わがはじ!

めんどいオタクのブログ。

オタクとデモクラシーの親和性

オタクと民主主義って結構親和性が高いんじゃねえのって思った話を簡単に。

www.soumu.go.jp

ここで投票権が18歳以上となったことを受け、総務省がその普及を進める上で「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」の高坂桐乃をキャンペンガールとして登用した。先週あたりから「なんだなんだ。オタク活用がこんなところにも波及しやがって。総務省マジかwwww」とネットは騒いでるようだ。

 

ツイッターなんかでそれら評判を見てると「きりりんじゃねーかwwww」「総務省やりやがったwwww」「学生をバカにしてる」「全員オタクだと思うな」とか悲喜こもごも。ただ元来より、オタクって思った以上に政治に親和性が高い層なのではと思っていたので、このチョイスに頷くところも個人的には多い。まぁ、作品自体を観てしまえば近親相姦スレスレ、というか結構社会倫理上アウトなんじゃねえのという恋愛模様が爆発してるストーリーである為、このような公共性の高い役割を担わせるには適切でないという批判が各論として巻き起こるのも仕方ないだろう。

 

しかしながら、総論として。近年「輝かしい日本文化を海外に!」という一連の動きの中で、その対国外への輸出レギュレーションを守る為にも児ポル・表現規制といった一種の「エロ魔女狩り」の動きが行政・政治内において活発化した。数年前には東京都の条例でロリアニメキャラに対する規制の為「非実在青少年規制」という定義が作られたことも懐かしい。近年とは言ってみたけれど、実際には手塚治虫先生の頃から言われていることではあり「子供にとって適切なマンガ表現を!」という生真面目な親御さんたちからのクレームというのは、いつの時代だってなくならないものである。

 

しかしながら、そこはオタクたちも負けるわけにはいかない。「レモンピープル」の時代から連綿と続くこの美少女文化。二次元というモノが放つ性の本質的な魅力を、そんな大人たちの勝手な都合で消滅させやしまい。と、なかなか熱い気概があるのである。そうなってくると生じてくるのが政治上の対立構図である。喫緊では山田太郎議員(最初は名前もネタだと思ってた)が種々、そうした規制的法規に反対を促し、それに続けとオタクたちが機運を上げている様子を、ネット上でも見ることが出来る。

 

この状態というのは日本ではなかなか見ることの出来ない純粋に政策的な「中間団体」の構図そのものである。戦後日本においては「利益団体」としての中間団体は数多くある。業界と政治家が密接に結びつく事で、その議員先生が当選した暁には、当該業界団体に優位な立法・行政を施す。という流れだ。これは政治とカネの事件も相まって、誰も彼もワイドショーやらで嫌と言うほど観てきた場面だろうし、この組織的利害価値が優先される日本では非常に有効な手段であった。しかしながら、今回オタクという存在が増加し(その質は問わずとも)ここまで顕著な意見の反発を見せ、ネットで団結をし、そしてそれを代表する議員が現れる。これはまさに個人の権利主張を主体とした、まさにトクヴィルが定義する「中間団体」の姿ではなかろうか。

 

そこで投票年齢の引き下げである。話題性、この実効性という点において二次元キャラをキャンペーンに活用するという意味は大いにあるように思える。先にも挙げたと条例の話だが、それが話題になった2010年前後。同人誌で「サルでも判る都条例対策」という同人誌が発刊された。それはコミケという場所を介し、表現規制に対して我々オタクがいかに対抗策を講じるべきか、という事を漫画で論じたなかなかにチャレンジングな一冊だった。

wagahaji.hatenablog.com

文面が多少荒れているけれども、2011年当時のレビューエントリを置いておく。まぁ、その要約としては、オタクが持つ最も強い武器は真面目な状況を「ネタ」として笑えるという点であり、そうした規制を仕掛けようとする大人たちをいかに笑って批判できるかがオタクとしての戦いである、というような内容だった。

 

多少話しは飛ぶが、もともとコメディとは、王政を批判する為に西洋で生まれた文化である。現在のアメリカでも、TVショーで最も面白いコメディアン達が選ばれ、政治家の目の前でアイロニーたっぷりなネタを披露する機会もある。それに選ばれる事がまた名誉でもあるという。オタクも元来は、純粋な物語の楽しみ方から外れた人たちが、パロディしてみたり考察で深めてみたりと、自ら「ネタ」を探し出す事で更なる深みにハマってしまう人たちを指す言葉であった。そういう意味では、オタクの「ネタ」に執着するその姿勢こそが、今の行政、あるいは政治体制、そしてアジテーション、ヘイト、全てへのアンチテーゼとして存在しうる可能性を秘めているように僕は思う。

 

そういった点から言っても、オタクと言うのは案外、民主主義にとっては欠かせないファクターになりうると思うし、その気概を持っている人たちではないだろうか。今政治に興味がない、と言っている人も「自分の本当に好きなものが楽しめない」というデストピアに対して、なんらかのリスクを持ってしても抵抗する可能性はある。なかなか今回の総務省のチョイスがイカしているなと感じてしまったので、このような駄文を書いたまでであるが、今年の参院選。オタクがオタクとして、どのような選択をするのか。そういう目線で楽しむのも一興であろう。