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わがはじ!

めんどいオタクのブログ。

「グレーゾーン」を考えること

25日付けの日経記事の中で、前向きに考えさせられる記事があったのでその件についてつらつらと。

www.nikkei.com

TPP導入により、著作権侵害を以前より厳しく取り締まる方針が打ち出された。具体的に言えば、今後様々な作品が輸出入される中で、もし権利の侵害とみなされる商品があった場合に、権利者の告訴なしでも摘発可能という仕組みを作ろうという話だ。本来は違法DLや海賊盤といったコピー商品から、本物を守る為の仕組みであるが、その中に「二次創作作品」は含まれるのか否かという議論が持ち上がった。

 

確かに二次創作は、著作権の侵害の一種である。コミケなどを見れば一目瞭然の通りだが多くの人が原作者・権利者の許可なく原作パロディを作成・販売しており、その行為自体は法的にグレーだということは否定できない。今回取り上げた記事は、文化庁の審議会で「二次創作は海賊盤とは別物」であり「日本特有の漫画、アニメ文化の発展に寄与する」という理由からグレーゾーン維持の判断をしたことに対し、講談社社長が安堵のコメントを発表した、という内容であった。

 

たまにツイッターなんかでも議論なることだが、二次創作をしたり、またはコミケ等イベントに参加しそれらを愛好する以上は、この著作権侵害という問題を避けて通ることは出来ない。「別にいいじゃんww同人作家あがりの商業作家もいるでしょwww」という声も見かけるが、そういう話じゃねえんだよいいから黙ってROMってろ、なのである。二次創作である以上は、あくまでもそのキャラクターやストーリーは誰かの創作物なのであり、それを借用して儲けを出す、ということ自体言ってしまえば「借りパク」状態だ。それが度を過ぎれば咎められて然るべきだし、決して二次創作が野放図に良しとされるのも問題がある。

 

しかしながら、今回の文化庁はそれを踏まえても、尚「同人文化」の存在を前向きに認め、パロディから生じる新たな才能の萌芽に期待したいという判断をした。グレーゾーンをグレーとして残すのを是としたのである。これは本当に賞賛すべきことだと僕は思う。

 

何も僕がオタクであり、またコミケに参加していたり、購入したプリキュア同人を読んでは「このきらら氏マジでシコれる・・・」とか誰もいない部屋で独り言をつぶやいているのが日課であることだけを理由に、このように賞賛するのではない。もう少し広い視野に立てばこの「グレーゾーン」を行政庁が認めるというのは、なかなかに難しい問題だったはずだ。何故ならば、文化庁の仕事としては「文化の奨励」を目指す為にも「違法商品の排除」もしなくてはならない。その奨励か取り締まりか、の基準の中にグレーゾーンを置くことは、その判断を自ら複雑化させることに他ならないからである。

 

物事を判断する為には、世の中にわかりやすい基準があった方が当然に良い。交通法規などはまさにその例である。例えば、スピード違反なら法定速度が定められており、それを超えたら違法となる。法定速度が「グレー」だったら、警察官らの「なんかあの車、早すぎじゃねえ?」「せやな、パクッたろ」という感覚が違法の基準になってしまう。そんなリヴァイアサンよろしくな某世紀末的世界など、きっとヒャッハー言ってるヤツしか生き残れなくなるだろう。

 

ただ社会全般を見通すと、その白と黒をはっきりつけるのが必ずしもいいこととは言いきれない。先ほどから見ている同人文化の例の他に、最近ではLTGBの権利問題もこの話の一種であると言える。いわゆる「性的マイノリティ」という呼称で呼ばれているが、要は性別のグレーゾーンをいかに捉えるのかという問題に帰結する。以前までであれば、男性と女性。この二種のカテゴリで社会のありとあらゆるシステムが稼動していた。まぁ、現在でも大抵はそうなのだけれど、そこのカテゴリだけでは収まりきらない、という性質を「人間のあり方」の一種として認め、そこにグレーゾーンを作り出す風潮は個々最近、徐々に強まってきている。

 

このグレーゾーンを考えるということは、人間にとってめちゃくちゃ重要な要素だと思う。法律のように「白か黒か」という判断基準は、わかりやすい反面、人間にどんな感情を起す可能性があるのか。そのひとつは差別だろう。基本的に人間の思考というのは楽なほうに流れる。基準がきっちりした「わかりやすさ」は人間の思考停止を招く。考える事を止めると、人はそれに基づいた判断、行動を起こす。時にそれは暴力を伴い、アパルトヘイト始め、歴史上の黒人差別などはまさにそのまま当てはまる例示だといえる。

 

そうは言っても、人間にとってグレーゾーンを考えることは正直面倒くさい。なぜなら、男女のように簡単に白と黒で2分類できたはずのカテゴリは「グレー」という概念を含めた瞬間、ボリュームフェーダーのように無限のバリエーションがあることに気付く。最早、LTGBという4分類すらざっくりとした分類だ。例えばの話だが、確実にトランスジェンダーにもグラデーションが存在し「生まれたときから自分の性別に違和感を感じている人」から「ちょっと週末には別の性も楽しみたい」というレベルまで。そういう人たちの存在を我々はどのように考えるのか、が課題となるのである。

 

この例示ひとつにも、世の中には様々な考え方が存在する。例えば、前者の人に対して「人の性別のあり方は、所与の体で決まるものでなく、その人の意思で選択できる権利だ」と考えるか「性同一性障害だから、障害者としてきっちりと公的な扶助が与えられるべき」と考えるのか「そんな発想は自分の思い込みでありあくまでも本来の性別に強制すべき」と考えるのか。挙げたのが極端な答えではあったが、世間にはまだまだ多くの意見があり、個々にそれぞれ主義と主張がある。時にはその代表的な考えが、社会の規範になったりもする。但し、人間がいる以上、確実にいえるのはグレーゾーンは確かに存在するのである。どのような常識があっても、その存在について思いをめぐらせることは、数々な価値観が共存する現代において必須の思考であると、そのように思う。

 

今回冒頭に掲げた同人文化を「グレー」として残した、という文化庁の日経記事からはかなり話がそれてしまった感はあるが、僕がこの記事から受け取った感情というのは、以上のようなことである。ファジーな基準を持つことは、正直かったるい。逐一、頭を使わなければならない。でもその分だけ、人を気遣う事ができ、二次創作なら作品を、作者を正面から捉えることにも繋がると思う。単調な判断でなく、この「グレーゾーン」と真正面から取り組む思考は、より良い同人文化、ひいてはより良いオタク文化、そして多種共存の文化を生育する何よりの土壌になるものだと、そう感じた。眠い中書いたので、くっそ飛躍したけど、そういうことで。