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わがはじ!

めんどいオタクのブログ。

ゴルスタ騒動と国際平和

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最近、白髪が増えた。左のこめかみ辺りに急に。家の鏡を覗いた際に白っぽい事に気付いたが「洗面台の照明の関係だろう」と思い込んでいた。昨晩、会社のトイレでふと鏡を見たら同じところが白くなってた。結局、照明の問題じゃなかった。まごうことなき色素を失った毛。なんだかキラキラしていてきれい。そんな夏の終わり、白髪混じりの寂寥感を吹き飛ばすビッグコンテンツの話題が舞い込んできたので、ツイッターでも遊んだが、ここでも好き勝手書いていこうと思う。


そう「ゴルスタ」である。ネット上ではここ数日、台風のような盛り上がりを見せ、ツイッターでも一気にトレンド入り。僕も魅了されたひとりだ。まずは要点だけかいつまんで説明してみる。

問題となったのは中高生専用SNSアプリ「ゴルスタ」ゴール&スタートの意らしい。種々SNSの機能はあれど

「ゴルスタを使用したら他のSNSを使用するな」

「ゴルスタの機能を1か月使わないと自動的にフレンド削除」

「運営の批判をしたらアカウント凍結」

「凍結を解いて欲しければ反省文を書け」

という各種の運営方針が炎上を招いた。しかし冷静にこう並べてみるとやはりすごい。このコンテンツ自体が孕んでいる圧倒的なパワーワードに、仲間外れにされた大人たちは閉口するしかない。

 

また、どうもこのSNSアプリを使って、スマホ内の情報抜き取りを行ったみたいな疑義もあるらしい。怖いぞ、現代社会という感じだ。

 

ただネット上ではそれ以上に、この運営の強大な権力体制を揶揄して「社会主義的だ!こんな世界があったなんて」「ゴルスタってゴルバチョフスターリンの略だろう!」「ユートピア的だ!赤い!」とかそういうネタで溢れたわけである。確かにおっしゃる通り、これは赤い。赤すぎる。


昨晩僕も、陰謀論・都市伝説大好き月刊ムーをこよなく愛する友人I氏と飲んだ際、このゴルスタの話題でおおいに盛り上がった。

 

「ネットじゃバカな運営が炎上させたとか言ってるけど、絶対裏にはキレ者の黒幕がいる。社会主義システムを現代、仮の形で生じさせるという壮大な社会実験だったはずだ。」


「あのぶっとんだアカウント凍結理由にしたって、いつかは炎上するって分かるだろう。その炎上のタイミングこそ、彼ら(含みを持たせながら)にとっての、資本主義のゴールであり、社会主義のスタートという合図だったのかもしれない。」


「実際、コミュニティさえ作ってしまって、そこで一定の立場が与えられた中高生は運営を擁護しだす。この構図さえ作れれば、誰だって現代のスターリンになれるのだ。」


「資本主義経済に迎合したゴルバチョフ、それが彼らの理想の一段階目のゴールだった。実はプーチンの陰にスターリンは生きていて、逆ペレストロイカを実行に移しだそうとしている。スタートがいよいよ始まったのだ」


まぁ、バカばっか言って2時間半。なんていうかこんな話題でこんな客で秋葉原nicoさんごめんなさいって凄い思う。でも、こういう詭弁ネタってロジックさえ引っかかれば何でも言えるので、いくらでも時間が消費出来る。左脳の無駄遣いとはまさにこのことだと思う。

 


ただ、徐々にバカ言ってるうちに。なんだか少し怖くなってきたのだ。
「なぁ、でも70年代ってさ。この陰謀論って笑えなかったんだよな」と。

 

もし、だ。彼らSNS運営が中高生を囲った実際のリアルなグループになったとしよう。擁護派の若い中高生と共に武闘的な組織を作ったら。もうこれは公安の出番だ。そして、武器を持ち、戦闘を始めたら。多分、僕らも「ヤバいぞ早く潰さなければ」と思うはずだ。


当然、ここまで来ると先ほどバカ陰謀論と大差ない。しかし、70年代安保闘争時の発想や当時の西側諸国が抱いていた社会主義国への恐怖感、その感情の一部を2016年の日本において人々に体験させたということが、ある種ゴルスタを「ネット上のバカネタ」で看過できない事態とさせている。

 

その中で、まず注目すべき一点目は「擁護派が生じた」という点だろう。イデオロギーなんか関係なく、SNSというバーチャルなコミュニティを使用して、閉鎖的空間を作り上げ、一方的に締め付ける。そうすると、不条理がまかり通る社会が形成されるという過程を目撃したのだ。

 

限界を感じ始めた社会主義国、あるいは終戦間近の日本、カルト教団でのマインドコントロール、そうした抑圧された状況下での「一般民衆」の精神的鬱屈状態を、SNSでの自我意識を通して見る事が出来たのである。通常上記のような状態は、完全に外部との関係性が遮断された状況で生じる為、あまり大衆に晒されることは少ない。

 

そして二点目の着目点は、先の擁護派の出現も含めて。ネット民がしっかりと今回の一件を「ネタとして扱えた」ことだ。死人が出たわけでもないし、事件性もそこまでない。SNS運営の過激なアカウント縛りに「これは理不尽すぎるww」と笑っただけかもしれない。だが、それらを「まず笑う」事は非常に重要な視点だと感じる。

 

かつて西側諸国は恐怖した。そして、このような社会を力で抑え込むことを考えた。だって、確かにゴルスタみたいな、こんな抑圧的なコミュニティを良しとする国がのさばっちゃったら「世界がヤバい」と感じるのは正当だ。しかも核武装しているとなれば、もう笑いどころの話ではない。

 

しかし、こうした「誤った考えをもつコミュニティを正面から潰す」という発想、行為は、東西冷戦を見れば分かる通り非常に不毛な均衡を産み、朝鮮戦争ベトナム戦争を始めとする「末端」での代理戦争を生み出した。

 

今回、こんな記事をうだうだ書いてしまったのは、そうした「これはないだろう」「ヤバいんじゃねえか」という出来事に対して「ネタとして笑う」という事は一般民衆が出来る最も賢明な初期対策だと感じたからだ。元来喜劇はイギリスなどでもともと王政を風刺するという所から活発になっていった文化だ。笑うということは、力の監視にも繋がる。相手の意欲も削いでいける。そして民衆自身の冷静さの維持にも寄与する。


今回最初に、ゴルスタ騒動を見て「これはヤバいな」と思った。なんていうか、あ、怖いと感じた。これがかつて70年代にあった恐怖感かと。確かに、戦争って起きるなと思った。ただ「ヤバいから潰す。」きっと、この発想でいると、20世紀の反省って全く生きなさそうだぞ。と、そんなことを面倒くさく考えた陰謀論オタの遠大な与太場話でした。