わがはじ!

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近藤聡乃エッセイ集「不思議というには地味な話」を読んで

久々の読書レビューです。

てか、久々の読書でした。

 

 

不思議というには地味な話 不思議というには地味な話
(2012/06/06)
近藤 聡乃

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この近藤聡乃さんというアーティストを好きになったのは、もうかれこれ10年前になります。親父の影響もあり、既にサブカルにどっぷり浸かっていました。当時から御茶ノ水のヴィレバンや書泉などで立ち読みしながら延々時間を潰すのが部活休みの日の何よりの楽しみのクソガキだったわけで。

 

そんな中、彼女の初単行本「はこにわ虫」を発見。その夢と記憶と現実をない交ぜにする狂気がかった作風で、自分の存在さえ疑わせるような、圧巻の一冊でした。

 

 そして読みたい読みたいと思ってはいたものの、何故か手が出なかったエッセイ集『不思議というには地味な話』やっと入手、近くのコメダで一気読み。彼女の頭の中を文章として垣間見れることにそもそもかなりの期待を抱いていたのですが、いかんせん読んでみたら、マンガの通りというか。彼女が見ている日常や世界の機微そのままで、羨ましくなるというか、逆に納得できました。

 

例えば、路傍の石を蛙に見間違えた話。一見すれば、なんの変哲もない話なのですが、ただ、日々通る道で、それを確実に「蛙だ」と認識していた筈のものが、ある日を境に確実に「石」に変貌していたとしたら。この認識のズレが近藤聡乃さんの感受性です。

 

そりゃ最初から石だったのだろう。勘違いで終わるのが普通ですが、本当に蛙だったはずのモノが石に変わったとしたら怪奇現象です。僕らにとっては、「勘違いだろう。」普通ならそれで済むものも、実は静かな怪奇現象が、確かに起こっているのではないか。この記憶の食い違いは、現象として世界に存在しているのではないか。こうした思考実験ともとれる、感覚の機微を題材にしたマンガの数々が、彼女の最大の魅力と言えます。

 

また記憶の綾についても鋭い考察力が見て取れます。人の羨ましい記憶を自分の中で反芻すると、次第にその記憶も自分の中で操れるようになってくる。

 

「はこにわ虫」に収録された「2001年版逆さの思い出」という作品。この作品では「タンスからカラフルな紐が出て来る」という知人の体験談を聴き、羨ましく思ってたら、そうした紐が見えてきたという話が題材になっています。

 

またさらに、別の記憶にその紐を登場させ、新しい「思い出」を生み出していく。過去の記憶を自分で少しずつ改変する、そうして「事実」となったものから、今の自分を見つめ直す。

 

 映像やデータで、確実な現象を未来に残せる現代では、人の記憶というものが非常に軽んじられているという時代なのかもしれません。実際、人間の記憶なんてものは、日常生活を省みても曖昧な部分が多く、史実としてはあまりに根拠薄弱なものとなってしまいます。

 

ただ、だからこそ人は自分の記憶を再編し、曖昧な思い出を、より色鮮やかにするという作業を、誰しもがおのずと行っているように思えます。それも、豊かな感受性をもとに、思い出の掛け合わせをすることによって、遥かに創造性ある体験を作り出すことが出来る。

 

虚像を見るのは人間の特権である。

 

 そんなことを思わせてくれるくらい彼女の妄想やそれをもとにした作品群はキラキラと輝いているように思えます。

 

SNSといった「思い出」を具現さらに共有させるツールがここまで一般的になったこの社会において、「自分だけのオリジナルな思い出・記憶」不確かだけれども、確かに自分の中に存在する感情や現象。そうしたものの価値を改めて考えさせてくれる、貴重なエッセイ集だと思いました。

 

是非、マンガも含め一読する価値ありと思いますので、おススメしたい所存です。装丁も綺麗ですので。ではまた。