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わがはじ!

めんどいオタクのブログ。

童貞を拗らせる、ということ。

酷いタイトルだな。と思ったら、それが平常なリアクションなので、その気持ちを忘れてはいけません。

 

ふと見かけた「童貞を拗らせる。」という言葉。個人的に考えれば考えるほど、

なかなかに含蓄のある文章だなと感じるところがあり、それを語るにツイートでは文字数が足らず、ブログの記事にまでしてしまいました。

 

これ実は2パターン意味があると考えています。おそらく一般的な解釈は、女性との接触を望むあまり日常でのちょっとした親切を、恋愛感情と取り違えやすい状態。典型的な例文としては、「コンビニに入ったら、店員さんが微笑んでくれたから付き合えるかもしれない。」見て分かるとおり、順接が破綻していますね。

 

「彼女がいない」という恒常的問題から、過剰な自意識が暴走している、そんな状態のことを言い表しているようです。ここで、今回取り上げたかったのはもうひとつの意味合い「ノーマルな性交渉の場から離れすぎて、性的ポイントが世間からずれてくる」という解釈もできるのではと思ったわけです。

 

通常のセックスというものにありつけない男性陣が、自慰を繰り返す過程の中で、快楽の独自進化を遂げた状態。

 

それが、いわゆる二つ目の「童貞を拗らせた状態」ではないか。僕はそのように提案したいと考えています。何をどうしたくてそんなことを考え付いたのか。僕にも詳細はわかりませんが、おおまかなきっかけはおっぱいでした。

 

そう。おっぱいでした。

 

秋葉原には種々同人誌ショップがあり、その陳列棚はまさに世の男性の欲求を見える化したかのような酒池肉林の様相。そこに並ぶ、数多のおっぱいを眺めながらふと思ったのは「あれ、これを見てなんで自分はなんの感情も抱かないのだろう」ということでした。

 

完全にただのお前の性癖異常の話じゃねえか、ここまで書いといてそれかよ、と僕も思ってますのでもうしばし付き合っていただけると幸いです。

 

なんていうか、男子にとってのエロ象徴の代表たるおっぱいに対して、ここまで僕の琴線に触れてこないというのは、何なのだろう。確かに、陳列棚一つ一つに下腹部をたけらせていては優雅なショッピングもままなりません。

 

ただ、それにしたってどうなんだその無反応は。

 

その時に感じたのは、僕はその余りあるおっぱいというイコンに対して、性的興奮を抱く回路を失っているのではないかという疑念です。つまり、日常生活において女性のおっぱいと縁遠い生活を送りすぎたがために、おっぱいが自分の生活にとって何を為すものなのか忘れてしまい、結果何も身体としての反応がない状態に仕上がってしまっているのではないか。ということです。

 

あぁ、これはまさに「童貞を拗らせる」という表現がピッタリではないかと。更に言えば、それは特殊性癖の話としても言う事ができるのです。人間は無駄に賢く進化してしまったせいで、生殖目的のセックスの快楽とは全く異なる次元での独自のオーガズムを開発できてしまいます。

 

例えばさっきのおっぱい。普段からおっぱい=エロという構図が出来上がっている人にとってはそれだけで性交渉のイメージ回帰が可能ですが、僕のような拗らせたタイプの人は、何かしらの細工が必要なのです。

 

おっぱいというイコン。

 

それに対して、例えばM男性の観点なら「目の前におっぱいがあるのに、触れないとか残念ですね。まぁ、あなたみたいな立場のクズは触れる勇気もないと思いますが。」みたいな追加オプションがあって、初めてエロに結びつく。そう、スーパーゲームボーイのような下駄を履かせてこそやっとエロが成り立つ。

 

ただ、ここで注意が必要なのが、この「拗らせる」という状態は、経験過多による飽和でも同じ状態になりえるということです。おっぱいも見すぎて、ゲシュタルト崩壊してくると、安藤忠雄の現代建築みたいに見えてくるのではないでしょうか。

 

そういう状態では通常のAVを見たところで、男女の性行為を画面越しに見て、それの何が一体エロいのか。楽しそうな情事を見せられて、一体それが何なのかと、そう、問わずにはいられなくなってくるのでしょう。

 

と、ここまで延々戯言以下の文章書いておいて、一体何が言いたいのか。まあ、おっぱいって言いたいだけではないんです。僕も冬コミで漫画を描く中で、一体これ何のために描いてるのかなと。自分の黒歴史を晒すだけ晒して、何になるのだろう。結構色々考えたりしてました。

 

ただ、上記のような自分の惨状を省みたときに、「多分これ、俺だけじゃねえな」と感じたことも確かでした。とらのあなでも、メロンでも、ZINでも満たせない性癖がある。まずまず流通しないジャンルがある。

 

それを自分の経験として痛感し、ニッチな性癖を持つ身として、何かしらそういう下駄を作ることはできるんじゃないかなと。他のサークルさんを見れば絵は上手いし、エロいし。それと比較したら、正直絵を描くのも即辞めたくなります。

 

ただ、一応拙くても、しっかりと拗れた人間として、拗れたものを作っていこうと、今年はそんな目標を持つに至ったというお話です。

 

自分でもなんのこっちゃ、という文章ではありますが、本年もフェチと創作に対しては真摯に向かって行きたいなと。そんなことを思う1月の3連休なか日でした。