わがはじ!

めんどいオタクのブログ。

ロック=オタク論

先にツイートでも少々述べましたが、なんか標題みたいなことについて、考えたくて。そのきっかけはこのツイートでした。

 

https://twitter.com/endo_jp/status/472178005595271168

 

僕ももともとこの人は知らんですけど、パンクバンドの人みたいですね。んでまぁ、あからさまにボカロファンを煽った文面。色々と拡散されているようです。ただ、この発言自体に問題性があるのではなく、僕が気になったのはそのリプ欄です。

 

当然好きなものを貶されたということで、多くの人が反駁のツイートを試みています。しかし、なんていうか。そこには真っ当なロジックや、相手のニュアンスを全く読み取ろうともしない揚げ足取りや野次ばかりで。

 

 「僕らの好きなボカロ音楽を貶したこと」それ自体に怒っている人が多数です。こうしたボカロ文化に対する批判に、かなり過敏になっているという印象でした。

 

ここ最近は、初音ミクもほとんど日本国のオフィシャルキャラのような存在になり、最早クールジャパンの筆頭に持ち上げられています。オタク文化もそれに乗っ取って「国際的価値」ともなっています。ただ、その流れに非常に違和感を感じる天邪鬼なのですが。元来オタク文化って、そんなに持ち上げられるものかと。常に批判に晒されているものでなかったのかと。そういう疑問も沸いて来ました。

 

この数年前まで美少女キャラなんてものは、世間一般でいえば「オタクが好む気持ちの悪いもの」「アニメの女の子」そういう印象だったはずです。特に宮崎勤事件以降、その風潮は最大となりました。オタク=犯罪予備軍という認識はメディアの力も加わり一時代の流れになったともいえることでしょう。

 

2000年代中盤までその風潮は弱まりながらも続いていたように思えます。

 

そんなんは分かっている。それでも好きなんだから仕方ねえじゃねえか。

 

最早オタクとは、弾圧される宗教の信者のような構図の中で、何かを愛好するという根強さがそれによってはぐくまれたのも確かです。そもそも愛好するものは最初から社会の批判対象であり、それを好きでいることがアイデンティティに繋がる。そうした精神性がいいか悪いかは置いておいて、システムとして存在していたことは確かです。

 

ここで、先のボカロ批判のツイート内容に振り返ってみましょう。

 

引用:

「とにかくボーカロイドに限らずニコニコ動画界に関連した音楽は全てダサくて恥ずかしいけれど、あれってボカロや歌い手よりも、ダサいリスナーに問題あると思うんですよね。でもあの界隈のニセ音楽をキッカケに音楽を好きになり、いつか本当の音楽を聴く人も沢山出てくると思うので喜ぶべき事かもですね」

(上記URL参照)

 

まぁ、炎上するだろうなって感じではありますが、ニュアンスとしては本質的な音楽業界全般に言及している文章です。この文章の本質は、ニコ動周辺をdisりながらもリスナーの未成熟を嘆く内容です。今流行っているボカロ音楽も、当然音楽的ルーツがあり(恐らくそれを本物としている)ルーツに乗っかっているだけの曲が多いのではないかと(ボカロ使用の作業的音楽作成という点も含め)ただ、そこからまたルーツに立ち返る音楽の聴き方も現象として起こりうる。

 

そういう示唆をした文章であると僕は読み取りました。

 

そうした文章のニュアンスは、対象の文化が批判されうるという前提に立たなければ読み取れないものなのかもしれません。

 

「皆がこれを好きだと疑わない」

「これをdisる人間は、ネットの敵である」

「お前の方がクソだ」

 

こうした安易な野次がリプ欄に散見され、その奥には自分達がネットのメインカルチャーであるという自負が垣間見えます。果たしてそうした安易な反駁は、それを真に愛好する人が言う言葉なのだろうかと。しっかりとしたロジックに基づく反駁は、それが批判されうるという前提にと立ってのみ可能となる、そのように思います。

 

どうしてもメインカルチャー化するオタク文化の中では、「何故、どれほど自分がこれを好きなのか」という自己への問いかけが薄くなっていきます。皆とは違う、サブカルチャーに伴う内省は最早過去の産物となりかけています。

 

しかし、本当に愛好する作品やキャラがいるならば、常にオタクはロックであるべきだと、社会に対する挑戦であるべきだと。そのように思ってしまうのです。好きなモノなら、とことん相手をねじ伏せるまで語れと。

 

マジョリティ化するオタク文化の中では、好きであることを自覚する必要は薄いです。固定化されたパターンのキャラやモノをひたすらに愛好する、それを繰り返すのみです。正直、メーカーがメディアさえ上手く使えば、そのようなブームは簡単に作り出されてしまうのではないでしょうか。

 

それこそ経済産業省的オタク活用の形にはまっているのではと。なんだか、無駄に共産圏発想になってきましたが、そんなことを思うのです。当然、アニメ産業の保護や制度的改正は是とされるべきですが、社会全般のクールジャパンというパッケージにのっかった形で、オタク文化を礼拝すると、何かこう本来オタクが有していた、本当に好きだという狂信が失われないかと不安になります。

 

そうすれば、次代のコンテンツも同じような消費型のものが延々と繰り返されてしまうようなそんな危機感さえ抱きます。

  

安易な愛好は、その文化を助長するどころか、その基盤さえ危うくさせるのではないか。かなり僕も煽ったような結論になってしまいました。 ただ「オタ文化は批判されるものだからこそ、より鋭角になる」そうしたロック音楽と通じる精神性は、確実に存在しているものだと思います。

 

「閲覧者」「フォロワー」等々ネットに様々存在する数の論理で全てが語られ、また、それを信じてしまう次代のオタク。それらは、あくまで他人の評価であり、自身のスタンスや好きなものを明確化させる、自分のあり方をよくよく考えなくてはならないのではと感じました。

 

まぁ、そんなツイート延長戦でした。