わがはじ!

めんどいオタクのブログ。

そんなに言うなら評論島へ来いよ(個人的評論情報本15選)

ここ最近、毎回コミケやら同人誌の話題ばかりで飽きられている気もしているのだが。もう少しだけ我慢頂きたい。というのも、ちょっとまだ言いたいことがあるのだ。

 

今回のコミケ前こんなことを呟いたら、思いのほか拡散されてしまいなんだか複雑な心境だったのである。

 

久々に5000RTなんかいったわ。ということで、ニッチな世界のはずのコミケでも更にニッチな空間が広がる評論・情報島。このツイートを見て「分かる」「そうなんだよなぁ」という共感と同時に「え、そんなものもコミケにあるの?」とか「エロ本だけじゃないのか」といった意見も散見されたのが結構個人的にはびっくりで。あぁ・・・そっか。そもそも評論情報というジャンル自体を知らないって人もいるのね・・・ということで、今回は個人的に「こういう本と出会えるよ」っていうのを自分の本棚から引っ張り出して紹介。お前らそんなに共感・拡散するんなら、評論島にも絶対来いよという半ばやっかみの記事である。

 

超個人的な紹介かつ、身内補正も多分に含まれているので、そこは暖かい目で見ていただければ幸いである。また、今回紹介するのは、これまでの参加歴で自分が購入したものであるため、現在は参加されていないサークルさんもある。そこはご注意くださいませ。

 

・サークル:悪人酒場 「ビール本シリーズ」

http://shop.comiczin.jp/products/list.php?category_id=5166

コミックZIN通販ページへ

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いやぁ、とりあえず流行ってるよね。グルメ&お酒関連。ということでその筆頭に近い悪人酒場さんとこのビール紹介本。毎度のフルカラー印刷かつハイクオリティなレイアウトデザインと醸造所に直接出向く取材力、もうなんていうかすごい。とかく「ビールが苦手」という人でも「こんだけ紹介されたら一つくらい口に合う銘柄もあんじゃねえの」と思えるほどのバリエーションを、なんとコミケで売ってる本で知ることが出来る。クラフトビールからコンビニで買える缶ビールまで、ありとあらゆる角度からビールを扱いつくす姿勢にただただ感服。バーなんかでちょっと一緒になった女子に知識ひけらかしたいという安易な貴方にもぜひ勧めたい納得の評論シリーズ。

 

・サークル:オタクとデザイン 『OTAKU×DESIGN』シリーズ

まんだらけ通販 | オタクとデザイン

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このシリーズをきっかけに評論島に興味を持ち、そして僕自身も雑誌を作り始めたという思い出深い本。デザイナーの染谷洋平氏が企画から制作全般を行った非常にスタイリッシュなシリーズとなっており、とらのあなのロゴデザインについての考察や、オタク関連グッズのパッケージデザインについての論評などは「こんな同人誌があったのか」と唸らずにはいられない。細かなコーナーなども秀逸であり、一冊通して文字が基調ではあるものの飽きずに読める。とにかくオシャレ評論同人誌の先駆け的存在と言えるだろう。

 

・サークル:くぬぎやま通信社「アキバ暮らしを楽しむ本」/秋葉に住む「秋葉に住む」

http://office-k2.sakura.ne.jp/akiba/ くぬぎやま通信社さん

秋葉に住む

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それぞれ別のサークルではあるものの一貫して秋葉原に住み、暮らすという視点で書かれた評論雑誌シリーズ。何が圧巻って、単なるカルチャー本かと思いきや完全に住宅事情からおすすめの周辺マンション、そして今後の建設予定までを網羅する、なんていうかアキバに住みたい人のための不動産バイブル。『アキバ暮らし~』の方がグルメといったよりカルチャー寄りなコンテンツを含むのに対して『秋葉に住む」の方が土地柄や立地といった硬派なイメージを抱く。何はともあれ、趣都秋葉原で暮らす上では全国流通している本以上に専門性が高く、地場に密着した情報を得る意味ではおススメなシリーズ。

 

・サークル:M3-PRISON『脱衣舞シリーズ』

看守控室@M3-PRISON/ウェブリブログ

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『脱衣舞』ってなんじゃそりゃ、と思われるかもしれないが、まぁストリップショーのレビュー本である。確かシリーズ19弾まで発刊されていたはず。なんでそんなものをセレクトするのかいえば、前にこのサークルさんとお隣になったのだが、いかんせんそのキャラの濃さに圧倒された。サークル主の短髪で金髪のおばちゃんから、ストリップショーへの愛とその魅力を開催中に教えていただけた。内心では「高須院長」と呼ぶほどのキャラクターで、本の内容も勢いそのまま。レイアウトは単調ながらも文字の力がすごいこと。評論島ではこういう濃い方との出会いも楽しみの一つ。そういう目線から足を運んでみると、思わぬ知識を授かったりする。一回浅草あたり、見に行ってみたいなぁ。

 

・サークル:テクノコスプレ研究会『女装と思想』シリーズ

同人誌 『女装と思想』 | あしやまひろこのサイトとブログ

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以前、弊サークルの既刊「女装という在り方」でもお世話になったあしやまひろこ氏主宰のサークル。なんていうか、うちと違ってインテリ感がすごいし、女装という文化に向かう熱量も並大抵のものでないと感じる。また三橋順子氏を招いた回などは読み応え十分。僕も同様な特集を組む中で「よく呼べたな・・・」と感心するほかないできとなっている。あしやま氏自身も多方面にわたって活動している為、同人活動だったりその他ニコニコ技術部だったりと、その活躍の幅は広い。今は沼津周辺の研究に忙しそうなので、またいつか『女装と思想』再開してくれないかなと内心思ったりしてる。女装文化について知る上でのある種の教科書とも呼べるシリーズ。

 

・サークル:金腐川宴遊会『二級河川』シリーズ

金腐川宴游会 (@kinyuukai) | Twitter

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正直このサークルさんの本は今のところコミケでは買えない。主に文学フリマにて活動されているようである。僕も以前文学フリマに参加した際にお隣となったときに諸々お話して、一気に惚れ込んだサークルだ。どうも高校生時代の旧友数人で活動しており、それぞれのニッチな知識を持ち寄って記事を書いている合同誌のテイスト。ちなみにシリーズ10作目までは身内だけで楽しむ為の会報誌だったとのことで、ノリで同人誌を作ってみたという。だが、それらテキストの質は異常に高い。ネタにしても「ファミ通町内会の人ら集めて長文書かせた」みたいな質量は、ぜひコミケ参加をお願いしたくなるレベル。サブカル好きなら、この本を見かけた際には確実に買い占めた方がいい逸品である。こういう謎のサークルとの出会いもまた、評論情報の魅力かもしれない。

 

・サークル:星空亭『この東方同人がすごい!」

紡 (@tsumugu) | Twitter

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東方ジャンルが一世を風靡していた絶頂期。東方オンリー最大のイベント「例大祭」が開始してから、しばらくしてそこに評論島が出来た。その中で見つけたのが本書である。この着眼点が憎い。他の二次創作と違い東方の世界観は半ばファンアートに任されている部分が大きい。そうすると、漫画を描く人間によって数々の東方の世界観が生み出される。そこに着目し、同人誌をレビューする同人を作ったという発想力は称賛に価する。当時も「あーこの手があったか!」と手を打ったのを覚えている。単に「何かのスペシャリストじゃないといけない」ということではなく、アイデア一つで雑誌を生み出す。まさに出版社の発想を見いだせるのも、評論という島の面白さだろう。

 

・サークル:手ブラおぢさんズ『ラベルデザイン』シリーズ

おかやん (@okayan08) | Twitter

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やけにテプラ好きな人っているよね。というところから、ここまでやるかというシリーズ。町中で見かけるテプラで作った表記をわざわざフルカラーで一冊の本に仕上げるというその気力がすごい。なんだろう、あの会社の備品に注意書きのためにテプラ貼るのはいいけど、情報多すぎて逆に何言いたいのかわからなくなっちゃってたり。日本人のデザイン性に対する悲しくも不器用な性をそのまま見せられているような気分になる。日常見逃しているところもよくよく見てみると「なんでここにテプラなんだろ・・・」みたいなツッコミを抱くこともある。そんなふとした時に感じる面白さや、シュールな空気を味わえる秀逸な一冊。

 

・サークル:町田メガネ

町田メガネ@3日目東T41b (@machidamegane) | Twitter

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正直言えば、胡散臭い。毎度なかなかに胡散臭い感じの本を出す。この夏コミも買いに行きたかったのだけど、自サークルから手が離せず。何がそんなに胡散臭いのか。まずは企画である。この写真の『秒速でDJに為る条件』完全に、秒で1億稼ぐあれのパロディだし、その他既刊にも『ツイッターコミュニケーション読本』『アラサーオタク女子生存戦略』『コミケマーケティング論』などなど。企画力と言えば聞こえはいいが、とかく煽るネタスタンスで顧客をつかむ。こういう戦い方もあるのだなと毎度唸ってしまう。評論情報は企画の強さが非常にモノを言う界隈である。そりゃ漫画と違って、試し読みもちょっと無理がある。その中において強気の評論ジャンルを、町田氏は繰り広げている。

 

・サークル:Ensonode『スク水あならいず』シリーズ

ぼつよん@C92-2日目東ミ01bちほー (@botuyo) | Twitter

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かつてこんなに適格で強いスク水紹介があっただろうか。と思わせるレベルの情報密度。なんていうか、これまではメーカーやデザインにとどまっていたスク水評論を素材レベルでの検証から、乾いたときの透け具合から強度といった部分まで徹底的に分析。詰まるところ、他製品との比較検討を行うという非常に理系的アプローチから発せられるスクール水着評論本なのだ。確か、購入するにはいわゆるメカミリジャンルに行かなくてはならなかったはずなので、手に入れにくい部分もあるが、そのコンセプトやスク水愛は間違いないため購入すべき代物である。未読の方は是非ともフェチの一歩先のスク水評論を味わってほしい。

 

・笹松しいたけ『スク水うどん珍道中』

新スクの淵から

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スク水の話題が出たならばこの本を外してはなるまい。コピ本と思って侮っていると、その猟奇的ともとれるコンセプトにやられる。先にいうと、まるでうどん関係ない。ひたすら空気嫁スク水を着せて、その触感や伸縮性、挿入のしやすさといった様々なポイントから評価をなす本となっている。そういう意味では上記の『スク水あならいず』の先駆なのかもしれないが、どうでもいい感も否めない。しかしながら、この本をきっかけに僕自身は氏とも関係性を持つに至ったし、なんていうかスク水は人と人をつなぐんだなぁって思いました。改めて読み返すと、よくこれでメンタル保っているな、と感じる良書。

 

・サークル:monomaniaK『Kemonoclome』シリーズ

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ケモノファンの為の評論誌。なかなかにその着眼点も鋭く、関連漫画のレビューから着ぐるみの論考、さらには性的欲求にいかにつながるかというようなフェティシズムの話まで及ぶ。僕個人かなり興味のある話だったので当時熟読したのを覚えている。ケモナーはなぜケモナーなのか。その問いは基本的に僕自身が現在行っている評論の在り方に近いし、あーもうちょっと僕も同人やってる時期が早ければなんか一緒にやってみたかったなぁと思わざるを得ない。アプローチも内省的というか、非常に自分の癖を一歩引いた目線でみようとするメタ視線が評価できる。今見ても、しっかりとした論考が編者の真面目さを伺わせる一冊。

 

・サークル:ダム日和 『私立荒玉女子高校ダム部 活動日誌』シリーズ

まずまずのダム日和

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結構ダムって人気あるんだなとよく思う。建造物の写真集なんかでもダムって思った以上に集客力あったり。そんなニッチながらも堅実なダムの世界を余すところなく同人誌にされているダム日和さんのシリーズ。このシリーズでは井上よしひさ著・少年画報社『ダムマンガ』というダムをテーマにした漫画の聖地巡礼を主に扱っている。そのため、周辺地図といった情報もわかりやすく掲載され、専門性というよりはイラストレーションから誰でもダムに親しめる内容となっている。このVol.4にて漫画の最終巻に追いついたため、この先はどうなっちゃうのかなとちょっと寂しい感じも。サイズもA5判と手ごろな感じもあり、かわいいながらも本格的なダム評論紙として魅力が詰まっている。

 

・サークル:外蛇口『外蛇口』シリーズ

外蛇口ドットコム

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数ある評論サークルの中でもかなり好きなシリーズ『外蛇口』ごん助氏の目の付け所にはもう拍手するしかない。だって、外蛇口だよ?完全に日常に溶け込んでいるのに「なんでこんなところに蛇口あるんだろう」と疑問に思ったが最後。この蛇口を誰が使っているのか、あるいはここの周辺にはどんな生活があるのかなど、想像力が無駄に掻き立てられてしょうがない。まるでトマソン物件のような哀愁と、その蛇口を見逃さない氏の執念には感服してしまう。このような「ふと見ると普通だけど、よーく観察すると面白いもの」それが評論島にはあふれていると思うし、この本みたいな視点を持つことで、日常世界がより面白くなると僕は思ったりする。

 

 

以上、なんかかなり長くなってしまったけど。トータル15選、いかがだっただろうか。多少触手が反応してくれたのならそれ以上のことはない。ただ、それでもここに挙げた本はまだまだ厳選ということで。まだまだ紹介したりないのが本音。「評論島面白そう」と引用コメでツイート拡散するだけじゃなくって、現場に行ってみるともっと面白いものがまだまだ散らばってたりするよ、という示唆だけ残して。とりあえず今日はもうお疲れさまでした。

異常、ということについて。

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今年も例年の如く夏コミが終わり。弊サークルの新刊も想定以上に捌け、もうちょっと作っても良かったかななんて。毎度数量は読めないもので、せっかく遊びに頂いたのにお渡しできなかった方がいて反省材料も残ったり。また冬コミに再販も考えてますのでそういう話はまた改めて。ひとまず今回も、新刊作成及び頒布に協力頂いた方、そしてわざわざ足を運んで頂いた全ての皆さまに感謝を表しつつ、また迫り来る冬コミへの企画を練り始めている次第です。本当にありがとうございました。

 

・初めて手紙を頂いて

ということで御礼もそこそこに本題へ。今回のコミケで僕自身、初参加から丸12年。サークル出店に関しては7年となった。頭の中は初参加当時となんら変わりないように思えても、やはり身体は衰えており、1日ちゃんと参加するとゲンナリしてしまう。アフターなんて言われても、半分寝てる。楽しい時間をより多く享受するには、そもそも体力が必要と思い知る。そんなアラサーにいつの間にか成り果てている自分に絶望しつつも、やはり楽しい3日間であることには間違いなかった。

 

今回、そんな年数参加してきた中でもなかなかないというか、初めての体験を得る事が出来た。ある方がサークルへ遊びに来てくれた際に過去既刊の感想を書いた手紙をくださったのである。そんな事もあるんだなぁと思いつつ、丁寧に閉じられた封を開け中をチラ見したら、その場でちょっと泣いてしまった。情けないけど、これまでやって来た事がここまで伝わっている人がいたのだと切に感じて、嬉しくて。

 

いや、当然ながらその文章を僕がエゴ全開で解釈しているという可能性も十分ある。その可能性を差し引いても、そこにあった文章というのは久々に自分自身がなんでこんな同人活動みたいなマゾヒズム的な事を延々続けているのか、思い起こさせてくれるのに十分な内容だった。

 

かいつまんで言うと、そこに書かれていたのは異常と正常についての話だった。軽く引用すると、果たして自分は社会の中で異常な存在なのではないだろうかという自問、そしてその解として得た「異常である自分」を認められなかった自責。そうした葛藤の中で弊サークルの既刊を読んで頂き、少しながら自分の異常というあり方に対して目を向けることが出来たというニュアンスが綴られていた。色々なネタが届いたことは純粋にうれしいし、そして恐らく。僕が同人誌を作る中で意識し続けていた事が、多分その方には伝わっている気がした。

 

・自分の異常さを知る瞬間

これまで僕が7冊続けてきたこの「’00/25」という雑誌シリーズの企画は正直言えば自分の中で感じていた世間との隔たりを少しずつ見直す作業だったように思える。キャッチコピーに「フェチとオタクを考える雑誌」と銘打っている通り、通常の性の趣向とは異なる「フェティシズム」と、趣味や愛好対象が世間とズレている「オタク」その双方が自分の中には小さな頃から根付いていると自覚していたし、手紙を頂いた方のように次第に社会の中で成長するにつれて「自分はおかしいのではないか」という感覚がハッキリと覆いかぶさってきていた。

 

別の文章でもたまに書くことだが、僕が中学生だった2000年頃。一部を除く世間はまだインターネットそのものを「オタクの為のツール」と捉えていたし、僕らもそう思っていた。しかもオタクという言葉ひとつとっても今より遥かに侮蔑の意味合いが残っていたように思える。美少女アニメなんか見ているヤツはヤバイ、そういう風潮の中でオタクは必死に深夜地方局に噛り付き、世間から隠れながらギャルゲー原作のアニメを貪るように見ていたのである。さながら隠れキリシタンの悲壮さが過ったりする。

 

また性癖も当時既にズレていた。今となっては各所で言いふらしているので笑い話なのだけど、ただひたすらに着ぐるみや全身タイツが着たいという謎の衝動に駆られていた。冗談みたいだが、当時セックスという概念も知らず、オナニーにも行き着かず結局精通もかなり遅かった自分にとってはただただ謎の感情との戦いに精神をすり減らしていたのだった。こんな感情がバレたら確実に人としてマズい。この衝動に恐怖感しかなかった僕は、上記のオタク趣味すら隠しつつ、このような歪んだ欲求を常に抱えている自分の異常性と向き合わざるを得なかった。

 

2017年現在では多少雲行きが変わってはきているが、基本的にオタクであることや、あるいは特殊性癖持ちであること。これを誰かにカムアウトするには大きなエネルギーが要る。学校職場など社会の中では、出来れば「普通の人」として過ごして行きたい。それは誰もが抱く基本的な願望である。後ろ指刺されながら生活する事を考えると、メンタリティをその中で安定的に保つことはなかなか厳しいものが伺える。

 

よく自分は異常かもしれない、なんて事を言えば「厨二病乙」と返ってくるしまぁ大抵その通りなのだけど。ただ、その異常は正常に対して間違いなくそこに存在している。そして、異常を自覚すると周囲の人間が怖くなる。自分が周囲からの攻撃対象なのではないかという妄想に終始陥ったりする。まぁ、なかなかに暮らしづらいわけである。

 

・徐々に見えてきた異常という日常

流石に僕もこの年齢となり、社会には色んな人がいて、そうした異常性を各々が持ちながらも暮らしているということが徐々に分かってきた。しかし、それが分かってきたからこそ感じる正常と異常の壁も存在した。例えば社会の中で次第に結婚、仕事といった社会システムの中で顕在化する壁もあれば、勿論小中学性の頃みたいな「異常即人でなし」というあからさまに残酷な壁をお持ちの方もたまに見る。

 

僕らは自分の正常な生活を守る為、異常を作り、なんとなくそれを排除する。それは生きる上での防衛本能であり、人間の営みの一部として自然な事である。ただ、おかげさまで僕はオタクであり特殊性癖という壁に挟まれた立場だったからこそ、色々な人と話す事が出来た。そして見えてきたのは異常であることもまた、その人にとっての日常なのだという結論である。

 

 

体感するとその異常と正常の壁は思ったよりも薄い。全く別の世界の人と思っていたとしても、自分が一歩踏み入れてしまうとその瞬間、自分の正常は変化する。異常だと思っていたモノが日常になる、その瞬間は想像よりも容易く、そして身構える必要すらなかったのではと思わせる。オタク趣味、特殊性癖全般。当然社会的に認められなさそうなモノも存在する。むしろ社会的に認める必要がないものもある。そうしたグレーゾーンにある沢山の異常が、誰かにとっての日常であること。そしてその真意の一端を、自分の同人誌において、ネタと笑い話を交えながら示す事が出来ればと思っている。

 

そんなもの表に出さなくても、基本的にはオタクや特殊な世界の人は世から離れてひっそりと楽しめばいい、あるいはそうすべきという主張もたまに見かける。言いたいこともわかるのだが、このご時世においてその姿勢を保つことは難しい。ちょっとしたことがSNSで流れれば周知の事実となり、隠していたと思いっていたことがいつ世に出て行ってしまうのか分からない。ならばむしろオープンにしたほうがダメージは少なかったり。

 

ネットの拡充によって、いろんなアングラ・サブカルチャーが地下にいられなくなっているのが現在の情勢であり、そうするとその対流は今どこででも起きてしまうものだと思う。お互いが共存「しなければならない」というなかなか暮らしづらい現状があるからこそ、昨今のLTGBの権利主張などといった運動の機運は高まりを見せているのではないだろうか。

 

・相互理解なんてできなくても 

というようなことを言いながら、僕個人「相互理解」という言葉があまり好きでない。勿論、相互理解出来ればこの上ないのだけど、往々にして異常と正常という認識の隙間を理解にまでこぎつけるのは難しい。なので僕がこういう同人誌やブログにおいて提示したいと思うのは「相互認識」あるいは「相互想像」という発想である。こういう人もいるとまず認識すること。そして、こういう人もいるんじゃないかと想像することである。

 

人間、何かを拒絶する際。「知らない」という立場から排除に繋がるように思える。それは国籍や宗教、年齢差、性別、障害者、社会的立場と他のカテゴリにも言える事だ。異常と正常という壁はどれだけ足掻こうと消えるものではない。それに対して「あぁこんな人もいるのか」とか「もし身近にそういう人がいたら」その認識と想像力からしか、こうした異常性と排除の問題をクリアできるスタート地点はないと思う。

 

だからこそ異常を異常として少しずつ開示する。そこにどのような理屈があり、物語があり、そしてこの先があるのか。なんだマイノリティの代表気取りやがってみたいな風にも読めて多少傲慢に見えるかもしれない。実際傲慢なのかもしれない。だとしても、そういう事を知りそして覗き込み、また踏み入れる事は本当に面白い。自分は異常かも、と周囲を疑っていたクソ厨二病的な自分さえ、色んな話を聞く中で「あぁ、全然自分普通じゃねえか」と思う事も多々ある。

 

なんていうかここまで小難しく書いてきてしまったけど最終的には、より違った異常を持った人と出会い、話すのがただただ楽しいのかもしれない。自分にはなかった感受性がそこにはあると思うと、異常である事、人と違うことは人と触れ合う上で大きな魅力のひとつなのだ。今回手紙を頂いた方には、多少なりともそうした色んな人たちの言葉から、異常性のポジティブな面を見ていただければそれ以上のことはないし、自分の世界が広がる瞬間を感じもらえればとても嬉しいなと。一人勝手に思っております。

 

 

結局、長々と自分語りみたいになってしまい、なんとも言えない感がある。纏まっているかも、イマイチしっくりきておらず、まぁ内省としてこんな文章もたまにはいいのかなと。冬コミもまた申し込んでしまったため、少しずつ企画を具体化していかなければ。1年って本当に短いなと、毎年早くなる時間の流れを感じつつ、とりあえずやるべきことを淡々とやらなくてはと思うお盆休み終わりでした。

 

夏コミC92既刊のご案内

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ということで、コミケまで一週間切りました。早いもんです。新刊の告知が済んだので改めてここで今回の既刊ラインナップをご紹介。新刊もなかなかあれだけど、まぁ既刊も大概アレなので、ぜひチェックしてみて下さいまし。

 

①『'00/25 vol.6 特集:女装という在り方』

ジャンル:女装文化評論 84P/¥700

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<コンテンツ>

・すちうる氏ロングインタビュー

幾夜大黒堂氏×あしやまひろこ氏×すくみづ鼎談

・しんいち氏対談

志村貴子放浪息子』レビュー/すくみづ

・コラム『その心意気やヨシ!」シゲヨシ伊東

 

とにかく女装する人の考えを掘り下げた一冊。表紙と巻頭インタビューは、関西においてラバー・ロリータ・SMファッションで異色を放ち、国内外に多くのフォロワーを持つすちうる氏。その行動原理や過去からのコンプレックスなど、表層では伝わらない部分について聞いてみました。また『境界のないセカイ』(KADOKAWA)などの著作で知られる漫画家/幾夜大黒堂氏と筑波大ミスコンで男性として優勝を果たした経験を持つあしやまひろこ氏を招き鼎談。それぞれの立場から、女装とは、性別とは、そしてその未来について幅広い目線から語り合ってきました。

 

更に、秋葉原にあるGame Bar「A-button」の店長であり友人のしんいち氏。40歳を超えて女装趣味を開始した氏の生きざま、心意気を伺ったり。あと『放浪息子』のレビューなんかも、僕が垂れ流したりしてます。なぜ僕ら、そして彼らは「彼女」として生きるのか。またかわいさを追求するのか。その発端や内心について、また性別という存在について改めて考えなおす。そういう濃い内容の評論・対談雑誌です。以前頂いた女性からの感想で「男に生まれ変わって女装してみたくなりました」とのこと。

 

②『'00/25 vol.5 特集:Fetists ~あなたのフェチはどこから?~』

ジャンル:特殊性癖考察評論 58P/¥500

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<コンテンツ>

・大阪フェティシズム女子会(本城みらい氏×inuso氏×華花氏)

・おさんぽみるくコラム「フェティッシュとインターネットをめぐる冒険」

・着ぐるみフェチSA氏との対談「フェチはどこからやってくる」

・『奇譚クラブ』から読む50~80年代フェチ文化のあゆみ

・夢川喜久路コラム「観念へのフェティシズム

 

「特殊性癖ってどのように生まれるんだろう。」そんな疑問からスタートした本企画。まずは関西まで足を運び、フェティッシュに造詣のある女性陣をお招きし、なんと女子会を開催。ちょっと人と違った性癖についてストレートかつ下ネタ全開で応えて下さっております。それぞれの個性も強く、普段はなかなか垣間見れない、お三方のフェティッシュへの拘りは必見です。コラムを依頼したのは、おさんぽみるく氏。ネット上での発言と一味もふた味も違う「フェチ」と「ウェブ」についての考察は興味深いです。ちょっと細身だった頃のおさみる氏の写真も見どころの一つかも。

 

また着ぐるみに魅せられたSA氏との対談もなかなか濃いものになりました。普通の性交とは違ったものに劣情を抱いてしまった悲しくも、切ない性の話はおススメ。夢川氏の「欠損」に纏わるコラムも読みごたえはかなりあったり。などなど総じてちょっとアレな一冊になっていますが、特殊性癖を分析するという挑戦的な企画故、興味のある人には多分かなり面白いのではないかと。同人誌だから出来た本という感じです。

 

③『'00/25 vol.4 特集:徹底対談/今オタクであること。』

ジャンル:オタク文化対談評論 94P/¥700

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<コンテンツ>(全編対談にて構成されてます)

おたっきぃ佐々木氏(元ラジオディレクター)

・橋本新義氏(編集者・ライター)

・木下崇氏(元グラフィッカー/プロデューサー・㈱エルフィンCTO)

・ランソム功氏(翻訳家)

・福田えいじ氏(原型師

 

昨今、オタクという呼称も一般化され、アニメを見ていてもふつうの趣味とみなされるようになったわけですが。こんな時代だからこそ、オタクという自我を強く持って生きてきた人たちの話を聞きながら、今後のオタク文化はどうあるべきか対談から見てみようという過去最も分厚い一冊。

 

招集メンツも『ツインビーPARADISE』『超機動放送アニゲマスター』など多くのラジオ番組で知られるおたっきぃ佐々木氏や、元はPC雑誌編集から現在ではEngadget日本版などで記事を書く橋本新義氏。元セガサミーで『ツインエンジェル』立ち上げに携わった木下崇氏、北米版の『進撃の巨人』など多くの作品を英訳したランソム功氏、あずまんが大王のガチャポンシリーズなど数々の原型を担った福田えいじ氏。歴々のオタクたちとの対談5本勝負を収録。かなり読むほうも体力を使うとの声が各所であがりましたが、その分だけの読み応えは保証できます。是非、本当の意味での「イキリオタク」の生き様を見ていただければ幸いです。

 

④『3K歌集』

ジャンル:現代クソ短歌・俳句歌集 46P/¥400

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表紙に書いてある通り。ツイッター生活5年間において、ふと生活から搾り出た短歌や俳句をまとめた個人歌集。タイトルの「3K」とは「暗い」「汚い」「悲しい」の略。基本的に全般愚痴や内省で占められており、読む側の失笑を買う出来となっております。また岩波書店パロディということもあって、確実に文芸本を探しに来た女性などがこの本を手に取り、一瞬で閉じて戻すという事案が起きてしまい大変申し訳なく思います。

 

正直なところ『'00/25』シリーズの作成が追い付かないため、とりあえず新刊を、という発想で作ったという拙速な本にも関わらず「今までで一番読みやすい」「一番笑った」など、まぁ普段のツイッターのノリで楽しめることが功を奏した模様。是非、在庫にしておくのも嫌なので買って行ってください。

 

 

ということで、以上4冊が新刊以外の既刊本となります。当然新刊もよろしくねということで、新刊宣伝ページは下記となります。

www.wagahaji.com

 

とりあえず3日目エ-32aです。島端なので見つけやすいかなと。是非是非遊びに来てやってください。

ビットコイン、ブロックチェーンがわからなくて

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気づけば世間は夏一色となっている。小学生は夏休みに突入、そしてロックフェスに花火大会に夏WFにコミケリア充もオタクもイベント盛りだくさんな時期となった。当方もコミケの準備はあらかた終えて、残りはPOP作成といった細かい作業を残すのみ。そして案の定、見事なまでに燃え尽き症候群に陥り、何もする気が起きないので、そういうときは極力本を読んだり、何かを吸収した方がいい。

 

当方どうしよもないオタクであるとともに、一介のビジネスパーソンであるので、社会の動向をつかむため日経新聞なんかも読んだりする。馬鹿なサブカル本やプリキュアエロ同人誌ばかり読んでるわけではないのだ。この時代の流れは早い、いつだって世の中の動きには敏感でなければ。

 

そんな思いから、昨今話題になっているビットコインをはじめとした暗号通貨の話題にフォーカスしてみようとワードを絞ってチェケラ。ふむ、なるほど・・・分裂ねぇ・・・あ、仮想通貨ってビットコインだけじゃないんだ・・・イーサリアム・・・なるほど・・・マイナー・・・えーと。なーるなる、これ、うん、どういうこと。

 

久々ニュースを読んでて、見事なまでキョトンとなった。なんていうか、今話題の分裂騒動はじめ何が問題になっているのか分からない。分からないところがわからない。完全にバカのいうセリフじゃないか・・・ちょっとした気分でインテリ気取ってマウントでもとりたい思ったら、ただただ自分の無知に向かい合った形である。いやいやいや。それにしたって、文系出の人間からしたら実際情勢がどのようになっているのか、分からない人って多いのではないか。

 

取り急ぎ「きっと分からないのは自分だけでない」という脳内防御線を張りつつ、焦ったので書店に駆け込み、ビットコインを始めとした暗号通貨を支えるブロックチェーンから学びなおすべきなのでは、と冒頭に掲げた本を買ってみたというわけである。今回はそんな本を読んで感じたことをつらつらと。

 

・「分かってるつもり」は、ほとんど分かってないということが分かった。

言葉では知っていた。今話題の「フィンテック」という言葉も、金融とIT技術が合わさった造語で、いわゆる昨今の仮想通貨経済全般を指す言葉であると。2009年ごろにサトシナカモトという謎の人物によって提唱されたブロックチェーンという発想から、これまでになかったセキュリティの形が生み出され、この仮想通貨文化も生まれたという流れくらいは抑えていたつもりだった。

 

しかし、徐々にページをめくると、和訳がちょっと勢い任せな部分もあったり、専門用語のオンパレード。プロトコル、あぁよく聞くよね。トランザクション、聞いたことはある。トークン、あぁ、それな。くらいのレベルの小生には「何を言っているのか分からない」という箇所に結構ぶつかる。もう気分は岩波文庫の哲学書。1行1行、主語と述語を探しながら読み充てる作業に近い。

 

まぁ、それでも悪戦苦闘しているうちに、なんとなく言わんとする外装部分だけは掴めた気分になってきた。その分かったかもしれない概要を、自分の理解の為にも書き記してみたい。各方面からツッコミがあるかと思うが、ド文系出身営業畑育ち。まだ勉強途中なんでそこは暖かく見守ってほしい。

 

以下自分のざっくりとした理解。

 

これまでは例えば、何かオンライン上で決済をしようと思ったら、中央に大きなデータベースがあり、それぞれアカウントという形でキーを設定。そのキーを使うことで取引の確実性や同一性を担保し、不正が行われないようにする。アマゾンや、itunesでのコンテンツ購入など、一元的なデータ管理状態からカード会社などを通し「現金としての」決済が済めばDLを行ったり、様々な契約を行えるというのが、今も尚続けられる中央集権的なオンライン取引の実態である。

 

それに対し、このブロックチェーンのコンセプトは、過去ファイル共有ソフトとして悪名を馳せたトレントなどで知られる「P2P」という仕組みが主幹となる。この「送金データ」のやりとりの形は基本的に単一の個人間、各PCがサーバとなり関連を構築する。その為、これまでのようなカード会社や銀行を通した煩雑な手続きは不要となる。

 

上記の一元的なサーバーでの管理とは異なり、それぞれ数多くの取引が(便宜上)オープンに、かつ改ざん不能な形でログに残されるという形で残される。そのため複製可能というデータの弱点を「オープン」「改ざん不能なログ」というシンプルな形で克服したものである。

 

また、取引に関して細かな問題が生じたとしても、それぞれが単一のやり取りであるため、大きな障害には繋がらない。例えば、大きなデータベースなどは一度クラックされれば、顧客情報の流出を始め大きな損害が生まれる事は想像に容易い。

 

ただ、例えばビットコインではその取引を成立させる「マイナー(掘る人)」の存在が不可欠である。ある意味でその第三者的存在に取引を公開するからこそ、ブロックチェーンの上記メリットが保たれる。裏を返せば、そうしたマイナーの方法や規格などの差によって、今や何百種という仮想通貨が生み出されており、昨今の分裂問題もその中で起こっている話である。

 

今話題の分裂問題については下記、東洋経済オンラインの記事が分かりやすい。

8・01ビットコイン分裂騒動とは何だったのか | 家計・貯金 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

 

・もはや「金」と「価値」って何だろうっていう話

いやぁ、なんていうかふわふわした知識でさんざんまくし立ててみたわけだが、言葉がどうも胡散臭い。もう一回大学行きたいと切に思う。まぁ専門的な知識は、今後も引き続き勉強を続けるとして。

 

以下はちょっと、それら仮想通貨を踏まえた価値観のお話。本書を徐々に読み進めていく中で、興味深い発想がそこにあることに気付く。現在の貨幣経済そのものすら見直すような発想である。

 

この本の終盤に「ウーバー」のような、ライドシェアリングサービス「ラズーズ」の話が出てくる。これはユーザー登録した車の保有者が、依頼に応じて乗客を取るというとこまではウーバーと同様。しかし、その乗客との金銭取引は発生しない。報酬として運転手には仮想通貨が与えられ、それと同時に運転手としての評価を受けるという仕組みのサービスである。

 

更に、変わっているのは、この「ラズーズ」を使う客側は、このサービスで得た仮想通貨から支払う必要があるということである。つまり、価値の提供と報酬が一体となっているということだ。ただ、こうした仕組みづくり自体が難しいのと、ユーザー層の増加等には至らず、まだ構想段階で止まっているらしい。

 

ただ構想段階とは言え興味深い。つまり、この仕組みの中では仮想通貨という媒介はあれど、根本的に金銭が要らないということだ。サービスに対してサービスで応える。自分が同等の価値を相手に提供するという、それこそが貨幣価値に近い存在となる。そこではもはや金銭取引という、共通の価値に置き換える手間が省かれている。

 

これからの時代はその「価値の交換」という概念が先鋭化されると感じる。土地や金銭、そうした資産的価値をどれだけ持っているかという事も重要な富の規準であることは変わりないだろう。しかし、それ以上に今自分の持っている価値とはなんなのか。それを問われる時代になるのではないかと身震いする。

 

先日、元アスリートの為末大氏が「価値を生産出来る人間が多いほうがいい」という文脈を使って、ツイッターにて炎上していたことを思い出す。その氏の思想は、どことなく「人は社会における歯車である」という前提を推し進めるようで、やはり受け入れがたい。確かに、人は生まれてきてそれだけで価値あるものだ、という思想には相反するものがある。

 

しかしながら、生まれてきただけで十分とはいえ、その人生において何をするのか。誰にどんな価値を提供できるのか。その問いかけからは、誰しも逃げられるものではない。今後この仮想通貨が展開する「価値の交換」が投げかけるものは、これまで現実で担保されていた「貨幣」の価値と「人」の価値をシームレス化するもののように感じられた。

 

その面で言うと「VALU」というサービスが最近一部で流行り始めた。それが意図するものは、おそらく近年のただ「人と繋がる」ことを目的にするSNSが提供するそれではない。人の価値すら流動的になり、ビットコインという仮想通貨によって売り買いされる。いいね!を押す感覚で経済的価値が動く。それは、これまでの承認欲求からワンステップ進んだソーシャルメディアの形だろう

 

クラウドファンディング程、明確な事案を起こすまでもなく「期待できそう」というよりふんわりとしたパーソナリティに対して投げ銭が行われる。現在このサービスに対しては各所「意識高い人らのための金集めツール」という印象があるように思えるし、どことなく僕自身もそのように思っていた。

 

ただ、今回分からない中でも本を読み、記事にいくつか触れ、ブロックチェーンや仮想通貨の可能性を垣間見る中で、恐らくこれらは確実にこれまでの我々が抱いていた「経済」「価値」というモノを改めて問い直すサービスのように思える。「VALU」というサービス名もなかなかに芯を喰っている。

 

どこでも示唆がある通り、仮想通貨について一部では取引がなされている反面。今回の8.1問題による取引停止のように、実際の導入や法整備、インフラ構築には莫大なハードルがあるし、一朝一夕にこうした仮想貨幣経済なんてものが成り立つものでないことは自明の理である。ただし、今回読んだ本でも頻りに書かれていたのは「既にインターネットを我々は見ている」というものだった。その変化はビジネスモデルから時代の大部分を覆い尽くし、それ以前には想像のできなかった時代を僕らは今過ごしている。

 

受け売りで恐縮なのだが、この仮想通貨という発想、あるいはブロックチェーンという着想が至る場所はその先だ。「お金をもっているか」ということから「この人は何ができるか」という見方へより強まるんじゃないかと。そんなことをぼんやりと素人ながら思った話でした。

 

長々すみません。

仕事で消耗しない為に思い出す3つの言葉

とりあえず夏コミに向けたファイル制作やら宣伝記事やら。そうしたマスト事項はあらかた終えたので、今日は根暗な独り言を好き勝手最近思っていることを書こうと思う。

 

海の日も通過し、待望の3連休を終え平日に突入。やはり連休そのものは素晴らしい概念だけど、それが終わる瞬間は本当にクソの極みといった感情に襲われる。「あぁ、グダグダできる時間が・・・」「先週末のタスクが残ったままだな・・・」「またあの人に会うのか・・・」などなど。そうしたネガティブイメージを極力何も考えないようにしながら布団に入るも、未練がましくタイムラインをめくる手が止まらない。

 

そうすると自分と同様、断末魔のようなつぶやきが流れていく。そうだよな、みんなツライんだよな・・・そんな悲しい同調をしながら嫌々眠りにつき、翌日の労働に身を任せるのである。そう納得はさせてみても、やはりツライものはツライ。なので、日ごろ自分自身が、自らに言い聞かせて労働に勤しむこの身をなんとか前向き、いや後ろ向きでも労働に向かわせてくれる言葉を三つここで掲げたい。

 

何も「お前らがんばれ!」という気持ちからではない。あくまでも自分に対する応援歌をリマインドする意味も込めて、今回はツラツラと書きとどめることにする。まぁ、正直前向きな話では決してないのであしからず。

 

 ①「人より偉い法人があるはずない」

宮田珠己『なみのひとなみのいとなみ』(幻冬舎文庫)より

 

この言葉を聞いたときには「あぁ、いいことを言うなぁ」と切に思った。本書は無気力旅行記で知られる宮田珠己氏のエッセイ集の一説である。本書を誰か友人に貸してしまって、そのままであるためちゃんとした引用ができないのが申し訳ない。本書にはいろいろな話が収録されているが、労働について書いている章は特に興味深い。概要を示すと、この宮田氏はもともと編集や文字書きといった仕事に就きたかったにも関わらず、不動産活用の営業という全く畑違いの興味のない部署に配属される。

 

その中で果たして自分は、このまま仕事をし続けるのか。まったく興味のない分野で働くべきなのか、という問いに晒されるなか、ようやくたどり着いたのがこの見出しの一語である。「そもそも人から生み出された概念である法人が個人より偉いというのはどういうことなのか。ファンタジーが現実より偉いはずがない。金を払うなら働いてやってもいいぞという立場こそ、本来の個人と法人の在り方ではないだろうか。」という自説を述べている。またその境地に至ってから、働くことが楽になりほかの部署に異動してからは、自ら倒れるまで働いたという。

 

まぁ、ぶっちゃけ詭弁であることは確かなのだけど、ついついこういした発想には頷けてしまう。人が生み出したファンタジーである法人ごときに僕は一体何をへこへこしているんだ。主従関係をわからせるべきじゃないか。というのは、働く身としてみればなんだか心強い言葉だ。そもそも、労働についつい虐げられがちな現代人にとって、まず法人と個人の関係性を問い直すためには非常に有益な一言であると感じられ、毎日自分に言い聞かせている。

 

②「この宇宙に比べれば・・・たかが野球!」

島本和彦氏『逆境ナイン』(サンデーGXコミックス)より

 

ここで島本先生の作品『逆境ナイン』でのこのセリフを挙げたい。この作品自体、トンでも野球漫画としてはかなり知られている作品である。ちなみにこの全文は下記の通りだ。

「星か……。この宇宙のどこかでは今も――おたがいの星の運命をかけて、壮大な宇宙戦争が行われているんだろうなあ……。それにくらべりゃ……たかが野球!! まだまだ……、まだまだ……!! どうにでもなるさ……なあ宇宙よ!!」 (1巻2話「完全勝利」)

 

数々の名言で知られる島本作品だが、個人的にはこの一説が非常に好きである。しょっぱなから校長の廃部宣言、それに対して宇宙という大きなスケールでメインテーマである野球をあえて飲み込み、本来は野球にまつわるべき話なのに、その野球という存在を小さくとらえる。正直野球を魅せるべき漫画としてはありえないタブーのやり方だ。

 

しかしながら、これは人生にも非常に染みる一説だ。はっきり言ってしまおう。たかが、仕事である。金をもらい、時間を奉仕し、生活に費やす。確かにその大きな要素ではあるものの、自分の人生すべてを決めるものなのだろうか。あぁ、宇宙よ。その広大さと比較すれば自分の今の仕事など、なんとちっぽけなものか。特段人の生死にかかわることも少なく、種々の利害を調整していく。周囲の人間関係など宇宙と比べれば些末な問題。その中で何を仕事に嘆くことがあろうか。

 

そんな気持ちをふとこのセリフからは呼び起こされる。所詮仕事じゃないか。自分の人生を改めてとらえなおすという意味でも、この発想は非常に重要であり、島本作品の中にはこのようなヒントが数多く残されていたりする。

 

③「生活保護で東京観光するのも悪くないよ」

これは我が、母親の兄貴。つまり叔父の言葉である。私の母親は山口県の生まれ。当然その兄も山口出身なのだが、この兄がなかなかに破天荒な経歴の持ち主であった。20代後半に飲食店経営、また30歳になるとシカゴへ渡米。自分の腕一つでアメリカで寿司屋を経営などしていたとのこと。しかし、経営不振により帰国。今度は新潟にて職を見つけ結婚。しかしながらそこで見つけた嫁さんが、どうも結婚詐欺のきらいがあり、種々恫喝を受けて離婚。

 

気づけば心臓を病んでしまい働けない身に。見かねた母がもろもろ対応をし、我がふるさと東京の江東区への移住を決断。生活保護を受けながら我が家の近所に住まいを持つに至った。そんなご近所となっていらい、たまに正月やお盆といったイベント時期には顔を合わせることになる。その中で、叔父が言ったセリフがこれである。

 

「いやぁ、生活保護受けてるとスカイツリーも安くなったりするのね。東京観光楽しいわ」

 

正直、ネットでこういうこと言うと炎上するのもわかる。実際僕も反感を抱いていたのは確かだ。だけど、なんていうか身内にいざそんな呑気なことを言い出すおっさんが出てきて、なんとも憎めない顔で過去の悲痛な経歴を笑い話にしているわけで。僕自身、少しその叔父との関係をもとに人生観が変わった気がする。なんていうか、完璧な人生でなくていいのかも。なんとか、生きてはいけるもんなんだなと。そんな風に思ってしまった。

 

思えば、我が家。父は元プロのバンドマン。父の兄はサーフボード職人。母の兄貴は上記の通り謎の経営者。もう一人の兄は地元で輸入雑貨店を経営したりと、まともな社会人がいない。

 

この三つの言葉は、前向きに今の社会人生活を送るための言葉というよりは、あくまで「こんな生き方もあるよね」とか「そもそも社会に迎合しすぎずとも生きてはいける」という事実を示してくれる言葉そのものである。

 

確かに今、仕事をパッとやめてしまえば困窮にあえぐことは間違いないし、そんな選択肢は取れるはずもない立場にある。ただ、日々の仕事によって「こうしなきゃ」「この仕事が失敗したら」という不安に押しつぶされそうになっている人には改めてかみしめてほしい言葉だと思った。そこまで無理をせずとも、人生何とかなったりするものよ。と。

 

あんまり無責任なことは言えないけれども。責任や社会体といったくだらないことで自分の価値を推し量らずに、たまには人間として生きる。仕事とは違う目線で人生を考える。そんな思考のために自分にとって必要な言葉を並べてみた。誰かの参考にでもなれば。

 

仕事は大切。たけども所詮は仕事。そんな気持ちはやはり今の時代において、誰もが持っていても損はないと思う。

夏コミC92新刊告知『これからの「性器」の話をしよう』

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今年も気づけばいよいよ夏コミまで一か月を切りました。ということでまた凝りもせず、バカ雑誌作りましたので新刊のお知らせです。こんな感じの本になっております、ハヤカワさん訴えないで下さい状態です。下記新刊の詳細です。

 

【タイトル】「’00/25 Vol.7」

【特集】これからの「性器」の話をしよう~明日を生き延びるための下ネタ~

【サークル】わがはじ! 

【ジャンル】下ネタ思想評論雑誌

【参加日/サークルスペース】8/13(日)3日目 東ホール エ-32a

【価格】700円(予定)

【備考】サンデル先生ごめんなさい

 

 

ーー昨今、我々の性をめぐる環境というのは大きく変わりつつある。

 

もはや社会を考える上で当たり前の状態となった晩婚化や少子化、それらは当然ながら社会制度や所得水準の変化によるものが大きいと言われる。しかしながら、そもそも我々の「セックス観」が変わってきているんじゃないか。そう思ったのが今回の企画のきっかけである。そこでアダルトVRや催眠音声製作者など、新機軸の「セックス/オナニー」にまつわる方に声をかけ対談をし、またそうしたカテゴリをもとに寄稿を募った。

 

いや、まぁ、なんか真面目に言ってるけど、表紙の通り過去で一番酷い文章が並んでいるのは間違いないと思う。

 

ということで以下コンテンツです。

 

①【対談】 アダルトVRゲーム制作サークル「VRJCC」に迫る
ヴァーチャルリアリティにおけるエロという<リアル>と<フェイク>
プログラマ>Roba × <広報企画担当>ねこやま

【VRJCC】なないちゃんとあそぼ! (@VRJCCpro) | Twitter

http://www.vrjcc.com/

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『なないちゃんとあそぼ!』©VRJCC

アダルトVRゲーム『なないちゃんとあそぼ』を発売し精力的に活動する同人サークル「VRJCC」今回はそのゲームが出来た過程と内情を聞き出してみた。さぞや今ノリにノッているように思えるVR界隈。その中で足掻き、苦しみ、新たなVRを駆使したエロを生み出すべく奮闘するRoba氏とねこやま氏のトークから、これからのエロにおける「フェイク」と「リアル」を考える。

 

 ②【対談】 フェティシズムと催眠が交差する場所
催眠音声製作者に聴く「声」というオナニーグッズのちから

催眠音声製作者:やん

http://blog.livedoor.jp/yanh_japan/

やn@1日目(金)東ぬ02a(@yanh998)さん | Twitter

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DLSite愛用者ならお気づきのことと思うが近年「催眠音声」というジャンルが急成長している。現に私もどハマりしており、その世界の深みに日々驚きを隠せない。今回はその中でも、特殊なシチュエーションや深い物語性で定評のある音声製作者やん氏に対談を依頼。催眠が持つ魅力と今後の可能性などについて語り合った。最後にはコラムも追記頂いた。

 

 ③【対談】 ふたなりオンリー同人即売会「ふたけっと」主催と語る
なぜ人は「ちんこ」をそんなに生やしたがるのだろうか

ふたけっと主催:すぢこ

http://hutaket.com/

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ふたなりオンリー同人即売会というニッチながらも長年続き、老舗イベントとなっている「ふたけっと」その主催を務めるすどこ氏と語り合う「なぜ人はそこまでちんこ」が好きなのかという話。さらに長く続くイベントとしての矜持、これからのオタク文化が迎える壁など幅広い話題を下ネタベースで語り合った。

 

 ④【寄稿】 催眠音声とも一味違う!一歩先の声萌(こえぶた)の終着点
まさに女性を堕とす「シチュエーションCD」の魔力とは

著者:うるちさよ

http://sayoyo.net/ 

うるち さよ (@uruchi_s) | Twitter

ともすれば、催眠音声と混同しやすい「シチュエーションCD」男性声優による甘い言葉の
羅列は、催眠とは異なる次元で女性を堕とす。ドリームの先にあるこの文化の魔力を本人も
どっぷりなうるちさよ氏に語って頂く。ハマらないと思っている貴方こそ、きっと危ない。

 

⑤【寄稿】 「膣内射精」という決まり文句でおなじみ
「新スク水の淵から」出張版 ~「理想のセックス」とはいずこに

著者:笹松しいたけ

新スクの淵から 

笹松しいたけ (@s_sasamatsu) | Twitter

僕が知りうるインターネット界隈においてここまでストレートに膣内射精への願望を語るブログを他に知らない。そのストロングスタイルかつ知的な性への物言いは、単なるなれ合いと化したSNSを一刀両断するだけの力を持つ。今回その笹松氏の助力を頂きたく、本誌に出張して頂いた。

 

 

⑥【寄稿】 愛は憎しみを招き、そしてまた愛に還るのか・・・
定期連載「その心意気やヨシ!」<エロ同人RPG>その絶妙な世界に潜る

著者:シゲヨシ伊東

本誌ではおなじみになりつつあるシゲヨシ伊東氏のコラム「その心意気やヨシ!」毎度鋭角な切り口から世の中の人間の性を切り取っていく。今回は「同人エロRPG」編者個人、その存在すら知らなかった世界だ。聞けば思いの外彼がハマっていたので、愛憎込めて語っていただいた。

 

 ⑦【寄稿】 「性」を考えることは「生」を考えることに似たり
グノーシス主義的性器運用のスゝメ

著者:賽原庚太郎

性向とは何か。人間とは何か。今回の本質的問に真正面から捻くれた目線で取り組んだライター賽原庚太郎氏の本稿。セックスを求める先にはどんなエントロピーが存在し我々の「意味」はどこへ向かうのか。グノーシス主義を基調としながら大胆な説を宣う。壮大なカルトくささと共に本誌の総論的文章。ぜひとも受け取ってほしい。

 

 以上、こう並べてみるとけっこう盛沢山。気になった方は当日ぜひ遊びに来てくださいませ。毎度ながらも濃厚かつグタグタな本になっておりますのでなにとぞよしなに。

 

また既刊も持っていきますのでこちらからチェックしてみてくださいね!!

sukumizumi.tumblr.com

 

ということで、暑い日が続きますが身体に気を付けて毎日を過ごしましょう。

『失敗の本質~日本軍の組織論的研究~』を読んで感じる宗教的思考の重要性

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夏コミ原稿中に読んでた本についての感想その2である。自分でも思った以上に頭の中に、いろんなことがたまっていたらしく、珍しく続けての日記を書いている。それにしても売れているらしい、この『失敗の本質』(中公文庫)。各書店大きいところはどこでも平積みだし、今回都議会選でも話題をかっさらった都知事の小池百合子氏が推してるという文句でも注目を集めている。

 

この本は日本軍がなぜ戦争に負けたのか。その理由を「なぜ戦争に至ってしまったのか」という歴史的経緯的理由を排して、あくまでも「戦略的・組織運営的」に分析したものだ。もとは80年代に発刊されたので、今考えると30年近く前の本である。それがいまだにビジネス書として共感を呼び、注目を集め続けるということは、まぁそれだけこの30年間を通して、いや、本書が扱っているのは戦時中の日本軍の挙動なのだから、少なくとも100年近く。本書が指摘する「日本の組織における失敗の本質」は未だに拭えていないというのが実情なのだろう。

 

・今の社会でも通じる「あるあるネタ」が詰まってる

上に書いた通りなのだが、この本が今になってもに売れているということは、日本軍が抱えていた問題が、現代社会における日常でも「あるある」と感じてしまうということを意味している。これまで僕自身、戦時下の歴史モノ書物は過度に専門的だったり情報に偏りがあったりと、ちょっと避けてきた節がある。しかし本書ではなるべくそうした恣意的な部分はなくすよう努められているし、フラットにその戦略のみを考える姿勢が初心者にも読みやすい。

 

そして、現在の版の表紙に掲げられている「破たんする組織の特徴」という文章で、本書の大枠は理解できてしまうのだが「トップからの指示があいまい」「大きな声は論理に勝る」「データ解析がご都合主義」「新しいかよりも、前例があるかが重要」といった例示が掲げられている。お勤め先によっては、ついつい頭を縦に振ってしまう企業人も多いのではないかと思われる。これら負の要素が、ノモンハン・ミッドウェー・ガダルカナルインパール・レイテ・沖縄という6つの作戦を通し、どのように垣間見えるかがこの本では示されている。

 

この本の最も秀逸なところは、これら日本軍の組織的弱点は、戦後社会の企業風土においても影を落としているのではないかという着眼点から研究がスタートしているところにある。そもそも日本軍という組織自体、明治大正期には勤め先としてもお堅い処というイメージがあり、組織統制もしっかりと機能していたという。つまり比較的平時や計画が通しやすかった頃には官僚的組織としてきっちり機能をしたということだ。しかしながら終戦期のような環境や状況が変化し当初の想定から外れた時、上記のような組織の機能は瓦解していった。

 

この戦時における環境や状況の大きな変化を現在の経済世界に当てはめるならそれは情報化社会の波であり、グローバル社会の到来と言える。またその日本組織瓦解の現代版モデルケースとしては東芝や松下といった大手電機メーカーが当てはまるのかもしれない。それについては『失敗の本質』をモチーフに書かれた大西康之氏の『東芝解体 電機メーカーが消える日』(講談社現代新書)が詳しいのでオススメしたい。いずれにせよ、未だに日本軍の組織風土がどこかで引き継がれており、本当に今の時代に適した組織作りは、この国において道半ばであることを痛感させられた。

 

帰納的考え方の根底にあるものとは

本書の中でも批判される日本軍の考え方の一つに帰納的発想がある。帰納法とは、その場その場の現実を踏まえて判断や目標を決定するというもので、オペレーションにおける柔軟性という面では分があるものの、戦略としては場当たり的になりやすく、かつ全体としての組織統制には向いていない発想である。つまるところ、戦争における明確な大目標(グランド・デザイン)が欠如していたという批判がなされているのである。

 

結局、この戦争は何をしたら勝ちなの?この戦いではどの点をクリアすればよいの?日本軍では陸海空軍それぞれの仮想敵国や理想とされる戦い方が異なり、空気を読みあった結果、中途半端な作戦目標が策定されたりした、という具合だ。確かに現場からしてみたら、自主性を尊重と言われたところで、何をすべきか各々が考えるのだから日本軍全般としての統率なんか取れるわけがない。今で言えば先輩から「自分で考えろ」と言われやってみたはいいものの、結果が伴わず怒られたりするアレに近い。つまりは、その場その場での各組織の利害、個人の感情が過度に強調され、結局根本的な「これをしたら我が国は勝ち!」という具体的な事案も明確になされないまま「大東亜共栄圏」というユートピア思想のみを掲げて戦ったというのが大きな敗因の一つであったのだろう。

 

では何故、そのような場当たり的帰納主義がはびこったのかと考えると、どうもこの国民性というか宗教性の薄さなような気がしてくる。そう言うと「当時は国家神道が」とかそういう反駁が聞こえてきそうだが、ここで言う宗教性というのは「信仰深い」ということでなく「自分の生の意味を問い直す」という営みが習慣として薄いのではないかという事を言いたい。

 

何が言いたいのかと言えば「自分はどのように生きていくのか」という自問をするカルチャーがないということだ。戦略も一種の哲学と相似している。「何をしたら勝ちなのか」を決めることは「自分の人生における幸福概念とは何か」を決めることと近しい。その営みは宗教的であると僕はそのように思う。そして、そうした「人生の目的を考える」宗教的な発想はその場その場での立ち回りを考える帰納的発想の逆を行く思考ではないだろうか。元来、この国の宗教観はやはり土着の発想として神仏習合という概念が存在するように、宗教そのものにも場当たり的措置が根付いている。人生にも、仕事にも。そうしたグランドデザインを作り出すこと自体、この国ではそもそも文化として薄いという自覚は、単なる組織論ハウツーとしてでなく、より根本的な部分で考えたほうがいい思想だと感じた。

 

・組織論として「個々が何をすべきかを考える」こと

ありきたりな結論ではあるものの、この表題のような事が頭を過ってしまう。個々で何をすべきか考えるって、それではさっき問題視した現場裁量と一緒では?という疑問はあるかもしれない。それでもやはり、まずは一人ひとりが「何をしたいのか」「何をすべきなのか」を考える事は重要なことである。そこをスタート地点とし、それらを共有あるいは練り合わせをして、大きな組織としての具体的な行先を決めるという事は、組織運用の中で基本的かつ最も重要なことであろう。

 

またそれを実行する上で、最近面白いニュースを見た。話は飛ぶが岐阜県の各務野高校という学校の野球部がNHKで特集されていた。近年実力をつけており、今年は甲子園出場も狙えるほどのチーム力だと言う。そのチームの特徴は「年功序列をなくした」ことだ。監督が現役時代「先輩に気を使い、何も言えなかった。そんな環境で練習してもあまり野球が上手くなったとは思えなかったので、真逆のことをやろうと思った」とコメントしている。試合のサインも下級生が出す。それを選手も首を振ったりしながら戦略を決める。その関係性に遠慮はない。各人が何をすべきなのかを表出させ、ぶつけ合い、試合に勝つという明確な目標に繋げている。特に印象的だったのは、練習中、不用意なプレーがあった場合に二年生や一年生が声をかけてプレーを止める。自分の意見を述べてまた、練習が再開する。

 

縦社会や官僚的組織において、最もありがちなデメリットは発言力のない人間が存在してしまうということだ。確かにどのような社会においても、本人の性格も含めて、そうした発言力の大きさに差異は生まれてくるだろう。しかし、その壁を限りなく低く、あるいは発散させやすい形にすることで「誰でも何かが言える」という風通しを作ることができる。そしてそれは「自分がその組織で何がしたいのか」という組織内での個々のグランドデザインを構築するきっかけになる。

 

どうしても、我々日本人というものは。友人家族でさえも普段の会話において当り障りのない会話が多かったりする。コミュニケーションを円滑に回すという意味では仕方のないことかもしれない。ただ、そこで。「人生における自分の在り方」だとか「生死について考えること」そういう宗教に近い営みを自分の中に持つという事が、または上の各務野高校のようなフラットな関係性を作り、そうした考えを表出させられるような関係性を誰かと持つということが、各個人の演繹的思考の一助となり、この国における組織の弱点のひとつを乗り越えるヒントになるんじゃないかなと、そんな事を考えてしまった。

 

長々と思った身勝手なことを書いてしまったが、まぁ、深夜の独り言ということで許してほしい。