わがはじ!

めんどいオタクのブログ。

「アニソン三昧」「ニコニコ超会議」同日開催から考えるこれからのオタク

GWいかがおすごしでしょうか。先日は僕自身も文学フリマにサークルとして参加。コミケとは違う雰囲気に戸惑いながらも楽しく終えることができました。遊びに来てくださった方々、また当日お世話になった方々、本当にありがとうございました。

 

自分の中の大きいイベントも終わり、オナニーでもしながら休日を無気力に過ごすしかなくなったので、暇つぶしにふと先日思ったことをつらつらと書いていこうと思う。

 

4月30日の日曜日、タイトルの通りある意味で好対照なイベントというか出来事が同時に執り行われていた。ひとつは、NHK-FMで放送された「今日は一日アニソン三昧」。朝の9時から翌日深夜25時までの16時間に渡って、ひたすらアニソンを流し続けるという鬼畜の所業みたいなラジオ番組である。

www4.nhk.or.jp

オタクが一度聴き始めてしまったが最後。「あの曲はかかるんだろうか」という淡い期待を胸に気付けば昼飯、夕食すら面倒になり宅配を頼む御仁も。文字通り1日が溶けることになるという恐ろしい番組である。

 

もう一方はニコニコ動画を発端としたリアルイベント「ニコニコ超会議」である。

www.chokaigi.jp

気付けば今年で早5回目。ある種インターネットの最先端と言えるニコニコ文化のお祭りということで、企業から政党、また家族連れ含めた一般ユーザーまでをも巻き込んだ大規模な催しとなっている。

 

先に誤解ないよう言っておくと、僕自身ニコニコ超会議には行った事がない。むしろ本音を言ってしまえば、あまり行く必要がないと思っていた。性格上、周りがヤンヤヤンヤ盛り上がってるようなところに行くのはそもそも苦手なので、当日も下記の通りなツイートをしている。

 

そもそも地元のお祭りなんかも、得意な方でない。テンションが高い人を見るとテンションが下がる。昔「B型の取扱い説明書」とかで書かれていた感じの人、そのものと言える。当たっているのが悔しい。

まぁ、それ以外にも捻くれたオタクとしての自我もある。過去にそういう同人誌を出したとおり「開かれたオタク文化をどう捉えていくか」という穿った考え事を延々と論じたがる人間である為、どうも催しやコスプレが主張されまくるニコ超は「ウェーイ」系オタイベントに見えて仕方ない。

 

それに対して「アニソン三昧」はとにかくアニソンを流しまくるだけのラジオ放送。その幅もテレビ放送開始時から現行放送しているものまでと際限なく、マニアックな選曲に唸ったり、あるいは皆知っている曲に盛り上がったりと、ラジオを聴きながら世代を超えた「誰か」と共有できるという実感がある。

文化放送よろしくアニラジで育った身としては、そういう文化に慣れ親しんでいるし、何より孤独でありながら見えない誰かと繋がっているという「オタク」っぽさは確かに存在している。

 

そういう訳でオタである自分としては「アニソン三昧>ニコ超だな」という見方をしていた最中、ニコニコ超会議に行ってきたという人に会う機会があった。「実際、どうなのよ」と聴いてみて、そこで自分の発想が「ズレ」ていることに気付かされる。

 

「小中学生が凄い楽しそうに走り回ったり、家族連れも多くいた。彼ら彼女らにとって、ネットでの世界はテレビの世界と同じなんだなと。歌い手なんかもうスターでしょ。ユーチューバーになりたいという子がいるのも頷けるよね」

 

それを聴いてなんていうか、もうニコニコ超会議コミケと対比したり「オタクのイベントとしてどうなんだ」と考えることすら意味がないのだなと痛感した。

いや、ネット上でも「幼稚園児がipadいじってる」とか「小学生がiphone持ってる」とかそういった文章を読んでるけど、その本質を理解出来ていなかった。既に現在もそうなのだけれど「オタクがいる世界⇒ネット⇒ニコ動」という世界観は、まるで崩壊している事を改めて突きつけられた思いがする。

 

「いや、こんな事既に言わなくても分かってる」と言われる気がするれど、知っている事と、理解する事と、思い知る事はまるで違う。今10代前半の彼らは、音楽もゲームも画像も映像も全てメディアが要らない「データ」だという前提で生きている。そして恐らく、芸能人やアイドル、ボカロ、歌い手、踊り手、ユーチューバー、過去の大人が念のため名前をつけているその「括り」も、彼らの中ではかなりファジーであろうことは容易に想像がつく。

 

そうすると「オタク文化」というモノすら、恐らく彼らには特別なものではないのかもしれない。初音ミクなど、元来オタクだけのモノであった妄想や空想の世界がここまでリアルに体感できるものになれば、それを「オタク文化」とカテゴライズする必要すらない。これからのエンターテイメントのカテゴリは、それを享受する彼らに決定権がある。オタクという存在を定義することすら、多分無意味な時代が来るのかもしれないとかぼんやり思ったりした。

ニコニコ超会議というのは、そういう世代の顕在化として非常に面白いイベントなのだと話を聴いていて感じた。オタクからの批判対象とかそういうレベルの話でなく、これからの若い世代がどのようにエンタメを捉えているのか、また逆に大人たちはそこにどうコミット出来るのか。ある意味、それを試す場なのだと。そういう見方も出来るイベントなのだと思った。

 

また、ここまで超会議で引っ張ったが、アニソン三昧も世代を考える意味では面白い。聞いた方なら分かるだろうが、今や還暦世代がアニソンで騒ぐ時代である。「三昧」のいいところは選曲に本当に気を使い、世代の偏りと時間帯を考慮しながら、新旧の曲を織り交ぜてくる。当然僕なんかも知らない時代、ジャンルの曲が多数あったし、そういう場所で覚えられる知識や感動も多い。

上の世代も若い世代も相互に知識を得られ、そして盛り上がる。この知識を共有しシャッフルできる土壌が、これまで続いてきたオタク文化には多分、しっかりと残っている。

 

これから近い将来ネットが完全に普遍的な存在になる中、アニメやマンガを好む「オタク」という定義自体に意味はなくなるのでは、なんて事を先述したわけだけど、それでも連綿と続く「オタク」の精神性は、過去から発掘し、今に活かし、未来を楽しむことで。温故知新とは言うけれど、そんな発想はこれからも、継続させる事が出来ればいいな、とかそんな事を1日のうちに考えさせられた。

 

なんていうかこんな長々と書いてしまい、あまり纏まっていない気がするけど連休ってことで。