わがはじ!

めんどいオタクのブログ。

ところでグロ系作品って好きですか。

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10月も気づけばすっかり月末。巷では冬のコミックマーケットの当落情報などが開示され、2016年も年末が近い。我がサークルも、ありがたいことに評論島で当選と相成りながら、諸般というか超一身上の都合でこれまでのシリーズ新刊は作れそうにない。あー腹切りたい。

 

まぁ、ちゃんとした謝罪は改めてここに書き起こすとして、世間はハロウィン一色。せっかくのイベントウィークなので、そんな湿っぽい話は一旦やめてグロテスクなジャンル作品について一人陰鬱に考えていきたい。

 

・グロオンリーイベってあるんだ

昨日10月29日。一緒にご飯を食べた友人から「今日、板橋で同人即売会がある」という話題がでた。聞けば耽美系というか、グロやエロを中心に扱うオンリー即売会「艶惨(ENZAN)」なるイベントで正直その存在すら初めて聞く。(公式には「ハードフェティッシュアートフェス」とのこと)

ハードフェティッシュアートフェス艶惨(ENZAN) 公式サイト

そういうニッチなオンリーイベントって、きっかけがなければなかなか行けないので、友人に連れて行ってもらうことにした。

 

そして会場は板橋。そう、このブログでもお馴染みになってきたハイライフプラザいたばしである。先日は女装で乗り込み、今回はグロテスク系イベントに馳せ参じる。本当に開催イベントをもう少し選んだ方がいいのでは、と疑問に感じさせるほどの懐の広さはさすがである。

 

はっきり言えばグロというジャンルに僕はそこまでの耐性はない。人のケガはもう無理、テレビなどの演出で血を見るのも苦手。トラウマとしては小学生の頃にはニューシネマパラダイスで夜中やってた菅野美穂が出てる劇場版『エコエコアザラク』を見て吐き気を催すレベル。そういう意味では「いや、やめておくよ」という判断のほうが真っ当なのはわかっていたが、一抹の好奇心と「ハロウィンだしな」という謎のイベント気分が乗じて足を運んでしまった。

 

・グロテスク作品は「創作の極致」

会場について。もう、チラッとフロアを垣間見ただけで並んでるテーブルのゴシック調な空気にあてられる。もう売り子さんも、参加者もなんか怖い。もう、言っちゃえばミサっぽい。ケガや白骨化的な特殊メイク体験から、同人誌も女の子のはらわたどばーっとしたイラストだったり「骨肉」という単語がもはや比喩でもなんでもないというような光景が広がる。

 

中には物好きな外国人の方もチラホラ。もはやクール通り越してクレイジージャパンな状況に嬉々として買い物してる姿を見ていて「そもそも東京観光で板橋ってどうなの」とかちょっと冷静に脳内ツッコミを入れつつ様子をうかがう。

 

ただ、そんな様子に僕はやはり引いてしまってるかといえば「金もっとおろしときゃよかった・・・」と後悔の念を抱えながら、会場内を回っていた。いや、参加されてる方々のレベルが高いこと高いこと。すでに薄い本も数冊抱えて「あーこれも欲しい・・・」とぶつぶつ独り言を呟きながら不審者感まるだしで徘徊する始末。なんでこんなところに神絵師ばっかいるんだよ。

 

「表で活動できない絵師がこぞって来るからやっぱしレベルは上がりますよね~」とはサークルとして参加されてた方の言葉。やはり普通のイベントでは出せない表現が凝縮されたイベントというのは面白いものだ。

 

また人間の臓物などを漫画や絵画で扱うには、人体に関する知識はもちろんのこと、表現としてのリアリズム、そして人倫という枠からはみ出す異常的発想、というような表現上の素養が必要となるだろう。そんな3拍子も揃ってたら、そりゃ絵のレベルも高くなる。

 

印象論だが、グロをちゃんと描く人っておしならべて画力が高いイメージがある。人間の肌を描く際、普通の肌であれば何もギミックを加える必要がない。ただ、グロ系の絵となれば臓物まで細部に渡って書かなければならないわけで。そして、そのグロテスク描写を使って漫画にするならば、とかく突飛なストーリーも必要になる。高い画力と異常なストーリー、そういう意味ではグロテスクジャンルは「創作の極致」といえるのかもしれない。僕の言いたいことのイメージとしては、木々津克久氏の『ふらんけん・フラン』あたりの作品を思い浮かべると分かり易いかもしれない。

 

・グロ作品に人は何故惹かれる?

ただ、ここまで書いてきたが自分にも疑問が湧く。なぜ、ここまで人倫に外れたような表現に惹かれるのだろう。先にも挙げた通り、はらわた飛び出るのを見て「気持ち悪い」という感情は確かに存在するし、人の出血などを想像すると今も手から力が抜ける。すげえタイピングしづらい。

 

しかし、先にも書いた通りグロテスク作品やシチュエーションは苦手だが、不思議なことに嫌いじゃないのだ。『エコエコアザラク』はその後ちゃんと見返したし、グロ系B級ホラーはその後比較的好物にもなった。『ファイナル・ディスティネーション』なんかは何度見たか分からない。映画としては「くだらなくて好き」というのもあるが、その根底にはもう少し深い理由があるのではと勘ぐっている。

 

端的に言えば、グロテスク作品を見ると普段人間生活を送るうえでひた隠しにされている、人という着ぐるみの中身を見れる気がするのだ。過去にこんな経験をした。

 

小学校時代にふとももを10針縫うケガをした。少年野球中のスライディングでの交錯でぱっくり割れたのだった。肉が開き、骨まで見えてた。意外と自分のケガというのは人のケガよりも冷静になれるようで「ダメだこりゃ」と救急車を呼ぶよう大人に頼んだ。友達のお母さんが僕の傷口を手当しようと間近で僕の肉と骨を見てしまった。その後、僕から離れたと思ったら草むらでえずいていた。担架で運ばれながら、その光景を見てしまい多少ショックを受けつつ、僕はなんだか冷静に「人間って、基本的に気持ち悪いものが中に詰まってるんだな」とかそんな事を考えた。

 

それ以来、なんだかグロテスクな作品に不思議な魅力を感じるようになった。たぶん、怖いもの見たさというより、秘匿されたものを見てみたいという感じに近い。いくら綺麗な外見をしていても、その実はグロテスクな器官の集合だという事実を。そして「この人は人である」という一般的認識は血や肉という中身に対してでなく、あくまで完成された着ぐるみ自体を指しているのだと。人間という外面を剥ぐ、あるいは剥がされるというのは、非常に物語として艶美な魅力を称えているように感じる。

 

こんなこと言ってると「こいつ人倫に反している!」「気狂いだ!」とか非難したくなるのもわかるし、僕も普通にそう思う。現実世界で「秘匿されたグロテスクを見てみたい」とか思ったりもしない。てか思っちゃってたら、それこそB級ホラーに出てくる殺人鬼である。怖い怖い。

 

むしろ、グロ系作品のその魅力というのは思考実験に近い。人間というものが本当はグロテスクな存在だと、普段ひた隠しにしている汚い部分を改めて見させられるような。再度、自分という存在を再定義させられるような。こんな楽しみ方してるヤツはいないだろうけど、自分を見つめなおす意味でもついつい惹かれてしまう。単純に「グロは苦手!」という人も、ちょっとずつ恐る恐る覗いてみたら、案外面白いのかもしれない。