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わがはじ!

めんどいオタクのブログ。

日本語ヒップホップのカウンターカルチャーとしての必然性(前編)

つい3日前まで僕は「日本語ヒップホップ」というシーン、あるいはジャンルに対して以下のような印象を持っていた。

 

・2000年代に売れたリップスライムケツメイシm-floを代表とするメロディックかつハイBPMで踊れる楽曲が中心のシーン。

・ブラックな感じがする日本語ヒップホップはアメリカの文脈焼き直しであり、ファッション的に流入されたアングラ文化なので注目する必要は特にない。

 

とりあえずここだけ読んで怒り出さないで欲しい。いや下さい。これから、いくつもの要素に渡ってそれがいかに稚拙な考えだったか、また自分自身が抱き始めた日本語ヒップホップへ傾倒せざるを得ない理由を、ボロボロと吐き出していく。

 

とは言っても、先に書いたとおりこの考えが覆ったのは一昨日。そしてその理由は、今一部で人気沸騰中のバトルラップ番組「フリースタイルダンジョン」を見たからというこれ以上ないニワカ的なスタート地点から始まっている。ただ「鉄は熱いうちに打て」というか、考えれば考えるほどに、日本語ヒップホップがいかに注目すべきカルチャーであるか。というアイデアで脳がオーバーヒート気味なので、色々各方面に謝罪の意を感じつつも文章とさせて頂きたい。

 

まずこの「フリースタイルダンジョン」という番組。火曜の深夜にテレ朝が放映しているラップバトルを扱った番組で、ようつべで動画は見れる為知らない方はそちらをチェックして頂きたいのだが、番組擁する「モンスター」と呼ばれるMC陣と挑戦者MCが即興でそれぞれをdisするラップを披露。審査員がどちらの方がより相手にダメージを与えたか、またフロアを盛り上げたかで判断し勝負を決するというルールだ。

このラップバトル自体は、古くからある文化であり特に目新しいものではないモノの、今回テレビという舞台でエンタメ性を高めた演出により、かなり見ごたえある番組に仕上がっている。

 

そしてなんと言っても、各人の即興で詩を構成する能力が高いこと。僕もそれにまず驚いた。この人ら何で即興でこんな事ポンポン言えるのよ。純粋にそこに見入ってしまい、そしてそのMCが普段どんな楽曲を歌っているのか、情報を漁ることで更に日本語ヒップホップにハマっていく。

そして聴く程に気付くことは、日本語ヒップホップは、遍くすべての日本現代エンタメが抱える消費性・飽和性・大衆性といった数々の問題に対して、明確なカウンターカルチャーとしての側面を持っているという事だ。

 

こんな偉そうなこと言ってるけど、今のところハマって2日。Youtube秋葉原のゲームバーA-buttonのおかげで得た脆弱な知識のみではあるのだが、そのカウンターとして注目すべき要素を僕なりに挙げてみた。

 

①「プロレス」としてのヒップホップ

先ほどの「フリースタイルダンジョン」要はラップバトルという言葉にもあるとおり、相手の悪口を言い合うことで雌雄を決するというなかなか下衆な勝負方法である。聴いていればかなり辛辣な事も言っており、胸糞悪くなるという人も中にはいるだろう。ただ、その構図はなんなのかと言えばまさにプロレス。対立構図を煽るだけ煽って、いかにマイクパフォーマンスで相手を言い負かすか。でも、えぐい事言っても暴力は反対。そこに幾ばくかの好感が持てる。

 

プロレスが全盛でなくなった今、今テレビでここまでの純粋な悪意による悪口合戦はなかなか見られない。今の時代は特に、視聴者やスポンサーの意向を考えれば「心地よい」番組を作ろうとするというのが一般的な思考であろう。問題にならず、それなりな快楽を発生させるコンテンツ、それが時代の要請のように見える。そんな中で辛辣な言葉の殴り合いを放映する事自体が挑戦的であるし、そもそもこの文化自体が番組関係なく過去から連綿と続いていることを考えれば、やはり今の日本における反発文化としての存在価値は認めざるを得ないだろう。

#16/フリースタイルダンジョン - YouTube

この回後半に登場したDOTAMA。この人物を取り上げる時点でかなりのニワカ感があるが、とにかくリリックに容赦がない。悪口の矛先や、周囲を巻き込む「イジメ」的な発想力、憎たらしいまでのヒール感。このラップを聴いたときに抱く嫌悪感も含めて、洗練されたカルチャーであると衝撃を受けた。

 

②「ネタ」としてのヒップホップ

そしてこのDOTAMAの経歴の際に出てきたところに注目なのだが「芸人」の間でもラップバトルが行われている。相手のdisに対していかに上手く呼応し、それ以上に共感を得られるか。そう、大喜利の進化系がそこに見られるのである。

そして先に上げた動画からDOTAMAやR-指定のラップを見ていただければ分かる通り、言葉に時事や芸能情報を入れることでユーモアを加え、観客の反応もそれに連れて良くなっていく。それは、アメリカのスタンダップコメディにおける政治批判の手法によく似ている。欧米における「コメディ」というのは元来、政治を批判する為の道具であった。それに対して現在の日本でのお笑いにアイロニー要素というのはなかなか見られない。

それに関連して爆笑問題太田光氏がこんな事を前に言っていた。「昔は顔が悪いから芸人になるしかない!って言うヤツがいたのに対して、最近は顔が良くても芸人を目指す。それはミュージシャンや俳優よりも稼げるし人気もある。芸人の地位が上がっちゃったし、批判するべきものなんかもうないのかもしれない。」

つまり自身のコンプレックスや闇が深いほど相手に対する攻撃も先鋭化される。先に上げた番組内でもラッパーからのそうした発言がみてとれる。「自分が下の人間だから、上の人間を刺せる」という構図自体が元来の「お笑い」の本質であろう。芸人が憧れの対象となった日本においては失われてしまった「ネタ」としての矜持が、この日本語ヒップホップにはあるように思える。

 

 

ひとまずここまでで今回は区切ろうと思う。なんと、次回に続くとは。自分が一番驚いているけど日曜深夜なので許して欲しい。

 

ここまではひたすらにフリースタイルダンジョンの一部分だけを抽出しながら書いてきたが、ここからは多少視野を広げて別のアーティスト楽曲をチョイスしつつ、もう少し好き勝手語ろうと思う。予告としては ③「ロック」としてのヒップホップ ④「地域産業」としてのヒップホップと続ける予定だ。今のコンテンツ消費文化に対する、日本語ヒップホップが有する文脈を照らすことが出来ればと思う。

 

なぜここまで自分が熱くなっているのかも、分からないのだが掘れば掘るだけこのカルチャーが孕んでいる魅力と可能性に気付くことが出来る。また色々とあさってみたい限りである。