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わがはじ!

めんどいオタクのブログ。

オタクになると決めた日。~15年前の誕生日の覚悟~

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そろそろ、どうやら僕は28歳になる。社会人生活も若手ながらある程度長くなり、営業車で関東を駆けずり回る日々。一人暮らしの生活、給与明細を見てため息をつきながら、コンビニに月々の生活費を払い込む。最近唯一嬉しかったことといえば『魔法使いプリキュア!』の十六夜リコと誕生日が近いと知ったこと。そんな怠惰な毎日から逃避するかの如く、ふと中学時代に思いを馳せたりもするわけで。今回はそんなセンチな思い出と共に。

 

・アニメ嫌いだった小学生時代

これを読んでくださっている方は、自分自身がオタクになったと自覚した瞬間を覚えているだろうか。僕自身も「中学時代くらいにアニラジとか深夜アニメとか見だして」という感じで、はっきりとした境界線を持っていたわけではない。日々オタ関連情報が滝のように流れてくる昨今。過去を振り返るよりも、明日のブヒネタを探すことの方が生産性があるというものだ。

 

しかしながら、冒頭に書いた通り28歳の誕生日を迎えるにあたって。ふと自分の15年前の誕生日、つまりは中学1年生だった頃をなんだか思い出してしまった。正確に言うならば、目の前の本棚に挟まっている『あずまんが大王』のコミックス1巻を見て、その時の光景がよみがえったのだった。僕にとってのすべては恐らくそこから始まったと言っていい。

 

当時、僕は13歳。オタクという存在がまだ忌諱すべきもので、萌えキャラなんて好きだと言った日には完全に「アレなヤツ」扱いされていた時代である。当時僕は小学校から中学まで全義務教育期間において学級委員を務めるザ・真面目な優等生であり「ニュースを見ていた方がカッコいい」という理由から、小学生高学年はアニメをまったくと言っていいほど見ていなかったクソガキだ。

 

最近なんかのネット記事で見たが、それが命取りとなる。 やはり、そうした極度な態度を示していると反発はいつかやってくるもので、徐々に漫画の女性キャラを見るたびに変な感情を抱くようになる。妹が買った少女漫画『こどものおもちゃ』『神風怪盗ジャンヌ』『ケロケロちゃいむ』など、今思えば全て地雷作品なのだが「ん?なんだか変な感じがするけど面白い」と思いつつコソコソ読んでいた。

 

もともとそれ以外の素養がなかったわけでもない。格ゲーは小さい頃から嗜んでいたため『ストリートファイターZERO2』で春日野さくらに『ジャスティス学園』で若葉ひなたに「謎のときめき」、後に「萌え」と呼ばれる感情を食らっている。というもう種は降ろされていたと言ってよい。

 

・ちょうど15年前、秋葉原

「なんだよ、そこまで来てればお前すでにオタクだろ」と言われるだろうし、自分でも書いててそう思う。ただ、そんな状況でも「萌えキャラが好き!」ということを当時の僕は絶対に認めなかっただろう。とにかく恥ずかしかったのだ。クソませてた上に、どシャイな僕は「そんな子供だましなものに感情を動かされるなんて」と、強情を張った。

 

その一線をぶっ壊されたのが、先にも触れた『あずまんが大王』だった。少女漫画も萌え絵も書き込み量が多い方が主流という時代。軽妙なタッチでシュールに女子高生の日常を切り取るその手法は画期的で、アニメ化も決定、とかく爆発的に売れていた。「なんだろう・・・この魅力的なキャラクターは」書店に行くたびどうしても欲しくなっていた僕は平積みされた本書を見て何度も葛藤を繰り返す。「欲しい・・・が、これを買ったら何かが壊れる気がする、いや家で親が見たらどうしよう、友達に買ってるところバレたら」

 

2016年の今、あずま氏の次作『よつばと!』が国民的ヒットになっていることを当時の僕に伝えたい。できれば『あずまんが大王』を背徳感ゼロで手に取って欲しかった。フラットな気持ちでオタクになってくれればどんなに今苦しまずに済んでいるか。

 

いよいよもってリビドーを我慢できなくなっていた中学1年、13歳を迎えようとしていた僕はついに決意を固める。「自分の誕生日プレゼントに『あずまんが大王』を買おう」と。但し地元で絶対に買いたくなかったので、秋葉原に電車で向かい、雑多なアキハバラデパートを抜け目の前にそびえる旧ラジオ会館へ。親父がトモカ電気とイエサブに行くのに付き合っていたため、馴染みのあるビルだった。1階からエスカレーターに乗り込むと鏡張りの側面。映し出される自分の顔を見ながら「お前はこれからオタクになるのだ」と覚悟をした。

 

今思えば何を漫画1冊にバカな、と思うが、当時の僕にとってオタクになるという事は真人間である事を捨てる事に等しかった。タバコを吸う、酒を飲む、萌え漫画を買う、というのは僕の中で同じレベルに位置していたように思う。それほどの決意をもって僕はK-BOOKSのレジに『あずまんが大王』1巻を持参した。

 

•背徳感という麻薬

というか、そもそも K-BOOKSという場所すら、もう落ち着かない。周りを見渡せば一面に広がる美少女デザインの書籍やグッズ。エロに全く興味がなかった当時の僕は、極力周りを見ないようにして、そそくさと店を立ち去る。とうとうやってしまった。という自責の念と、早く封を開けたいという焦燥に駆られる。

 

家に帰ってから親が寝静まった深夜。一人こっそりと『あずまんが大王』を開く。面白い、そして、女の子しかいない・・・なんて世界なんだろう。いや実際、エロ本でもなんでもない、ただのギャグ漫画である。しかし、アニメを見ることすら自らの禁忌としていた僕にとってその世界は、ただただ恍惚とした想いを抱く対象となる。当時は全てが魅力的に映った。

 

その後、少しずつでは周囲にオタクを見つけ、アニラジや深夜アニメという文化にも触れる事になる。しかしその段階でも親や友人になんか言えない。絶対バレてはいけないという危機感をもってアニメを見る努力をした。その背徳感は、もはや快感以外の何物でもなく、萌えイラスト1枚にすら畏敬の念を抱く程。毎朝、通学で通る総武線秋葉原の車窓から見えた『電撃大王』の広告を、見たいが為だけに必死に窓にへばりついた。

 

そしてその感情は「自分でも萌えイラストを描けるんじゃないか」という思いに繋がっていく。持っている漫画の模写から始め、授業中すら萌え絵の落書きを始める。こんなこと気持ち悪すぎて周囲になんか絶対言えない・・・その思いが余計にこの趣味へ没頭を招く事になる。なんていう事を自分はしているんだろうか、でももし自分でも可愛いと思えるような絵を描けたら。そうした背徳感と、描けたときの全能感は一種の脳内麻薬として働き、僕は更なる情報と所有を求めてオタク作品を貪るようになる。

 

・「拗らせること」のメリットデメリット

ここまで見てきた通り、その後加速度的にアニメやアニラジに埋没、高校生になりPCを買ってからは、野球部の朝練がありながら毎日朝の4時まで延々とエロゲを続ける始末。堀江由衣さんと結婚したい、という妄言を吐きながら、上手くもない東鳩マルチの絵を数少ないクラスの同志に見せつけてみたり、『Fate/stay naight』がエロゲでありながらどれだけ素晴らしい作品なのかをレジュメ作ってプレゼンしたりと、まぁ、なんていうか想像しうる黒歴史はある程度こなした。

 

その時の圧力は凄まじく、コンテンツ消化力、そして啓蒙活動どちらをとっても圧倒的なエネルギーを持っていたのは間違いない。しかしながら、それによって多くの大切な事を失った気もする。周囲は次第に色気づき始める中、僕は同人誌という存在との出会いに狂奔していたし、その結果エロ文化に対する理解も変に捻じれてしまったこともあり、一部の方はご存じの通りのバラエティ豊かな性癖具有者に堕ちている。

 

現在のネット社会。いうまでもなくオタ情報は多方面に共有され、一般社会からの理解も熱くなっている。当然ながら健全にオタク文化を楽しむならば、今の方が真っ当な環境であることは確かだろう。僕がオタクとして自覚を持ち過ごしたこの15年間は、すべてにおいて過渡期の時代だったように感じる。古き良きものを愛し、新しい展開に驚く。その連続だった。

 

ふと自分もこの年齢になった。前も別の記事で書いた通り生まれた時代によってオタクはそれぞれの育ち方をする。どれが正解でどれが不正解という事は決してないが、過去の熱量をふと思うと今の自分が多少もの足りない気もしてくる。僕にもオタク趣味を「背徳」と捉えていた時代があった事を忘れることなく、バカな話を続けていきたいな。とふと思う誕生日前の休日でした。