わがはじ!

めんどいオタクのブログ。

『カメラを止めるな!』感想を超うだうだ書くので見てない人は読まないでね その②

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今話題の『カメラを止めるな!』を観てきた。昨日に引き続き2回。普段映画を全く繰り返し観ない質の自分が能動的に2回行ってしまった。由々しき事態である。そんな感情も観た人なら理解できるかもしれない。繰り返し検証してみても、やはり面白い。カップルで見なくたって面白い。なんならカップル溢れる中、おっさん独りだって面白い。

 

 

 

ということで、①に引き続き、以下は本当に完璧なネタバレ全開なので、見てない人は絶対見ないでね。

 

 

 

 

 

見ないでね。

 

 

 

 ※こちらは正式な『カメラを止めるな!』の感想となります

 

・突飛な王道ホームコメディ

ここから早速、すべてネタバレ含め漏らしだす。「漏らす」って、もうそれすらネタバレになるのが恐ろしい。正直な話、見た直後は「おー、何か言うのも野暮なほど痛快な作品!」と思った。ネタバレしない!とかではなく、王道で素敵な作品で何も言う必要がないと思ったのだ。ハッキリ言えば結構ベタなアイデアだと思うし、何ならアンジャッシュのコントみたいな劇中劇コメディである。

 

ただ、ここまで明確に前後の作品を分けたのは、もう「潔い」としか言えない。見ている側が本作の本当の構成を理解・納得している間に、前半の謎がことごとく後半で解かれていく過程というのはまさに「快感」だった。なんなら、そこに家族愛要素やら、文化祭サクセスストーリー感、そして観客と同じ目線の胡散臭いプロデューサーを置くことで、すげえバランスのとれた1時間半を産み出している。

 

なんなら、尺をもう少し設けて、本作後半の制作パートをもっと人間関係まで緻密に作れば、客は最後のドラマの完成で感涙したりするだろう。正直、そこまでせずともきっちり笑えるし、ほっこり出来た。前半ドラマパートでの様々な「不安定さ」が後半の安定感を余計に促進させており、観終わった後、後腐れのないスッキリとした感情を抱かせてくれる。

 

・メタ作品に没入するということ

さて、ここからが本題である。上記の通り、スッキリ見れたし何も言わなくてもいい、ゾンビ映画に何を言っても野暮というもの。というのが僕の第一印象である。ただ、オタクはやっぱし面倒な生き物だ。あえて「オタク」と主語を大きくしたが、きっとこれは個人的な問題じゃない、たぶんオタクなら、共感してくれる・・・よね。

 

というのも、鑑賞から時間が経つごとに様々なイフを考えたくなってしまったのだ。そして本作に心から「やられた!」と思ったのはここから話す内容についてである。

 

『ONE CUT OF THE DEAD』とは、前半のゾンビドラマパートの30分であるが、例えば僕らがこの作中世界にいたとして、これをリアルタイム放映で見たとしよう。その時にどんな感情を抱くのか、ということが気になってしまった。後半のネタバレのない純粋なB級ゾンビ映画として、生中継、そしてワンカット撮り。その予備知識があったなら。どう、本作を解釈するのだろうか。そんな好奇心もあって、今回実験的に感想文を2つに分けてみた。

 

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①はあえて『カメラを止めるな!』の後半、本当の裏側を無視したイフの文章だ。ただのゾンビ映画・オカルト好きが本当に『ONE CUT OF THE DEAD』本放送を観たら。そして、好意的な解釈のもと本作を評価したら。という仮定で書いた批評記事である。ちょっと長く書きすぎた感が強いが単純に僕の趣味なのでそっとしておいてほしい。

 

こういう二重に世界観があるメタ作品の面白いところは、自分の視点も一緒にメタ化できるところだろう。ゾンビ映画を離れた劇中の現実は、我々の現実感とほぼ一緒だ。つまり、前半の『ONE CUT OF THE DEAD』をあくまで一視聴者として見た時の感情を、検討できるのである。そして、本作の優れた点はまさにここ。「本当に一度放映しちゃった」という点に尽きる。

 

我々は、ちょっと出来の悪いゾンビドラマを本当に30分見させられた。そこに対しては「退屈だった」「正直席を立とうかと思った」という声も周囲からは聴かれた。それでも、案外僕は、あの話の謎が気になってしまった。そして無理やりながらも解釈を付けたら、楽しくなってしまったのである。なんか本筋の楽しみ方からはズレてる気がしないでもないのだが、後半の「ネタバレ」を踏まえると「全てハズレと分かってて行う答え合わせ」も面白いものである。

 

・ 本作の凄い所はやはりミスリード可能な前半

そう、この映画はそうした「面倒なオカルトオタクの幻想をすべてぶち破る」という意味も孕んでいる。多分、そんな見方をしている面倒な人間もまずいないことだろう。何が言いたいかっていえば、あの頃の有象無象のエヴァ現象議論に根底から「バーカ」と言い放っているような痛快さを、本作からは見出してしまったのである。

 

僕は、そんな「実はこうなってました!」という笑い溢れる後半に対して、あえて本当に無意味な解釈・批評を書きたくなった。それは『ONE CUT OF THE DEAD』が、トラブルやネタも含めた形で、ここまで緻密に作られている事に対して純粋に感動したからである。人間は裏さえ見えなければ、音響や、動き、カメラアングルでここまで騙されるもんなんだな、と笑いと共に普通に驚いてしまったのだ。冒頭に少し触れたが、さながらアンジャッシュの勘違いコントのように、一方がトラブっていても、受け手側は思いのほか「見られてしまう」。

 

いや、正直前半単体が面白いかと言われれば、よっぽどなB級映画ファンでもなければ、そうでもないと言うだろう。それでも、我々は後半、同じルーティンながら種明かしを観ながら『ONE CUT OF THE DEAD』に「面白さ」を見出した。僕が今回のようなまどろっこしい手法を使って感想を書いたのも、確かに怪しい点はいくつもあれど、こんなミスリードもあり得るよね。という事をちゃんと文章にしてみたくなった。そして、そんな前半に対して我々がミスリード可能だからこそ、この『カメラを止めるな!』はベタながら、根を張った面白さを放っているし、再度咀嚼して見てみたくなるんだと思う。

 

 

以上考えすぎオタクが本作を観て抱いた感想をツラツラと書いてみたのだけど、まぁ、完全に考えすぎである。純粋に前半のホラー調から「え、これコメディだったんだ!」という驚きや新鮮さを受け取ることができれば、本作を楽しむ上でそれ以上の事はないと思う。なんなら、今日鑑賞し終わった際、隣のカップルが「楽しかったね!ヨロシクでーす!」「うん、面白かったぁ!ポン!って思わず笑っちゃった」って楽しそうに談笑してるの聞いて、書くのやめたくなったよね。これ。マジで。

 

多分夏コミ終わってから、延々脳内に溜まっていた何かがようやく漏れ出したものと思われる。そのきっかけになってくれた本作には改めて感謝を表しつつ、また9月である。頑張って働いていきたい(適当)

『カメラを止めるな!』感想を超うだうだ書くので見てない人は読まないでね その①

今話題の『カメラを止めるな!』を観てきた。

 

本当なら本作を視聴した友人らとリアルにワイワイキャッキャ感想投げ合いすればいいんだろうけど、いかんせん僕のメインコミュニティは脳内会議である。映画をひとりで見た昨日も布団の中でセルフ会議が盛り上がってしまい2時くらいまで寝付けなかった。夜中「ふふふ」とか「えへへ」とか妄想が高まってしまい突如笑い出すなど入院手前な様相だった気がするが、たぶんそれは夢である。そんな高まった気持ちを鎮める為、共感できる友人を探すより、ここにとりあえず吐き出すのが早いだろう。

 

ちなみに、友人はいるんだよ。

 

ということで、以下ネタバレなので、見てない人は絶対見ないでね。

 

 

 

 

 

見ないでね。

 

 

 

 

 

 

 ・『ONE CUT OF THE DEAD』という奇作

僕がネットで本作の放映を知った時に抱いたのは完全に無茶な企画だろうという印象だ。夏も終わりに近づいた8月下旬。ゾンビチャンネルというまたニッチなケーブルチャンネルができると思ったら、開局記念にこんな企画を行うという。

 

「生放送」「ワンカット」そして「ゾンビモノドラマ」。

 

聞いているこっちが身震いするような発想で、本作は本当に放映された。なぜか昼の13時という時間帯から30分だけ。その狙いすら今一つ掴みかねるが、実際見てみたところ、本作は非常にチープかつ不安定でありながら、目を放すことが出来ない作品になっていた。

 

作品全般の雰囲気としては、手持ちビデオホラー映画の流れを汲んでおり『ブレアウィッチプロジェクト』あるいは『パラノーマルアクティビティ』の系譜と言ってもいいだろう。物語の筋は二重劇であり、ゾンビモノ映画を撮ろうとしていたら、本物のゾンビが出てきたというベタなものである。

 

ただ、本作自体を撮影するカメラ、そして作中劇を撮影している監督のカメラという二重のメタ表現が視聴者の現実感を揺さぶりにかける。ただ、ゾンビ映画としては再三いう通りチープであり、見るに堪えない空気感も確かにあった。しかし、先ほど書いた通り、本作はすべてワンカット、そして生放送という前提。更に様々な伏線や不可解なモチーフ、謎の表現が散りばめられており、それを考察しながら見ると、なかなかB級ゾンビ映画ファンにとっては深い作品のように思える。

 

ネタバレとなるので、見ていない人はここからは読まないほうがいい。以下『ONE CUT OF THE DEAD』を観たという前提で話を進めていく。本作における主な疑問点は下記の通りだ。

 

・序盤、趣味の話題で繋ぐあの会話の間はなんなんだ?

・ドアの横に佇む音声さんの意味は?

・メイクさんはゾンビ化していた?それとも精神破綻なのか?

・監督の神出鬼没さは何かのオマージュなのか?

・女優が小屋で傷のシールを剥がすのはなぜ?そして、そこで見たモノはなんだったのか?

・小屋と屋上の血の紋章のつながりは?

・斧で頭を割られたメイクさんが再び立ち上がって見たモノはなんなのか?

 

わずか30分でこれだけの不可解さを残すストーリー展開である。狙って行うのは容易ではない。監督、日暮氏の狂気が伺える。それでは、以上の疑問点から『ONE CUT OF THE DEAD』の解釈を始めてみよう。

 

 ・ゾンビと霊という二重構造が生み出す不可解さ

まず、本作のストーリーを考える上で肝となるシーンを仮定するなら、上記疑問リストの中でも終盤「女優が脚の傷のシールを剥がす」という場面が挙げられる。傷を偽装する、彼女には最初から誰かを騙す目的があったということだ。つまり、ゾンビが発生する状況を知っていた、ということに繋がる。そう考えると、彼女の「劇中劇」への参加目的はどこにあるのか。男女関係を探ってみよう。

 

冒頭のシーン、監督からひどくイビられ、凹む女優。周囲が「気が狂っている」と監督を批判する中、彼女だけが演技に真摯に取り組もうとする。その後、相手役の男優は、カメラが回っていないところで「今日この後、どう?」と撮影後、彼女を慰めながらホテルにでも誘う空気を見せる。ここだけみれば、女優と男優は付き合っているように見える。

 

となると、対立軸としては監督と男優である。女優は男優よりも、自身の今後も含めこの監督に見初められたい、監督としては完璧な映画を作りたいという意思がある。女優はそこに付込み、結果不必要になった男優との関係を処分する前提のもと、今回の作品に臨み、この本物が混ざるというトラブルに乗じて命を狙ったという考え方が出来なくはない。序盤の会話における不自然な間は、男女関係が上手くいっていない事の現れなのだろう。更に傷の偽装も「彼女がゾンビ化することで、男優と自分に一線を引く」という効果を生む。

 

しかし、その彼女のシナリオも的を外れていくことになる。浄水場の噂を思い出してほしい。「死者を蘇らせる」という話は当然ながら「ゾンビ」の存在を想起させることだろう。しかし、この浄水場が蘇らせるのは、ゾンビだけではない。この作品のメインテーゼの二つ目「霊」という発想が隠されている。

 

ここで、延々ドアの陰に佇む音声さんの謎が解ける。Jホラーお得意の「驚かせるだけでなく、そこに佇むだけ」という表現はこうした単純なゾンビモノにおいて、逆にその不可解さから恐怖を際立たせる。『呪怨』や『仄暗い水の底から』といった名作にも多分に用いられた方法である。

 

そう、彼はすでに憑りつかれていたのだ。当時日本軍が実験をしていた頃の研究員の意識が彼に乗り移り、あの恐ろしい実験が行われた場内から脱出させた。そして、屋外で実体のあるゾンビに襲われるという二重における恐怖表現がなされていたと考えられる。この建物の「逃げ場のなさ」を視聴者により鮮明に伝える為の表現方法だったのだろう。そして、霊体はメイクさんにも乗り移っていたと考えれば、彼女の発狂、そして女優を襲う前に「落ち着いている」と話すあの鬼気迫る表情にも納得がいく。

 

つまりは本作はゾンビと霊体、ふたつの意味での「よみがえり」があの悲劇の幕引きを招いたといえる。 終盤、例の傷を剥がす小屋のシーン。女優は小屋の中で「何か」と出会う。入り口に血の紋章が描かれたいわば「ホットスポット」的なエリアである。

 

襲われることこそなかったものの、恐らくそこで、彼女はなんらかの霊、恐らくこの事態を招いている本体と一体化してしまったと考えられる。女優はその後、比較的冷静に小屋前の斧を拾い「ついている」などと場にそぐわない言葉を吐いて、かつて愛し合っていた男優を追いかける。最後のシーン。ゾンビ化してしまった男優を前に彼女の意識と霊の意識が交錯、最後に女優は狂気に堕ちる。

 

気がかりなのは、この重要な場面。死んだはずのメイクさんが突如立ち上がり「何あれ」と口にするシーンがある。正直今の私の考察でも理解が追い付かない。ここは、完全にこの物語から浮いており、生中継という事を考えれば、実際に演技上何かのトラブル(霊が実体化するなど)が生じていたのではないか。予定通りとは思えない、まさに手持ちカメラホラー作品を体現するかのような、非常に気味の悪いシーンである。

 

そして、完全なクライマックス。見初められたいと思っていた監督にすら手を下し、血まみれになる女優。スプラッタ的表現と彼女の不完成な演技が相まって、なかなか見ごたえのあるラストになっている。屋上には呪いのきっかけとなった血の紋章が描かれており、女優が不敵に空を見上げて本作はエンドロールが流れる。

 

本作では至る所から狂気を孕んだ監督が現れ、時にゾンビを男優と女優にあてがいながら危機を煽って撮影を続ける。考えるとその登場はいつも場所の因果に合わず、神出鬼没だ。そして最後、本作に登場する人物は女優以外皆死んでいるが、唯一自らの死体を晒していない。そこまで考えると、中盤以降果たして彼は現世に存在していたのだろうか、という疑問も沸いてくる。

 

もしかしたら「カメラは絶対に止めない!」と何故かカメラ目線で吐き捨て、屋外に出て以降、監督は既に帰らぬ人になっていたのではないだろうか。その後の監督は女優の妄想における姿であり、女優として自分の妄執を諦めきれない感情が招いた残像というイメージだったのではないだろうか。

 

ゾンビ映画の魅力が詰まった30分

本作は、様々な要素を孕んだチャレンジングな企画である。その結果、初見で見た際には完成度の低さが目につき、はっきり言って駄作という感を受けた。しかし、見れば見るほど、作りこまれている事に気づかされる。あえて明かされないテーマ性、また後半におけるカメラワークの大胆さ(カメラをあえて地面に落とし続け図郭を確保するというメタな手法にも驚かされた)、そして斧を使ったチープな残虐性。こうしたゾンビ映画ならではという一つ一つの要素が詰まっており、我々のようなB級ホラー映画ファンにとっては悪くないスルメ作品と言えるだろう。

 

今後、こうした作品が生まれることはまずないだろう。30分という短い時間ながら、久々に解釈と考察をフルで巡らせてしまった。恐怖のみならず、生放送というタイムリーな手法において緊張感を産み出し、見ているこちらを不安定な気持ちにさせる。手放しに褒める事はしないが、こうした攻めた作品が今後も世に出てくることを祈って、引き続きゾンビチャンネルに期待したい。

 

神保町とブートレッグの思い出

神保町の老舗CDショップ/レンタルショップ「ジャニス」がこの11月をもって閉店するとのこと。人が亡くなったり、店が閉店すると急に寄ってたかって語りだすこういう記事。ネットで見ていて辟易するのであまり好きではないのだけれども。それでも、このお店から受けたモノを考えると書かざるを得ない。

 

t.co

 

お店のHPはこちら。キャンペーンやるみたい。

http://www.janis-cd.com/news/campaign/

 

正直な話。いつかはくるんだろうなと思っていた。それでも実際、正式な形で打ち出されるとなんとも言えない気持ちになる。音楽配信が一般化してからもう久しいわけだが、ここにきてこのお店の閉店の報を聞き、CDという媒体が本当に死んだんだなと痛感する。

 

「ジャニス」の存在は中学生のころ父親から教わった。廃盤やブート盤がどうしても聴きたい、欲しいと思うほど音楽を聴くようになったらここにくればいい。と。人としてはあまり見上げる事のない親父だが、ことこういう件に関しては間違った事を言わない。

 

案の定その後、学生の時分は勿論、今も神保町近くに勤務しているためしょっちゅう足を運んだりした。その品ぞろえは圧巻で、廃盤など希少価値の高いものはレンタルする際、自分の名前や連絡先など保証書を書くという仕来りもここならではだろう。

 

個人的に思い出深いアイテムは、くるりのインディーズデビュー盤『もしもし』だ。おそらく3度は借りた。カセットに録音するため、MDに録音するため、PCに取り込むため。中学、高校、大学それぞれで同じ盤を借りるなんて、普通なら考えられない話ではある。ただ、ここでしか入手(レンタルだけど)できない代物があまりにも多くあった。

 

そして、何よりもブートレッグ盤探しはこの店の大きな思い出だった。なんていうか、今「海賊版」と聞けば「コピーをネットで流す」的な某漫画村的イメージが先に沸く。ただ、ビートルズやらビーチボーイズだったり。洋楽にバカみたいにハマっていたあの頃、ブートレッグ盤というのは、どうしたって聞くことの出来ない「あるはずのない音源」で、ある種の夢を叶えてくれた盤だった。

 

音源化されていないはずのライブ音源や、リハーサルを兼ねたアウトテイク音源、あるいは違う言語バージョンなど、面白い音源がそこには溢れていた。ビートルズ関連のブートなどは特に後世にも残っており「ウルトラレアトラックス」シリーズに代表される通り、アウトテイクを世にもたらす価値を再発見させたとも言える。最終的には「アンソロジー」の発売にも寄与したと言われるほどだ。

 

僕個人として思い入れがあるのは、1991年、ジョージハリソン来日の横浜公演の音源だ。『Live in Japan』として公式に音源化されたのは東京ドーム公演なのだが、横浜アリーナでしか演奏していない『Love Comes to Everyone』その1曲が当時聴きたくて仕方なかった。そんなニッチな理由、自分の足を使って血眼になって流通すら定かでない1枚のCDを探す。

 

ネットが普及した今になってしまえばバカらしい話なのかもしれない。そして回顧的に「あの頃がよかった」なんて事をいうのも無粋だと分かっている。それでも存在すら定かじゃないモノが在ると知り、現に入手し、そしてCDプレイヤーにかけた、あの時の感情はどうしようもないものがある。

 

今回、閉店するジャニスには、そんな思い出が詰まっている。どうしても欲しかった音源。聞きたかった音源。きっと、あるんじゃないかと疑いながら彷徨ったのである。当時ネットもなく、情報もない。僕らはCDショップで探すしかなかった。そんな中、都内最強と言われた品ぞろえを誇るジャニスで延々宝探しをしたワクワク感は、多分他の感情で代替できそうにない。

 

感傷にしかならない文字を垂れ流しながら行う一方的な思い出語り。本当に何になるわけでもない文章なのだけれども、単純にそういう時代があって、そういうお店があったという話だ。ただ書かないと自分すら忘れていきそうで。秋葉原レコファンや中野レコミンツやら神保町ジャニスなどなど。馴染みのCDショップが次々に閉店していく中、そういうワクワクするような宝探しを経験させてくれたことに、ただただ感謝を表したい。

 

C94の御礼と委託情報、今後のことについて。

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毎年のことながら、夏コミも終わり。すっかりと晩夏を感じる今日この頃、でもなく、まだまだ暑い日が続いております。ていうか、もうさ。ゲリラ豪雨じゃないよね?南国で見るスコールだよね?もうこの国、亜熱帯だよね?と毎度のツッコミを感じつつお盆休みを消化しております。

 

ということで、弊サークル「わがはじ!」に今回も遊びに来ていただいた方、また新刊および既刊を手に取ってくださった方、対談参加してくださった皆々様、当日お手伝い頂いたりょうにゃん、さよちゃん、本当にありがとうございました。今回新刊は「秋葉原特集」ということで、とかく文字が詰まった一冊となりました。詳しくはこちらから。

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各所からは既に誤字脱字発見報告や、レイアウト不備の指摘などが届いており、もうコミケ終わってからなんか眠れないので、夜中一人で虚空に土下座をしているのですが、まぁ謝罪ばかりしていても人生あまりいいことないので、以下委託や今後のイベント参加などの情報です。

 

①書店委託

書店委託頒布についてはメロンブックスCOMIC ZIN様に委託していただいております。双方ともに通販対応も行っておりますので、ぜひ遠方の方などご活用ください。

わがはじ!の同人誌・ゲーム等の通販はメロンブックス | メロンブックス

COMIC ZIN 通信販売/商品一覧ページ

(※COMIC ZIN様の方は8/14現在新刊通販は現在準備中です。随時対応いただけるかと思います)

 

②飲み屋委託

また今回、取材にもご協力いただいたしんいちさんがマスターを務める秋葉原にある「Game Bar A-Button」そちらでも新刊のVol.9「「アキバ」の「コトバ」」特集に限り委託販売をして頂いております。普段こちらでお酒を飲む方は勿論、気になるけど飲みに行ってみようかなと思っている方はこれを機会にぜひ足を運んでみてください。マスターのしんいちさんに言えば多分買えます(随時在庫は僕が飲みに行くついでに持参して補充しにいきます)

twitter.com

 

電子書籍(PDF)販売

また、徐々に展開しているのが電子化です。メロンブックスDL様にて現在下記のラインナップで販売中です。

Vol.4「今、オタクであること。」

Vol.6「女装という在り方」

Vol.7「これからの「性器」の話をしよう」

Vol.8「大怪獣サロン大特集/着ぐるみ造型という系譜」

紙の本なんて買ってられっかという皆様方、ぜひご活用下さい。また今後、それ以上過去のバックナンバーや今回の新刊についてもラインナップ化の予定ですので、チェックのほどよろしくお願いいたします。

www.melonbooks.com

 

④イベント参加

9月9日(日)秋葉原で行われる「第10回秋コレ」に(不備とかなければ・・)サークル参加いたします。コミケ以外のイベント参加は久々ですので、純粋に楽しみです。こちらでも今回の夏コミ新刊や、既刊など頒布予定ですので、遊びに来てみてください!

twitter.com

 

ということで以上、委託やらイベント参加のお話でした。今回の新刊は結構数を作りました。半分後悔もしておりますが、もとよりじっくり頒布する予定でしたので、まだまだ今後ともよろしくお願いいたします~

 

 

 

ちょっと軽く今後の話など。学生時代の痛い思い付きから始め、第9弾まで続けてきたこの「'00/25」という評論雑誌シリーズですが、一旦ここでお休みしようと思います。10までは作りたい・・・と思っておりましたが、いかんせん何も企画が浮かばず、多分この媒体である程度やりたいことはやりつくしてしまった感が大きいです。

 

振り返ると、これまで総勢40人ほどの方に対談、寄稿などで協力頂きました。稚拙な聞き手の技量にも関わらず、恐らくそれぞれの記事からは、誰かしらの深いところにある琴線に触れるようなコトバが随所にあったのではないかと思います。とかく性に纏わる闇だったり、オタクという執着だったり。人間のちょっと深い所に根差したものを取り上げ続けたい、そういうちょっと捻じれた人に「こういう人もいるんだな」と刺さればいいな、と。そんな思いとコンセプトで作ってきました。

 

ただ、評論同人を作っていて感じたのは、僕自身専門的な知識があるわけでもなく。何とか周囲の人に聞きかじりながら一冊を作ることへの罪悪感というか。本をしっかり作ろうと思えば思うほど、その難しさがより鮮明になってきた印象が強くありました。趣味、とは分かっていても何かから回っているような。とりあえず、そのツラさが全面に出てきてしまった時点で、ちょっと今後についてはちょっとテイストを変えて。評論ではあれど、多少違う事をしてみようと思います。その具体的なアイデアについては、また改めてここでも書くことが出来ればと思います。

 

同人活動自体は続けると思いますので、今後ともごひいきにして頂ければ幸いです。何はともあれ、今回夏の新刊および既刊についても、引き続き販売しておりますので、よろしくお願いいたします。

僕と秋葉原とフェチと(夏コミ新刊編集後々記)

もう気づけば夏コミである。そして心配されていた天候も、さすがは米やんといったところか。直撃コースの台風も何とか逸れていき、ボランティアの皆様に至っては、もう昨日となってしまった9日の設営日も比較的よい天候の中で作業できたのではないだろうか。本当にお疲れさまです。

 

さて。相も変わらず弊サークルでは、来る3日目、12日(日)に新刊を携えて、当ブログと同名「わがはじ!」というサークルにて参加をする予定である。新刊詳細についてはこちらから。遊びに来てね。

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今回の記事はその新刊の編集後記の更に後記だ。何をそんなまどろっこしいことしているのかといえば、同人誌を自分で手売りしていると、案外奥付だったり編集後記から本を読みだす人がいる。なんていうか、こちらとしたらちょっと恥ずかしいのである。あのね、編集後記なんてものは、本文を必死に作ってから、ちょっと自分への「お疲れ様、大変だったね」って意味も込めつつ書いてたりするわけ。その文章先に読んで・・・しかも、目の前で鼻で笑ってるし。ということで、そんな「人の編集後記先に読んでしまう」系の不届き者対策のために、更に先回りをして、編集後々記をここに書いてしまおうという魂胆である。面倒な性格である。

 

特に今回、秋葉原特集ということで。すべての作業を終えてみると自分でも驚くほど、固めな一冊となった。7人との対談、1人からの寄稿、そして僕自身も3本コラム。何せ下ネタがない。多分親にも見せられるレベルだろう。すでに上司にも売ったし。

 

元来僕自身が秋葉原に抱いている感情というのはそんな「キチンと語れる」ものばかりではない。ただ、それを書いてしまうと今回の本では浮いてしまうというか、一貫性が保てなくなってしまう恐れもあったので、ここに書くことにしてみる。秋葉原という街が、改めて僕にとってどういう街なのか。それを踏まえたうえで、新刊を手に取ってもらうのも悪くない導入になると思った。

 

・性の目覚めと秋葉原

僕自身、秋葉原に対する元体験は幼少に遡る。小さな頃から電気街を親父と歩き回り、休日には交通博物館に連れていけとせがみ倒し、また格ゲー全盛の頃には100円もらっては最新のアーケード機に触れたり。恐らく今30前後の世代で秋葉原に思い入れがある人というのは、こうした幼少の思い出だったり、また現在にも繋がる「オタク文化の聖地」として、秋葉原を見ている人が多いのではないだろうか。

 

勿論、僕も同様だ。その前の世代なら電気街、そしてその後のオタク街。そんなアキバに対するイメージというものは多くの人に強く印象付けられている。しかしながら、僕が本心から秋葉原に抱いている感情というのは、また更に少しネジ曲がったものがある。

 

都度、過去の同人誌やら、このブログでも語っている通り。僕には大きなコンプレックスがいくつかある。そのうちのひとつが性癖、フェティシズムだ。普段からツイッターでももはや開き直った物言いをしているので、あえてコンプレックスと書くと違和感を受けられそうなものだが、誤解を解く為にもはっきり言ってしまおう。長年、僕はこのよくわからない性と結び付く謎の欲求あるいは衝動に、強い戸惑いを感じていた。

 

その幼少から感じてきた衝動、あるいは周囲との違和感。そうした負の感情がこれまで「フェチ」を考える同人誌を作り続けてきた原動力であったといっても言い過ぎではない。そして、今回の夏の新刊。秋葉原特集では、そうした色合いはまず読み取れないはずだ。本としての一貫性を保つ為に、極力そうした要素は排した。

 

それでも、僕にとって「フェチ」と「秋葉原」の間に繋がりがない訳ではない。むしろ、逆に今回の企画を立ち上げた感情の中核部にあるものだ。

 

どういうことかと言えば。多少自分語りになる。下世話な話なのだけども、僕は精通が相当に遅かった。性的知識をちゃんと得たのも高校3年ほどだろうか。今思うと、よくそんな知識で生きていたなと思うのだけど。学生時代には表面上の友人はいても、あまり腹を割って話せる間柄でもなかったということだろう。また狭小住宅住まい、自分の部屋もなし。比較的お堅い家の空気の中、そもそも捻れていたと思われる性癖がそうした環境要因も相まって余計に歪むことになる。

 

長いこと「井の中の蛙」だった僕が急いで世間様のエロ本やAVに触れてみれば、全く反応しない。唯一興奮するのは、その中でも特殊と言われるモノばかり。僕はとても焦ったのだ。こんな事人に言えるはずがない。まず一般的と言われるエロにまるで興味が沸かず、案の定レズものとかSMとか女装だとか着ぐるみだとか、その他諸々現在のような面白性癖を抱いて生活する羽目となった。

 

学生の時分。僕はこうしたフェチの自覚や悩みを誰にも打ち明けられなかった。そもそもイジられ体質である僕がこのような自分の癖をカムアウトしたところで、いいことがあるとは到底思えなかった。ただ、どうしたって、鬱屈とした感情はしこりとなって残り続ける。そんな感情の行き着いた先が、2000年代初頭の秋葉原という街だった。まだ再開発までも時間があり、同人ブームにわいていた時分だったろう。各所に怪しい書店やら、それを取り巻く謎の店がテナントを埋めていた。

 

高校卒業ほどだろうか。18歳にもなったということで、ひとつ僕は秋葉原で肝試しをしようと考えた。一人じゃどうも入りづらいテナントの店に、出きる限り足を踏み入れるというチャレンジを敢行した。今から考えれば、さほどたいしたことのない話だが当時で言えば勇気のある行動だった。

 

未だにそのラインナップは覚えている。エムズやブルーキャッツ、サンショップといった特殊アダルトグッズ専門店から、なごみやカルトDといった同人専門店。コスメイトやジュピターといったコスプレ系店舗やブルセラにもほとんど行った。えなじぃ、デジタルウェーブ、着衣済衣料専門店「純」。ロリ系コンテンツで有名だったおいも屋本舗秋葉原駅に看板広告があった気がする。今では考えられない)などなど。それはもう、全てがいかがわしく衝撃的だった。

 

それと同時にすごい嬉しかったのだ。これまで僕が延々内に秘め続けていたどす黒い、決して社会には出していけないものたちが、平然と店舗に並んでいる。そして、そこに買いに来る客も一定層存在して。自分以外にもヤバイ人はいるんだなとそこで初めて知った。親にも友達にも相談できず、こうした変態的な衝動や発想というのは持っているだけでも「死んだほうがマシなのでは」と思い悩んでいた頃。

 

結局、それを「相談」と呼ぶのは多少強引ではあるんだけども、秋葉原という街が、そうした店舗の一つ一つが僕自身の裏側まですべてを受け入れてくれた時の感情は、ただただ安堵感だったようにも思える。僕がいていい街なんだな、と心から感じた。

 

・再開発を終えて、秋葉原という街は

その後も、この街とは長い付き合いにいたり、アルバイトだったり社会人になった今も隣町で働いているわけで、今回の新刊に至るまでその関係性は継続している。ただ、ふと思えば以上挙げた「肝試し」で訪れた店のほとんどは消え去っている。

 

ここのあたりから、今回の新刊の内容にもかかわってくる。それは例えば再開発の影響なのかもしれない。あるいは実小売店舗を脅かすネット通販の普及なのかもしれない。対談の中でも様々な意見が飛び交った。僕にとっては、PCや電気量販店よりも、そうしたアダルトグッズ店や衣類店、裏モノビデオ屋など、そうした店舗がなくなっていくことはとてもさみしいことだった。僕を受け入れてくれた、あの気味悪さがなくなっていく。正直幻滅もしていた。

 

ただ、だからこそもう一度、今秋葉原ってどういう街なんだろうかと問い直したくなった。僕が過去に救われた場所だったからこそ「幻滅」で終わるのでなしに、色んな人の話を聞きながら、そして過去を調べながら文字に起こした。当然、詰まらなくなったと吐き捨て「アキバ」から去ることもできる。それでも尚、また何かが起こるのではないかという「期待感」と、まさに今起こっている小売り店舗のシュリンクといった「リアル」をぶつけて、何が見えるんだろうと試したくなったのだ。

 

先に言っておけば、この本に「秋葉原の未来はこうだ」などと特段答えがあるわけでもない。当然のことだ。どこでもそうだが、街の未来など誰が正確に把握できよう。ましてや秋葉原という入り組んだ土地において、それが可能な主体などそうはいない。しかし、アキバに肩入れする人なら誰しも秋葉原に何かしらのロマンを抱いていたりする。僕の場合は前段の下世話な話なのだけれども。そうしたロマンやストーリーというものが、きっとまた一つ一つ街の色になり、顔となるのだろう。そんな示唆だけでも読んだ人に届けることができたのなら、今回の本は成功だったのではないかと思う。

 

ということで、ちょっとお酒も入れながら好き勝手書いてしまったわけだけれども。また実際に手にとってみて、どんな本なのか見てもらえれば幸いです。

 

またメロンブックスさんにて既刊の電子化も徐々に進めております。当日は過去既刊を見本として全部持っていきますので、試し読みだけでもという人でも遊びに来てやってください。もちろん、在庫あれば購入も可能です。

www.melonbooks.co.jp

 

ということで、これからいよいよ熱い夏コミ3日間が開催。個人的に参加は3日目だけになりそうですが、酷暑に気を付けながら今年も楽しい3日間にしたいですね!まとまってなかったですが、とりあえず今日はそんなところで!

 

夏コミ C94新刊告知『徹底して秋葉原を言葉から読み解く【アキバのコトバ】』特集

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というわけで。夏もすっかり本番というか、暑さが完全にオーバーペース。果たして地球よ大丈夫かと不安になりながら印刷所のポータルを見たら、ほとんど印刷工程が終了しておりましたので、そろそろ夏コミ告知の時期と相成りました。地球も滅びることなく、このシリーズも第9弾。毎度テーマを変えながら続けてはきましたが、案外続くものだなと。今回のテーマは1冊まるごと「秋葉原」です。

 

・タイトル 「'00/25(にじゅうごぶんのぜろねんだい)Vol.9」

 特集:【アキバ】の【コトバ】対談から考える秋葉原の現在/過去/未来

・ジャンル オタクとフェチという目線から考える偏屈評論雑誌シリーズ

・サークル わがはじ!

・参加日/スペース 8月12日(日) 3日目 東ホール ナ57-b

・予定価格 ¥1,000

 

※ページ数 116P(モノクロ114P+カラー4P)過去最大ボリュームです・・・

※今回種々所属団体及び企業など掲載ありますが、各対談者の発言についてはその組織の総意などではなく、個人的な意見となりますのでご留意願います。

 

ということで、やってしまいました。秋葉原特集。いかんせん、既に多くの猛者たちがこの「秋葉原」というテーマで同人誌を作っており、普段「下ネタ」というブルーオーシャンで悠々同人活動を続けていた小生にとっては、ちょっと勇気の要る選択ではありました。

 

ただ、僕自身も小さな頃から、秋葉原という街にはお世話になり。オタクとしての素地だけでなく、遊ぶ、飲む場所などなど。多くの人との出会いのきっかけとなったこの街を、一度真正面から取り上げ「今の秋葉原ってどういう街なんだろうな」と考えたくなった次第です。

 

そこで僕だけ延々何か文章を書くというより。やはり周囲の人間を巻き込みながら。様々な視点、それぞれの立場から秋葉原を見たほうが、より「客観的かつ固執のある秋葉原本来の姿」が浮かびあがるのではないかなと。ということで対談と寄稿を交えながら。一冊の本にしてみた次第です。対談ラインナップは下記の通り。画像サンプルと共にどうぞ。

 

 

geek氏(アキバblog) http://blog.livedoor.jp/geek/

秋葉原の小売店を追い続ける その本意と熱の根底にあるもの>

秋葉原のPC関連やオタク系小売店を追い続け14年、個人で運営するサイトとしては圧倒的なPV数を誇る「アキバblog」もはや我々にとってはインフラに近い存在ではないでしょうか。本誌の冒頭、年間ほぼ休みなくアキバを巡回し、このサイトの運営を続けるgeek氏に話を伺いました。その冷静な目線から浮かび上がる「秋葉原にしかないもの」を探ります。

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②Y氏(千代田区役所勤務/外神田出身)

千代田区の人口推移と「生活」から見る秋葉原の姿>

やはり秋葉原を考える上で外せない視点が「千代田区」「神田」という枠組みではないでしょうか。ここでは趣味の街というより「生活の場」としての秋葉原を覗くべく千代田区役所に勤務されるY氏に協力依頼。下記のような貴重な資料の提示などもあり、千代田区としての人口推移や地元ならではの体験談など、より深くアキバを掘り下げるべく話を伺ってきました。

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Y氏が最後の卒園生となった平成4年に閉園となった芳林幼稚園の最後の卒業アルバム。園児数の推移なども含めて面白いデータが見てとることが出来る。

 

 

③ごん助氏(同人サークル「外蛇口」主宰/外神田出身)http://sotojaguchi.seesaa.net/

<地元町会を散歩する 土地フェチ同士のアキバ探訪録>

僕自身、前々からファンだった「野外/屋外にある蛇口の写真集」を出されている同人サークル「外蛇口」主宰のごん助氏。そんな素敵な視点を持ちながら、更に外神田出身。つい数年前まで中央通りの脇の路地に実家があるという地元経験を持っている方です。そんな「目線」を持っているごん助氏といっしょに外神田町会を散歩してみました。ちょっとした街の片隅にも、やはり面白いものは転がっているものです。

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今は既に別の建物に建て替わってしまっているごん助氏のもともとの実家。花房神社の隣でした。

 

 

④S氏(東京メトロ勤務)

<銀座線末広町~旧万世橋間から見る電気街という視点>

2017年に開通90周年を迎え、リニューアルとなった東京メトロ銀座線。その駅のひとつ、末広町は思いのほか、電気街の趣を残している駅でした。今回のリニューアルから始まり、過去に存在した地下鉄の旧万世橋駅とのつながり等に触れながら。あえて日比谷線秋葉原でなく、案外「電気街」としての顔は末広町にあったのでは、という思いをメトロ勤務のS氏と共に語ります。

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リニューアル前に存在した壁画。現在でも一部残っていますが、そこから感じる電気街の空気感は今見ても非常に感慨深いものがあります。

 

⑤しんいち氏(Game Bar A-button)https://twitter.com/a_button

<オタク街としての秋葉原ー国際化の流れの中でー>

案外ここまで立地や鉄道など、インフラの話が中心でした。ここで、ようやく秋葉原に店を構えるGame-bar A-buttonのマスターしんいち氏と、オタクの街という角度から改めて話をしてみました。バブル期から90年代PCブーム、2000年代電車男現象、そして現在のインバウンド需要。その一連の流れを原体験として見ながら、そして経営として感じてきたしんいちさんのオタクとしてのアキバ観を伺います。

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⑥しげの氏(同人サークル「秋葉に住む」主宰/外神田在住)http://sotokanda.org/

秋葉原が住む選択肢になった 再開発以後その過程を考える>

こちらも14年にわたって「秋葉原に住むこと」について同人誌を作られているしげの氏に対談を依頼しました。氏が現在住んでいる東京タイムズタワーは再開発の一環として秋葉原に居住空間が出来るきっかけとなったタワマンです。新築時から住み続け、そこでの生活から見える秋葉原。普段のしげの氏の自サークルとはまたちょっと違った角度から、意見が伺えたのではないかと思います。

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TTTから見える秋葉原の景観。こうして街を見てみると普段歩く路地とは違う心象を与えられます。

 

 

⑦H氏(某鉄道会社勤務/外神田在住)

<オタクとしての気概 秋葉原に「点火」するために>

正直言ってしまうと「某」とぼやかしていることが無意味なほど本文中には、データやら体験談が出てきます。ネットではあまり書けないので、これは実際読んでみて欲しい対談です。僕も少し不安になるレベルで喋ってます。対談最終章に。双方オタクとして、そして秋葉原に思い入れを持ってしまった同世代として。これからのこの街がどうなってほしいのか。そんなエゴと希望とオタクの意思を感じていただければ幸いです。 

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⑧寄稿/コヲタロウ氏(元Bar Garten)

秋葉原という「共同幻想」を想う>

最後に寄稿として。秋葉原に数年前まであったBar Gartenのマスターであり今はメディア関係の仕事に就くコヲタロウ氏に文章を依頼しました。過去、上京しコンポを買いに来た際、この街に感じた「電気街」という幻想を改めて紐解きながら、再度秋葉原という街について語ってくれています。本誌におけるエピローグとして、素敵な文章をいただきました。

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ということで、以上7つの対談と1つの寄稿。8コンテンツを中心に秋葉原に迫ります。ちなみに、この合間に僕も久々文章を書いており、これら内容を補助するような形で3つコラムを掲載しております。まとめるとこんな感じです。いやぁ、盛沢山。つらかったー。

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秋葉原という土地に縁する人にはきっと面白い本になっているかなと思います。この街についての論考はなかなか先達が多く。僕の認識不足の箇所もあり、叱られるかもしれませんが・・・とかく、今出来ることは詰め込めたのではないかなと思います。とことん振り切ったとは思います。

 

また、既刊などについては一旦こちらのページを確認いただき、在庫など見つつまたここで宣伝させてもらおうかなと。sukumizumi.tumblr.com

 

また徐々にメロンブックスさんの電子書籍販売なども進めておりますので、ぜひそちらもご利用ください。メロンブックス・わがはじ!販売ページ https://www.melonbooks.co.jp/circle/index.php?circle_id=33046


また文章ばかりではありますが、そういうサークルなんだ仕方ねえだろっていう話でして。この暑い夏も、コミケを目指して乗り切りましょう。エロと評論の3日目!今から想像するにも地獄絵図の様相ですが、現地にてお待ちしております!!

 

理屈っぽい考え事が生み出すオタクのエコシステム

こんなところで延々文字を書いてみたり、あるいは同人誌なんかで好き勝手本にしてみたり。そういう事をしているとたまに、ちょっとしたdisなんかが飛んでくることもある。今日はそれに対するお返事というか、ふと沸いてきた反駁みたいなものを書き残したいと思う。

 

ツイッターなどで飛んでくる別にとりあげるほどでもなく、怒るほどでもない「ちょっとした批判」。その中でもやはり多いのは「理屈をこねくりまわすのが好きなんですね」とか「言い訳がましく聞こえる」とか。とかくまぁ、好きなものを長々と語ることに対して言われる揶揄の類である。確かに、ここでの僕の文章を読み返してみると4000~5000字なんてザラだし、読む側を考えれば「軽く読もうと思ったのに、なげーよ」っていう反感を抱かせるには十分なボリューム感だと思う。

 

やはり先日書いた記事にも「理屈ぽく言う事が正義だと思っている」とかそうした揶揄が飛んでいて。いつも通りに特段気にするまでもなかったのだけれども。ちょっとじわじわと「いやむしろ。オタクなら理屈をこねるべきでは?」そんな感情に繋がってしまい、こんな文章を書き始めた次第である。

 

・「理屈をこねる」ということの意味

まず、そもそも揶揄を飛ばしてくる彼ら。その心理を考えてみたい。詰まるところ「好きなものは「好き」でいいのに、なんでわざわざそこまで長ったらしく語るのか」という疑問なのだろう。むしろ、その長ったらしく語ること自体「自己主張が過ぎる」というアンチイメージに繋がり、こうした批判にまで及ぶことが考えられる。

 

確かに昨今、SNSなどを覗けば「尊い」とか「わかる」「しゅき」とか非常に短い単語やネットミームで、何かを称賛するという事が流行しているように見える。とかく好きだという事が伝わればそれで充分であり、むしろ長ったらしく何かについて語ることはその当人の勝手な「主張」のように捉えられてしまい、批判される傾向にあるのかもしれない。

 

しかしながら。僕はこの「理屈をわざわざこねること」は、先の「尊い」「わかる」とか。どっかの拾い物画像とセットで伝えることなんかより遥かに価値のある行為だと思っている。

 

我々オタクは今、有象無象のごとく生み出されたキャラクター群や作品の中から、自分が愛好するものを選んでいる。過去には「今取り上げるべきオタク作品といえばこれ!」とアニメ雑誌などでベクトルが纏まっていた時代があった。しかし今はあの時代とは異なり、数多くの作品が存在し、そして当然見る時間も限られる。その中から「自分が好きなものを選ぶ」という意思が、より必要とされるわけである。

 

そんな中「理屈をこねる」事は案外重要なことではないだろうか。自分が「何故」そのキャラを愛し、その作品を好むのか。自分は果たして何を求めているのかを知る、という自己理解につながる。では何故、そうした自己理解が重要なのだろうかを更に考えてみたい。

 

・作品への「返事」を書くこと

よく漫画の単行本などを買うと、読者アンケートハガキがついてくることがある。僕もほとんどスルーしてしまうのだが、本当に琴線に触れる作品や応援する作家さんの単行本に関しては書くようにしている。

 

そうして自分がいざペンを握って、その作品のことを考える時間というのは案外、悪くないと僕は感じる。いや、確かに直観として「とてもいい話だ・・・」とか「絵が素敵」と感じたのは確かなのだけど、手紙を書くのだからもう少し練った方がいいのでは、その作者に伝わる文章ってどういう言葉なんだろう、とか考えてしまう。

 

現在。ネットが普及し、動画配信サイトも拡充した世の中ではコンテンツに溢れているため、一つの作品を享受するハードルは下がり続けている。次から次に流行コンテンツを眺め、あるいは過去の名作を補完し、自分の知識にしていく。そこにいちいち理屈や作者へのメッセージなんか考えてられるか、というのも理解できなくはない。

 

しかしながら、アニメや漫画、それぞれストーリーを作った人は確実にいるのだ。自分でそうした創作なんかを齧っている人ならわかることであろうが、少しのリアクションでも、自分の思っている以上にテンションは上がったりする。自分が作っているものが受け入れられている。あるいはしっかりと見てくれている人がいる。

 

過去このブログのほかの記事でも似たようなことを書いたりしたのだが、もう一度認識すべきなのは、アニメを鑑賞したり作品を何か楽しむだけの僕らは、思った以上に創作者のモチベーションになりうる存在なのだということだ。

 

先の自己理解に話は繋がるのだけれども。そうした「何かより今後見たい作品を推す力がある消費者として」自分の意思を明確にすることは、アニメ・漫画・小説、そうした自分が楽しみたいものを考え、それを伝える。作品が生み出される大きなエコシステムを自らもその一部となることで構築してくことに他ならないと、僕は信じている。

 

昨今見かける「自分を見てほしい系オタク」というか。缶バッヂを大量に身にまとうのもいいんだけど、その作品の、そのキャラ、結局何がいいの?それを生み出したクリエイターも、周囲で見ている人も、その「缶バッヂを大量に身にまとう」行為から何らその作品に関われない。単純にちょっとイキッたオタクがそこにいたことしか認識できないのだ。自己理解というのは「自分を見てほしいだけなのか」あるいは「作品が本当に好きでそれをどこかに還元したいのか」その差を自覚するためにも、必要な過程ではないかと思う。 

 

・小難しいことをいう自分、ではなく「何が面白いのか」を追求する姿勢

冒頭のような批判を起こす人の念頭には「人の作品を使って自分の言いたいことを言っている」つまり他人のふんどしで相撲を取っていることに対する反感も幾分かあるのではないだろうか。今批判した「イキリオタク」のように、結局は自分を見てほしいんだろと。その指摘は鋭い。その通りだと思う。ゼロ年代サブカル議論、みたいな頃にも「それ、結局作品とか関係なく自分の意思だけ貫きたいんだろうな」という論調も確かに見られた。

 

それでもだ。あの当時の論者がどうだったかは別の議論に任せることとして。サブカルを語ることというのは、その「自分を演出したい」という以上に「本当に何が面白いのか」それを単純に考えたい、あるいはそれを共有して、更に面白いものが生み出せればいい、という意思の方が強いと思う。

 

この文章自体もすでに理屈ぽいが、やはり何事も「ちゃんと考える」という過程は、コンテンツが大量に生産され消費される世の中だからこそ、大事なことじゃないかと思う。そうすることで、自分の趣向は、更に自分の見たかった作品に繋がっていく。『アンパンマンマーチ』の歌詞ではないが「何をして喜ぶ、わからないまま終わる。そんなのは嫌だ」なのである。一体琴線がどこにあり、一生通して「あぁ、これめっちゃ名作」と言い切るためには、自分の中できっちりとした理屈は必要になる。

 

「わかる」と共感を伝えるのもいいのだが、共感をどう人に伝播させるか。そのエコシステムを稼働させるためにも、やはりもう僕はあくまでも理屈ぽくなってしまうし、そうあるのがオタクの本懐ではないかと思ってしまう。どうしたって長ったらしく語るのは、その作品を誰かに伝えたいし、そして作ってくれたことへの感謝を示したい。そうした、案外単純な動機に端を発しているということを、理解いただければ幸いである。

 

 

コミケの新刊も入稿がようやく済み。次回更新には、その宣伝というか告知なんかをできればいいと思っています。本当に暑い日が続いていますので、体調などお互い気を付けていきましょう。