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わがはじ!

めんどいオタクのブログ。

中二病倍数理論

よく行くバーのマスターに言われた至言がある。

 

中二病中二病ってよくいうけど、実際26~28歳の方がもっと酷い中二病になるからね」

 

正直ぐうの音も出ない。現在27歳の僕は完全にその渦中にあると言ってよい。中学生の頃以上に、日々がなんともいえないツラさに圧迫されれている。仕事という不完全燃焼タスクを背負い、成長産業でもない業界の中、果たしてこの会社に居続けてもいいのかという猜疑心と「ケッ!このまま人生終われっかよ、何かしてやろうじゃん!!」という謎の無駄大志が慢性的な胃もたれの原因になっている。クラーク博士は「ボーイズビーアンビシャス」と言ってくれたが、気付いたときには最早僕らはボーイズでもなかった。いや、ボーイズの定義ってなんだ。もしや童貞か。

 

そもそも、クラーク博士が童貞を励ましていたのかどうかなんて、もし、そうであったとしても本当にどうでもいい。村上春樹ノーベル賞を逃すたびに集まるハルキストたちが「残念でしたね」とレポーターに聴かれ「でもこうしてハルキストが毎年集まる事が出来るのも村上春樹さんのおかげです」って返すコメントくらいどうでもいい。むしろ、クラーク博士は多分童貞は励ましてない。そんな気がする。

 

上記数行本格的に意味がないので流すけれど、現状まさに30歳を目の前にして、色々な症状が発症している気がする。荒療治ではあるが、その例示というか最近身に覚えのある行為や発想をいくつか身を切りながら挙げていこうと思う。

  • 転職サイトのやすっぽいドラマCMで泣く
  • 深夜アニメの思わぬ日常シーンで泣く
  • 実家で世の中に疲れた感を無駄に出す
  • でも大丈夫、と無駄な意地を見せる
  • 友人に知った顔で仕事の自業界の話をする
  • そして「クソだ」とdisる
  • 中学時代にハマった作品にもう一度手を出して、ルーツを探り出す。
  • んで泣く。
  • 株価とか不況的状況になると逆に変な安心感を抱く
  • 隣の芝はめっちゃ青い。地中海くらい青い。
  • 友人の結婚式で「祝う」努力がちょっと要る
  • んで泣く。

こう挙げてみると、中二病とか言っておいて純粋にクソなヤツじゃねえかと思うのだけれど、そう、胸を張ってあえて言おう。本当にクソなのだ。逆に中学時代は、溢れんばかりの性欲や他者との差異への気付き、それらが甘酸っぱい自意識を迸らせる原因となり伊集院光氏が定義するところの「中二病」に陥る。それはまさに子供が大人への階段を上る過程と言えよう。

 

しかしながら、この第2次中二病というものは、いかんせん自意識の発生源が「功名心」や「承認欲求」だったりするので、もう始末が悪い。既に社会的には大人になってしまった自分に戸惑い、どこかで抱いていた「こうであるはずの大人」幻想に対し、自分の成果が追いつかず、まだ大人じゃない!と意地を張ってみたり、逆に「いや俺すごいんじゃね?」と突如自信を持ってみたりと忙しい。このように自我の認識が左右にふれやすくなると、非常に情緒も不安定になる。突如SNSではしゃいでみたり、周囲のリアクションに酔ってみたりと、結局のところ自己演出に余念がないという、まぁ正直な話、自分含め巷でもたまに見る感じの人となる。

 

ここまで書いてきて何なのだけど、この中二病状態。決して悪いことだけではなく、今現状の自分に疑問を持つというのは向上心の異名でもある。何か新しい事がしたい!そういうエネルギーを無碍にするのは勿体無い。上手い具合にこの第2次中二病を、建設的かつ持続可能な発展につなげられるかが鍵となるのだろう、と偉そうに自分に対して言い聞かせている所存だ。理屈は理解は出来ても全く人生のツラみはなくならない。実に不思議だ。

 

 

そして将来に対するぼんやりとした愚痴は置いておいて。今回の本題。ちょっと話は戻るのだけど、マスターが言ってた年齢に着目したい。26~28歳。そう、ちょうど僕らが最初に中二病を発症しだす13~14歳のダブルスコアにあたる。ということはだ。単に「中学二年のときに発症する=中二病」というより、13・14歳の倍数の年齢において、男性は自意識がやけに活発化してこじらせ易いのかもしれない。

 

まぁ自分がまだまだそこに及んでないので、予想だけでこの先を見てみることにしよう。もしこのまま第2次中二病を卒業して、次に迎えるのは年齢で言えば、39~42歳。種々会社では若くして部長になったり、はたまた、自社経験を活かし会社を立ち上げたりする人が出てくる頃合だろう。周囲の人間に対して社会的地位をいかんなくカマす時期のように思うし、いや増して男としての色んなプライドが炸裂しだすように感じる。そしてその先は52~56歳。企業内の地位で言えば役員・取締り役が見えてくる一方で、もうラストも見え始め自分の人生に見切りを付け出す頃合。「アイツはあそこまでのぼりつめたけど、俺の人生はこれで良い」と自己納得をさせ始めたりもするだろう。それぞれの人生のあり方を自分で見つめなおすのがこの第4次中二病とも言える。

 

なんていうか、勝手に色んな人の人生模様を妄想してみたけど、なんかリアルで余計に凹んできた。まぁ、何はともあれちょうど人生における自己認識に変化が起きやすい頃合がこの「中二病倍数年齢」ではないだろうか。東洋医学の8の倍数のときに身体の変化が起きやすいみたいな、アレである。こうして考えると、しっかりとその年齢を頭に置いて自我と向かい合うことで、不要な葛藤は避けられるだろうし、余計な他者への妬みなんかも持たずに済めばそんなに楽な事はない。

 

判っていたところで、人間は人間である。所詮、その時になったらそういう物の考え方をしてしまうし、利己的になったり、無駄に自分を卑下してみたりと、なんていうか三つ子の魂百までなのだろう。ふと中二病というモノが男の人生にとっては、永続的に影を落とし続け、また逆に「やったろうじゃん!」と原秀則的反発のバネになる可能性も秘めている。中二病は卒業するものでなく、一生涯付き合い続けるもの。身の回りの色んな諸先輩を見ながら、また自分の腐った脳みそを振り返りつつ、そんなことを思う鬱な雨夜でした。