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わがはじ!

めんどいオタクのブログ。

「境界のないセカイ」を読んで。

雑記

今回は題の通り。

 

幾夜大黒堂さんの単行本『境界のないセカイ』①を読んでみたので、その感想等をば。

 

 

境界のないセカイ(1) (角川コミックス・エース) 境界のないセカイ(1) (角川コミックス・エース)
(2015/04/25)
幾夜大黒堂

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このお話の簡単なあらすじですが、18歳以上であれば、自分の性別を自由に選択できるという「性別選択制度」という仕組みが世の中に存在しており。その中で、久々に再会した自分の従兄弟が「女性」になっていた。そんな主人公と「彼女」を中心に巻き起こるジェンダーフリーな恋愛ドタバタコメディといった感じです。

 

もともとトランスセクシャル界隈では圧倒的な支持を得ている幾夜大黒堂さんの一般コミックとあって、当初よりかなりの注目度でした。ただ、ご存知の通り、更にその注目度を高める出来事が起こりました。

 

ウェブ媒体「マンガボックス」にて連載、そして講談社から単行本も発刊予定だったこの作品。ただ、発売直前にして「表現上の問題」を理由に発刊中止に。

ストーリーも語り尽くされ、漫画のテーマも多岐にわたってきた昨今。ジャンル設定に目新しさを求める風潮もあり、漫画業界自体が比較的自由な雰囲気の中で起こっただけに業界団体に小さくないインパクトを与えた決定となりました。

 

その後、角川の月刊少年エースにて連載が再開。角川レーベルより単行本も発刊されるという経緯となり、実質上の移籍となっています。

 

このTSというテーマ。やはり細かい表現に各所敏感にならざるを得ないというのは理解できます。ただ、本作の内容に目をやると、女性と男性という性差について改めて考えさせられるのは勿論ですが、そこはもともと成人誌作家の幾夜さんの作品。むしろ一般向け作品として、そうしたエロ的表現が、遠巻きに描かれていたほうがグッと来るというか、R15作品のほうがエロいというか・・・ちょっと性癖拗らせた中高生が読むには、かなり嬉しい内容といった印象です。

 

更に作品自体のタッチもそこまで重くなく、色気ギャグあり、サービスカットあり、全編通して軽快な「ラブコメ」として読めるので、そこまでテーマ性がのしかかってくるという印象はありませんでした。

 

ただ、やはり随所にメリハリがあるのが幾夜さんの真骨頂というか。結局1巻では、性別を変える決断をした従兄弟の「啓子」の真意は完全には明かされず、また、掲載最後の話では性別を変えたことに対する偏見やヘイトとの対峙という、現実的な描写も含んでいます。

 

ちょっとここで、幾夜さんの過去作品を振り返ると、僕自身、成人誌『姉と女装とエロ漫画家』から、氏の作品にはお世話になっています。そのきっかけも、確か自分自身が女装を始めた頃で、股間の膨らみを消すための処方、いわゆる「タック」の方法を調べていた際にこの作品に解説の記載があり、本誌を見つけたという酷い理由です。

 

当時から種々そうしたジャンルのエロ本は読んでいましたが、他の女装/TSジャンルエロ作品は、大抵、性欲のみにフォーカスした「もし男の俺が女性になり、そういう感じ方が出来たら気持ちいよな!!」で終了するような印象が大部分でした。

 

そんな中この「姉と女装~」は、ちょっと視点が違います。主人公は姉への恋慕から、女性願望を抱いてしまった冴えないエロ漫画家です。女装願望を作品として漫画にぶつけながら、自らの弱さを姉に支えてもらうというような構図で日々の漫画家業を繋いでいた主人公。

 

しかし、その姉が他の男性と縁談を進めていきます。姉の存在に依存していた主人公は、そのことに悩み、漫画自体もスランプへ。ただ、当初自らの漫画を描くことも姉への恋慕がきっかけだったこと、その姉の事を本当に思う中で、自分の女装漫画家という在り方に至った事を見直し最終的には自立を果たすというストーリーとなっています。

 

そう、この作品。一貫してとても抜けるけど、結構泣けもします。個人的にはですけど。タックといった細かい描写の徹底から、自分が何で女装・TSを選択するようになったのか。また、そうした性倒錯をした後の感情の行き場は、果たしてどこなのか。

 

この女装の根底的なコンプレックスや感情のほつれを描く姿勢が、氏の漫画からは、ひしひしと感じられるのです。

 

 

 

 

話は戻りますが、境界のないセカイにおいても。この二点は当然ながら、ラブコメの中にも巧みに織り込まれています。TSを果たしたはいいけど、女性の性周期だったり、その際の処理に悩み。あるいは、周りからの偏見、恋愛対象の移行に戸惑い。そして、「女性になってしまった自分」は果たして何者なのかという自問に対峙する。

 

そうした社会的な視点をも巻き込むSF的TSってこれまでそんなに存在していなかったんだと思います。要は「個人の性的趣向の異変」でなく、それを社会が認めた時の歪み。独りよがりな「叙事詩」でなく、社会一般的な「ラブコメ」という文脈を使った社会的考察が行われている。こうも言えるのではないかと思いました。

 

ただまぁ、実際読めばそんな片意地張ったような話でなく、おっぱいの膨らみが自分にできたら、とか女性の股間ってどうなってんだろみたいな、バカ中高生全開な表現にニヤニヤが止まらないのが正直なところではありますが。

 

ただ、先に言ったような、もし性差というものを自らの選択でひっくり返せるとしたら。それも「社会」がそれを容認しているとしたら。この思考実験は、少なからず性について考えさせるには十分すぎるトリガーになったような気がします。

 

確かに今回の発刊中止という決定に対しては、講談社としてもかなり各方面からの批難を恐れた結果というか、内部の価値観的事情によるものかと思われるため、僕の立場からしても偏った、また弱腰な判断であったと批判せざるを得ません。

 

ただ、本作にはその「議論が巻き起こること」に対して十分すぎる程のテーゼがさりげなく、また不可分的に織り込まれている事も確かであると思われます。ちょっと諸々書きたくなってしまって、ひとりごとを並べましたが、バックナンバーからファンであるいち読者としては、純粋に幾夜さんの「ラブコメ」を楽しみに今後も応援を続けたい思いであります。

 

まとまりがあまりありませんが、とりあえず、今回はこんなところで。