わがはじ!

めんどいオタクのブログ。

不要資本主義のススメ

 

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最近、出版物やテレビでも過重労働やら格差の問題など、資本主義経済自体が限界を迎えている、という話をよく目にするようになった。それに対して「じゃあ、果たしてこれからの将来って経済をどう考えればいいのん?」と壮大な考え事をしていたのだけど、ぼんやりながら「消費者自身がもう要らないものは要らないって言ったほうがいいんじゃね?」と思うに至った。まぁ、内容として手垢もついてるけど自分の考えまとめとしてなるべくシンプルに書く。

 

運送業のドライバーは本当に減った?

昨今、この国の運送業のドライバー不足はかなり致命的なラインにまで及んでいるという。日本の小売業の生命線である物流網が崩壊する!と結構前だがNHKの『クローズアップ現代』でも特集されていた覚えがある。なるほど、やはりこの時代、トラックのドライバーなんてキツイ仕事をやりたがる人っていないんだなぁ・・・そう思ってた。

 

そんな中、僕の担当得意先で北関東のとある工場がある。小さい規模の生産ながら堅調な経営をしている会社だ。モノを作りながらも運送業も請け負うその会社の社長がこんなことを言っていた。

 

「この前、ドライバーさんが一人定年になっちゃって。ハローワークで募集かけたの。最近って報道の通りドライバーになる人なんていないと思ってたから、諦め半分だったんだけど結果10人近く応募があったんだよね。驚いちゃった。」

 

聞けば、条件は正社員で月給23万ほど。詳細は省くが地元の職安の話では「これだけの好条件の求人は貴重」だったらしい。なるほど。減っているのはドライバー志望の人でなく、ドライバーを安定的な給与で雇い続けられる運送業だということだ。

 

正直、当然の話だろう。現在人手不足が叫ばれている業種っていうのは、そのキツさ以上に薄給の問題が大きい。キツイ仕事だとしても、その見返りがあれば多少は我慢が出来る。「なんでこんなキツイのに、これしか貰えんのじゃ」という不満が募るとそりゃ人はいなくなる。当たり前の結果だ。

 

・ところで、そのサービスって要る?

ワーキングプアなんて言葉が生まれて久しいが、まぁ激務の割に薄給の仕事や、契約社員なんてものも案外普通となっているこの世の中。新自由主義が悪い!小泉政権が!と今更叫び、民進党共産党に投票したところで、なんら期待感など持てやしない今日の情勢である。

 

自分自身も働きながら奨学金返済に苦しみ、薄給の中、資本主義経済の波に飲まれるしかないのだろうか・・・と思っていたのだけど、まずさっきの運送業を例に考えてみる。ネット民どころか、普通の一般生活になくてはならなくなったネット通販であるが、amazonさんなんか冒頭の画像のように「当日お届け」なんて離れ業をやってのける。すごい時代だ。

 

そりゃこれだけの事をやるのに、色んな仕組みはあるんだろうけど、そもそもだ。このサービスを見たとき僕は「え?当日配送って要る?」「配送業者キツくね?」って思った。いや、できるのはすごいよ?でも当日絶対に欲しい!ってそれ何かトラブってるレベルだよね、と。もっとゆっくりでいいよ、と感じたのである。

 

また、ちょっと話は飛ぶけど小売店の年始初売り。色んな意見はあるだろうが、この10年ほど三が日に色んな店舗がこぞって「初売りセール」をするのが普通になってしまった印象がある。僕が子供の頃はどの店舗も営業しておらず、街そのものがしんとしていたのを記憶している。そりゃみんなが休んでいる中、小売りが店を開けば儲かるのは分かる。でも三が日くらい、従業員含めゆっくりしたら?と思わずにいられない。

 

・消費者から言うべき「そこまで要らない」という主張

そのように企業は、できるところまでサービスをやってしまうものだ。この低成長時代に売り上げを伸ばすにはそうするしかない。ただ、これまで見てきた通り最速配達や営業日の増加といった「過剰サービス」は、そこで働く従業員はもちろん、モノを運ぶドライバー、それを支える流通、そして結局川上のメーカーに至るまで。連動して全ての商流に歪みを生じさせている。

 

自分の生活を顧みれば一瞬でわかる通り、自分は労働者であり消費者である。消費者としての振る舞いが、労働者へ影響することは自明の理だ。資本主義経済が戦後の成長期を終え、グローバリズムの中で限界を迎えている中。僕ら消費者の側から企業へ「いや、そんなにしないでもいいよ」というステートメントを立てる必要があるのではないかと思ったのである。

 

アップルの創業者のジョブス氏は生前「消費者は、自分が何を欲しているのか、その実物を見るまで知らない」と言ったという。なるほど、斬新で新しいモノを作れば、顧客調査などで今のニーズに寄り添うまでもなく、商品を売ることができるという経営指針である。ただ、この発想はこうも言い換えられるのではないだろうか。「企業の過剰サービスによって、消費者はモンスター化する」ということだ。

 

企業が、より安価で、速く配達し、そして年中無休、そんな営業が続けば消費者は「それが普通でしょ?」と考えるようになる。普通すらクリアできない企業は淘汰される。それが競争原理だ。だからこそ、その過剰な「普通」にストップをかけること、それが消費者であり労働者である我々に今求められてることではないだろうか。ダンピングはそもそも禁じられてるが、いっそ消費者の側が想像力を働かせ「もう、そこまでしなくてもいい」と諭す時期に差し掛かっている。

 

・停滞することを目指す社会

景気が悪くなると、客先に回るたび「モノが売れなくて困るねぇ」と色んなところで聞く。そりゃ人口減だし、目ぼしいヒット商品でもない限りはなかなかモノが売れる時代ではない。しかし、多くの成長志向の企業が未だにその予算組みを「生産対前年増→販売売上げ額予算増」というスタイルで、市場動向でなく生産ベースのアップから売り上げ高を考えている企業が思った以上に多い。

 

「生産は昨年以上!作ったものを売ってくるのが営業!」まぁ、企業が成長するにはその通りだ。しかし、今の現状その成長は「他企業のシェアを喰う」ことが前提になる。海外含めもう完全なブルーオーシャンが存在している業態もまずないだろう。ほとんどの企業としての成功は、同業他社に勝つことと同義である。

 

一番最初に挙げた会社の社長さんがこんなことも言っていた。「1000円のもの10個売るのと、10円のモノ1000個売るの。金額は一緒だけど、より頭使うのは前者で、人や設備ばっか使うのは後者だよね。これまで以上に頭を使う時代に入ってきている。」これから、経営規模を維持するだけでも大変な時代に入ってきている。生産向上と過剰サービスによる他社との潰しあいは、果たして健全な経済システムと言える状況なのだろうか。

 

消費者は労働者として、労働者は消費者として、その経済主体としての自覚がより求められる時代に入っていると感じる。余談だが僕が学生当時、高校時代の国語の先生がこんな事を言っていたのを思い出す。「例えば街づくりをする上で、真っ先に建てるべきは美術館だ。市民の価値観を育てるからだ。」と。当時はなんのこっちゃと思ってたけど、今になって思う。ただただ安価な価格に流されず、本当にいいものには高い値段を払う。そんな審美眼と心の余裕を養う為には必要なのかもしれないな、と。

 

僕らは企業から与えられる不要な過剰サービスにはっきりと「要らない」と言い張ることで、自分自身を、また働いている誰かを守ることに繋がるのかもしれない。とかそんなことを考えた初冬の日でした。