わがはじ!

めんどいオタクのブログ。

「女装ってキモい。」<気持ち悪さの本質を考える>

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「キモいのはお前の女装であって、女装全般の話にするな!」って人、言いたい事分かるけど内容全然違うこと言ってるからとりあえず、本文読んでね。

・女装はなぜ「キモい」のか

写真は僕が普段使っている化粧道具だ。なので特に外部から煽る記事というわけでもなく、僕自身も女装をしているため、よく言われる言葉をただタイトルにした、ということである。SNSではそこまでの言われ方はしないものの、いざリアル社会にてそんな話に及ぶと「女装なんかしてるの?キモい!」「なんでそんなことするの?」とか言われたりする。まぁ、正直未だに「キモい」は多少傷つくけれど、この趣味の歴もある程度長くなると慣れてきた言葉である。

 

そもそも、なんで女装なんかしているのか。僕自身これまでもいくつか記事を書いてきたし、それを発端にした同人誌も前回作成した。

C90/夏コミ新刊!告知「'00/25 Vol.6<女装という在り方>」 - わがはじ!

こうした衝動にざっくり説明がつけられるよう自分なりには善処してきたと思う。ただ、そうしてみた処で周囲および社会の「キモい」という感情は未だに残っているし、それを払拭するなんていう遠大な思想は持ち合わせてもいない。キモいもんはキモい。そう思う人はそう思う。それは否定できるものでない。

 

何がきっかけでそんな考え事を始めてしまったのかと言えば、先週日曜日。9/18、板橋にて行われた「男の娘21」という女装子オンリーの即売会にはせ参じたからである。

男の娘☆ 〜男の娘ONLY同人誌展示会〜

 

なんていうか昭和ぽい即売会で、愛好会の雰囲気に近いものを感じる。そして相変わらずの参加者の女装率。僕も久々に女装をしながら、周囲を見回してもほぼ男。ただし装いはやはり女装。個人的には昨年が初参加で、その際の感想やイベント概要等については、こちらのエントリに詳しく書いてあるので確認してほしい。

wagahaji.hatenablog.com

 

そんなイベントなので、浮いてるということはないものの、久々に女装をすると「俺ってやっぱキモいのかな」とか内省を始めたりするわけだ。でも周囲にはもっとなんていうか奇抜な人がいたりする。うーん。まぁ、あの人よかマシかな。とか面倒な思考に陥る。

 

この見出しの問「女装がキモイとなぜ言われるのか」読んでる方の脳内を先んじて言ってしまえば「お前の顔が不細工だから」というのが最速で浮かぶ答えかもしれない。大島薫氏のように、イケメンが女装をすると可愛らしく仕上がり、それが受け入れられやすいのは周知のとおりだろう。美醜が大きな価値判断基準となる界隈であり、それはもう致し方がない。

 

しかしながら、今、芸能界を見れば世を席巻しているマツコ・デラックス氏やミッツマングローブ氏などが、一見して「まぁ、男だよね」と分かるスタンスながら、その地位を確立している。その点を考慮すると、世間の感情はいわゆる外見至上主義「ルッキズム」だけでは語れず、そして「女装」という行為に自体にヘイトが強いという感じでもなさそうである。

 

果たして、マツコ氏やミッツ氏を代表とする女装家たちは、一体何のハードルをクリアし、僕みたいな市井の女装家たちは何と戦っているのであろうか。その違いと、周囲の「キモい」という感情はどこから出てくるのか、疑問に対する考え事である。

 

・そもそも「キモい」ってなんだ

そもそも世間が思う「気持ち悪い」という感情というのはどこから出てくるのだろうか。大まかに言ってしまえば、それは人の防衛本能からくる「排除」の感覚だと考える。

 

自分の価値観とは異なる人・事・モノに対して感じる違和や不快感。これを総じて「気持ちが悪い」と言っているような気がする。例えば僕が女装をすること自体を「キモい」と感じる人もいれば、その容姿を見てから「キモい」と言う人もいる。それはつまり、各人許せるハードルがそれぞれに違う、ということである。前者は、男性が女装をすること自体が許容できず、後者は女装自体は許せるが、外見的な女性らしさに届かなければ、そこで排除となる。

 

また、話を変えれば例えばアジア圏では犬を食べる文化が結構ある。日本人からすれば、一種気持ちの悪い印象を受けるかもしれない。あるいは、映画などグロテスクな映像を見てしまった時。その際感じた「気持ち悪さ」も自分自身の日常から乖離した光景を、自己内から排除したいという防衛本能が働いているのではないだろうか。

 

実際に嘔吐する際「気持ち悪い」と言うが、それも身体的防衛理由から胃の内容物を「排除」するということにも繋がってくる。つまり「キモい」という感情は、自分の理解の範疇外からやってくる未知なる物体・事象から、自分を守るための排除を促す感情、アラートみたいなものであるとここでは定義したい。

 

・「期待」と「諦め」の間

そりゃ、男に生まれたんなら男の恰好をした方が自然だし、女性に生まれれば女性らしい服が用意されている。しかしながら、いざ性別をもって生まれてくると案外、人はそのジェンダーに合わない振る舞いを所望したりもするのである。

 

そうした人に対して、ノーマルな発想の人はその人に期待をかける。「性別通りの服装を着るべきだ」と。その枠から外れていく人へ社会は「気持ち悪い」という言葉を投げかけることが多くある。ここ最近ではようやくそれに対する反駁として「性同一性障害」という枠組みが与えられ、これを経るとようやく周囲は「諦め」の姿勢を示しだす。「生まれつき性認識が違う、障害ならしょうがないよね」と。

 

この周囲の「諦め」を得るには、先に挙げた「気持ち悪い」の定義から「理解のできない点」をほぐす事が重要な要素になる。その為「障害」といった説明を与えられると人は理解を示す。この図はその他障害を抱えている人に対しても同じである。例えば「コミュニケーションが成り立たないのは耳に障害があるからだ」「彼は事故で脚が不自由になってしまった」など、前後関係を与えることで、ようやく人は理解する、寄り添うという行為に至る。

 

しかしながら、ここの段階で「キモさ」から逃れられないのは「障害」を抱えていない人達だ。自らの意志で「女装」を行う。男という性自認を持ちながらも女装をする。「え?男なんだろ?なんなんだお前は」となる。そう、世間の理解のハードルを超えられていないのである。

 

・「摩耗」「通過」という諦め

世間からの「諦め」を得るにはもういくつか方法がある。それがこの「摩耗」と「通過」である。「摩耗」はいわば、慣れである。先に挙げたマツコ氏、ミッツ氏など、テレビ露出が多い。それにより日々その姿を見ることになる。そうすると、人は日常にその存在を取り込めるようになってくる。違和感を感じる映像でも何回も見てれば日常化する。郷に入れば郷に従えではないけど「なに、この風習?」と思っていたものも、理由なく「そんなものだよね」と受け入れられるようになる。

 

また「通過」と言うのはいわば「気持ち悪いと言ったところで、もう仕方ない」という状態である。その当人が外部からの評価を気にせず、その姿勢を表立って貫いている場合には「気持ち悪さ」はあまり生じえない。再三言っている通り「気持ち悪さ」とは一種「分からなさ」「不気味さ」なのである。どうしても「気持ち悪さ」を「見た目の悪さ」と一緒に考えている人がいるが、そうではないと思う。開き直られて「そういう人なんだ」と思うと、態度も軟化してくる人も結構多い。過去に経験もある。

 

・誰もが「気持ちの悪さ」を抱えている

以上、女装にテーマを絞り、それぞれ周囲からの「キモい」を解消するための方策を勝手に考えてきた。しかし僕としては特段、女装をしても周囲から「キモい」と言われない為のハウツーを示したかったわけではない。まして「女装の人へ理解を!」と社会へ呼びかけたいわけでも、全然ない。女装なんかキモいと思ってくれて結構。性癖だから、しゃーねーじゃん。なのである。

 

じゃあなんだという話で。実際には社会の中で多くの人間は人知れず「キモさ」を抱えている。例えばこの国では、宗教。外部から見ればよく分からないモノにハマって信仰している人へ「キモさ」を感じたりする。あるいは潔癖症。なぜそんなにまで綺麗じゃないと気が済まないんだと、ある種の気味悪さを感じたりもする。また、道行く外国人に。精神障害を抱えた人に。異常性癖の人に。そう、自分の理解出来ないところに「キモさ」は生じるのだ。

 

つまり「気持ち悪い」と感じる事は他人との違いを意識しているという事である。「こいつと俺は違う」「なんなんだ、意味わからねえこいつ」この感情が「キモい」という言葉に至っている。安易に「キモい」という言葉を使う人ほど、この点をより自覚すべきなのではと思ったからである。

 

最後だから書くけど、やはり先述した女装イベントに出向いた際、他の人を見て「うわー、この人キツいな」と思う事もあったりもするわけだ。聖人じゃあるまいし。ただ、そんな事を思ってる自分を振り返るとタイツにスカート履いて、化粧して、偽胸まで入れてる始末。あぁ、なんか誰もが人を「キモい」と思ってみたりするけど、実際に自分の存在はどうなんだと。そう自分の反省としても、考えてしまったという話でもある。

 

何かに「気持ち悪い」と思うこと自体は悪いことでない。何回も言ってる通りそれは防衛本能だからだ。だけど、それが他者への安易な攻撃として使用しているのであれば、自分の身の振りをもう一度見たほうがいいのかもしれない。ネット上での非難合戦も、たまに見ていてそんなことを思う場合がある。なんていうか、そんな勝手な考え事がはかどる初秋の寒い1日でした。