分はおかしいのではないか」という感覚がハッキリと覆いかぶさってきていた。

 

別の文章でもたまに書くことだが、僕が中学生だった2000年頃。一部を除く世間はまだインターネットそのものを「オタクの為のツール」と捉えていたし、僕らもそう思っていた。しかもオタクという言葉ひとつとっても今より遥かに侮蔑の意味合いが残っていたように思える。美少女アニメなんか見ているヤツはヤバイ、そういう風潮の中でオタクは必死に深夜地方局に噛り付き、世間から隠れながらギャルゲー原作のアニメを貪るように見ていたのである。さながら隠れキリシタンの悲壮さが過ったりする。

 

また性癖も当時既にズレていた。今となっては各所で言いふらしているので笑い話なのだけど、ただひたすらに着ぐるみや全身タイツが着たいという謎の衝動に駆られていた。冗談みたいだが、当時セックスという概念も知らず、オナニーにも行き着かず結局精通もかなり遅かった自分にとってはただただ謎の感情との戦いに精神をすり減らしていたのだった。こんな感情がバレたら確実に人としてマズい。この衝動に恐怖感しかなかった僕は、上記のオタク趣味すら隠しつつ、このような歪んだ欲求を常に抱えている自分の異常性と向き合わざるを得なかった。

 

2017年現在では多少雲行きが変わってはきているが、基本的にオタクであることや、あるいは特殊性癖持ちであること。これを誰かにカムアウトするには大きなエネルギーが要る。学校職場など社会の中では、出来れば「普通の人」として過ごして行きたい。それは誰もが抱く基本的な願望である。後ろ指刺されながら生活する事を考えると、メンタリティをその中で安定的に保つことはなかなか厳しいものが伺える。

 

よく自分は異常かもしれない、なんて事を言えば「厨二病乙」と返ってくるしまぁ大抵その通りなのだけど。ただ、その異常は正常に対して間違いなくそこに存在している。そして、異常を自覚すると周囲の人間が怖くなる。自分が周囲からの攻撃対象なのではないかという妄想に終始陥ったりする。まぁ、なかなかに暮らしづらいわけである。

 

・徐々に見えてきた異常という日常

流石に僕もこの年齢となり、社会には色んな人がいて、そうした異常性を各々が持ちながらも暮らしているということが徐々に分かってきた。しかし、それが分かってきたからこそ感じる正常と異常の壁も存在した。例えば社会の中で次第に結婚、仕事といった社会システムの中で顕在化する壁もあれば、勿論小中学性の頃みたいな「異常即人でなし」というあからさまに残酷な壁をお持ちの方もたまに見る。

 

僕らは自分の正常な生活を守る為、異常を作り、なんとなくそれを排除する。それは生きる上での防衛本能であり、人間の営みの一部として自然な事である。ただ、おかげさまで僕はオタクであり特殊性癖という壁に挟まれた立場だったからこそ、色々な人と話す事が出来た。そして見えてきたのは異常であることもまた、その人にとっての日常なのだという結論である。

 

 

体感するとその異常と正常の壁は思ったよりも薄い。全く別の世界の人と思っていたとしても、自分が一歩踏み入れてしまうとその瞬間、自分の正常は変化する。異常だと思っていたモノが日常になる、その瞬間は想像よりも容易く、そして身構える必要すらなかったのではと思わせる。オタク趣味、特殊性癖全般。当然社会的に認められなさそうなモノも存在する。むしろ社会的に認める必要がないものもある。そうしたグレーゾーンにある沢山の異常が、誰かにとっての日常であること。そしてその真意の一端を、自分の同人誌において、ネタと笑い話を交えながら示す事が出来ればと思っている。

 

そんなもの表に出さなくても、基本的にはオタクや特殊な世界の人は世から離れてひっそりと楽しめばいい、あるいはそうすべきという主張もたまに見かける。言いたいこともわかるのだが、このご時世においてその姿勢を保つことは難しい。ちょっとしたことがSNSで流れれば周知の事実となり、隠していたと思いっていたことがいつ世に出て行ってしまうのか分からない。ならばむしろオープンにしたほうがダメージは少なかったり。

 

ネットの拡充によって、いろんなアングラ・サブカルチャーが地下にいられなくなっているのが現在の情勢であり、そうするとその対流は今どこででも起きてしまうものだと思う。お互いが共存「しなければならない」というなかなか暮らしづらい現状があるからこそ、昨今のLTGBの権利主張などといった運動の機運は高まりを見せているのではないだろうか。

 

・相互理解なんてできなくても 

というようなことを言いながら、僕個人「相互理解」という言葉があまり好きでない。勿論、相互理解出来ればこの上ないのだけど、往々にして異常と正常という認識の隙間を理解にまでこぎつけるのは難しい。なので僕がこういう同人誌やブログにおいて提示したいと思うのは「相互認識」あるいは「相互想像」という発想である。こういう人もいるとまず認識すること。そして、こういう人もいるんじゃないかと想像することである。

 

人間、何かを拒絶する際。「知らない」という立場から排除に繋がるように思える。それは国籍や宗教、年齢差、性別、障害者、社会的立場と他のカテゴリにも言える事だ。異常と正常という壁はどれだけ足掻こうと消えるものではない。それに対して「あぁこんな人もいるのか」とか「もし身近にそういう人がいたら」その認識と想像力からしか、こうした異常性と排除の問題をクリアできるスタート地点はないと思う。

 

だからこそ異常を異常として少しずつ開示する。そこにどのような理屈があり、物語があり、そしてこの先があるのか。なんだマイノリティの代表気取りやがってみたいな風にも読めて多少傲慢に見えるかもしれない。実際傲慢なのかもしれない。だとしても、そういう事を知りそして覗き込み、また踏み入れる事は本当に面白い。自分は異常かも、と周囲を疑っていたクソ厨二病的な自分さえ、色んな話を聞く中で「あぁ、全然自分普通じゃねえか」と思う事も多々ある。

 

なんていうかここまで小難しく書いてきてしまったけど最終的には、より違った異常を持った人と出会い、話すのがただただ楽しいのかもしれない。自分にはなかった感受性がそこにはあると思うと、異常である事、人と違うことは人と触れ合う上で大きな魅力のひとつなのだ。今回手紙を頂いた方には、多少なりともそうした色んな人たちの言葉から、異常性のポジティブな面を見ていただければそれ以上のことはないし、自分の世界が広がる瞬間を感じもらえればとても嬉しいなと。一人勝手に思っております。

 

 

結局、長々と自分語りみたいになってしまい、なんとも言えない感がある。纏まっているかも、イマイチしっくりきておらず、まぁ内省としてこんな文章もたまにはいいのかなと。冬コミもまた申し込んでしまったため、少しずつ企画を具体化していかなければ。1年って本当に短いなと、毎年早くなる時間の流れを感じつつ、とりあえずやるべきことを淡々とやらなくてはと思うお盆休み終わりでした。

 

夏コミC92既刊のご案内

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ということで、コミケまで一週間切りました。早いもんです。新刊の告知が済んだので改めてここで今回の既刊ラインナップをご紹介。新刊もなかなかあれだけど、まぁ既刊も大概アレなので、ぜひチェックしてみて下さいまし。

 

①『'00/25 vol.6 特集:女装という在り方』

ジャンル:女装文化評論 84P/¥700

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<コンテンツ>

・すちうる氏ロングインタビュー

幾夜大黒堂氏×あしやまひろこ氏×すくみづ鼎談

・しんいち氏対談

志村貴子放浪息子』レビュー/すくみづ

・コラム『その心意気やヨシ!」シゲヨシ伊東

 

とにかく女装する人の考えを掘り下げた一冊。表紙と巻頭インタビューは、関西においてラバー・ロリータ・SMファッションで異色を放ち、国内外に多くのフォロワーを持つすちうる氏。その行動原理や過去からのコンプレックスなど、表層では伝わらない部分について聞いてみました。また『境界のないセカイ』(KADOKAWA)などの著作で知られる漫画家/幾夜大黒堂氏と筑波大ミスコンで男性として優勝を果たした経験を持つあしやまひろこ氏を招き鼎談。それぞれの立場から、女装とは、性別とは、そしてその未来について幅広い目線から語り合ってきました。

 

更に、秋葉原にあるGame Bar「A-button」の店長であり友人のしんいち氏。40歳を超えて女装趣味を開始した氏の生きざま、心意気を伺ったり。あと『放浪息子』のレビューなんかも、僕が垂れ流したりしてます。なぜ僕ら、そして彼らは「彼女」として生きるのか。またかわいさを追求するのか。その発端や内心について、また性別という存在について改めて考えなおす。そういう濃い内容の評論・対談雑誌です。以前頂いた女性からの感想で「男に生まれ変わって女装してみたくなりました」とのこと。

 

②『'00/25 vol.5 特集:Fetists ~あなたのフェチはどこから?~』

ジャンル:特殊性癖考察評論 58P/¥500

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<コンテンツ>

・大阪フェティシズム女子会(本城みらい氏×inuso氏×華花氏)

・おさんぽみるくコラム「フェティッシュとインターネットをめぐる冒険」

・着ぐるみフェチSA氏との対談「フェチはどこからやってくる」

・『奇譚クラブ』から読む50~80年代フェチ文化のあゆみ

・夢川喜久路コラム「観念へのフェティシズム

 

「特殊性癖ってどのように生まれるんだろう。」そんな疑問からスタートした本企画。まずは関西まで足を運び、フェティッシュに造詣のある女性陣をお招きし、なんと女子会を開催。ちょっと人と違った性癖についてストレートかつ下ネタ全開で応えて下さっております。それぞれの個性も強く、普段はなかなか垣間見れない、お三方のフェティッシュへの拘りは必見です。コラムを依頼したのは、おさんぽみるく氏。ネット上での発言と一味もふた味も違う「フェチ」と「ウェブ」についての考察は興味深いです。ちょっと細身だった頃のおさみる氏の写真も見どころの一つかも。

 

また着ぐるみに魅せられたSA氏との対談もなかなか濃いものになりました。普通の性交とは違ったものに劣情を抱いてしまった悲しくも、切ない性の話はおススメ。夢川氏の「欠損」に纏わるコラムも読みごたえはかなりあったり。などなど総じてちょっとアレな一冊になっていますが、特殊性癖を分析するという挑戦的な企画故、興味のある人には多分かなり面白いのではないかと。同人誌だから出来た本という感じです。

 

③『'00/25 vol.4 特集:徹底対談/今オタクであること。』

ジャンル:オタク文化対談評論 94P/¥700

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<コンテンツ>(全編対談にて構成されてます)

おたっきぃ佐々木氏(元ラジオディレクター)

・橋本新義氏(編集者・ライター)

・木下崇氏(元グラフィッカー/プロデューサー・㈱エルフィンCTO)

・ランソム功氏(翻訳家)

・福田えいじ氏(原型師

 

昨今、オタクという呼称も一般化され、アニメを見ていてもふつうの趣味とみなされるようになったわけですが。こんな時代だからこそ、オタクという自我を強く持って生きてきた人たちの話を聞きながら、今後のオタク文化はどうあるべきか対談から見てみようという過去最も分厚い一冊。

 

招集メンツも『ツインビーPARADISE』『超機動放送アニゲマスター』など多くのラジオ番組で知られるおたっきぃ佐々木氏や、元はPC雑誌編集から現在ではEngadget日本版などで記事を書く橋本新義氏。元セガサミーで『ツインエンジェル』立ち上げに携わった木下崇氏、北米版の『進撃の巨人』など多くの作品を英訳したランソム功氏、あずまんが大王のガチャポンシリーズなど数々の原型を担った福田えいじ氏。歴々のオタクたちとの対談5本勝負を収録。かなり読むほうも体力を使うとの声が各所であがりましたが、その分だけの読み応えは保証できます。是非、本当の意味での「イキリオタク」の生き様を見ていただければ幸いです。

 

④『3K歌集』

ジャンル:現代クソ短歌・俳句歌集 46P/¥400

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表紙に書いてある通り。ツイッター生活5年間において、ふと生活から搾り出た短歌や俳句をまとめた個人歌集。タイトルの「3K」とは「暗い」「汚い」「悲しい」の略。基本的に全般愚痴や内省で占められており、読む側の失笑を買う出来となっております。また岩波書店パロディということもあって、確実に文芸本を探しに来た女性などがこの本を手に取り、一瞬で閉じて戻すという事案が起きてしまい大変申し訳なく思います。

 

正直なところ『'00/25』シリーズの作成が追い付かないため、とりあえず新刊を、という発想で作ったという拙速な本にも関わらず「今までで一番読みやすい」「一番笑った」など、まぁ普段のツイッターのノリで楽しめることが功を奏した模様。是非、在庫にしておくのも嫌なので買って行ってください。

 

 

ということで、以上4冊が新刊以外の既刊本となります。当然新刊もよろしくねということで、新刊宣伝ページは下記となります。

www.wagahaji.com

 

とりあえず3日目エ-32aです。島端なので見つけやすいかなと。是非是非遊びに来てやってください。