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わがはじ!

めんどいオタクのブログ。

ウェブ人間学

今年に入ってから、少しガジェット関連の記事を書いてきましたが、

そこで感じるのは、本当に時代の流れが早いということ。

単純な興味と関心だけでは恐らく追いつかないほど。

動きも目まぐるしいし、その動き方も素人にはなかなか予想できません。

ここ最近のニュースで言えば、

KDDIがついにスマートフォン市場に殴りこむこと。

この秋には、日本に向けてグーグルが電子書籍を発売するとのこと。

ラジオのネット配信がこの3月からを検討されているということ。

などなど。

いくつかピックアップしてもしきれないほどのニュースが出ては消え。

今を読むには、予想される行動の3歩は先を読まないといけないと感じます。

そんな時代において。ウェブ上の「情報」にはどんな意味があるのでしょうか。

要は、「人は、ログとしてウェブ上に何を残していくのか。」

このような問いが頭をよぎります。

人に何がブログを書かせるのか。

ミクシイでコミュニティを作ろうとするのは何故なのだろうか。

ツイッターでつぶやきたくなるのは?

ニコ生で放送するのは・・・?

人にとってこのウェブという世界は何を示しているのでしょうか。

鏡の向こうか。

対を成すものか。

二次的な補完物か。

パラレルな関係か。

まったくの別世界か。

新書などで語られる一様なウェブに対する理解は、

事実可能性の論でしかないと思ってしまいます。

何ができるか、どんなことが可能になるのか。

それに対して、人はウェブに対して

どのような意味合いをそこに見出すのでしょうか。

当然に現実社会をどう捉えるのかという問題に直結します。

ウェブは人の仮想化はしてくれますが、逆の具現化は不可能です。

当然にその仮想化の過程の中で、ウェブの捉え方に差が出ます。

何ができるかというよりも、自分がどうあるのかというような。

ウェブ上ではもう一度アイデンティティを構築する作業が必要になると感じます。

実に青臭い論点ではあるのですが、

ツイッターなどをやっていると、そこの違和感に苛まれます。

自己表現?ビジネス?共有?

あらゆる意図と自我がそこに交錯し、情報にどんな意義があるのかを判別するのは実に困難です。

実際には、気にするほどのことではないと分かっていても、

私たちはその膨大なログの中で

何かを見失っている気がしてならないのです。

ウェブ上で、人との齟齬を起こしたような経験がある人は多いのではないでしょうか。

普段の空間よりも、そのウェブ上の捉え方自体に齟齬があると私は考えます。

微妙なコミュニケーションの不和。

それは、リアルという共通の空間を媒介してないからこそ起こることだと思います。

さらに自分の中の自我を、見失わないか不安に駆られます。

そんな一人よがりなロングツイートを残しつつ、

今日は寝ようと思います。ではでは。