読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

わがはじ!

めんどいオタクのブログ。

ハンドルネームと本名の間で生きる事

今回はおさんぽみるく氏のこのエントリーについて考え事。思わず「分かる・・・」とかキャラでもなくとても共感してしまった為、ついでに自分の身の上話でもしてしまおうと思った所存である。

www.blog.milkwalkee.net

自分語りぽくなってるので、まぁそういう人もいるんだなという具合で見てほしい。

 

・ネットとリアルは別人格か

そもそもインターネットにオープンにされているスペースなので誰が読もうとも拒否することは不可能だが、それをリアル、まして職場でグチグチとするのは「ナンセンス」であり「マナー違反」であると僕は考えている。無論、いくらインターネットであろうとリアルには変わりないのだが、ネット上には会社で見せない人格や物言いの強さがあるし、会社で見せることのない人間関係もあるわけだから、それに対して言及されることは、土足で自分のフィールドに踏み入れられたような気がしてモヤモヤが晴れない。(上記記事より)

 

彼の主張内容を見ていると、まず「ネットとリアルの人格の差異」という問題意識が念頭にあると思われる。ネットはそもそもリアルとちょっと違うもんでしょ。と。うん、僕も基本的にそうだと思ってたし、冒頭の通りめっちゃわかる。僕のケースだが、そもそもHNが「すくみづ」なんて名前でSNSや同人活動をやってる人間が、現実社会と同一視されたらそれこそ死ぬしかない。

 

そもそも、このHN。どのような始まりかと言えば、学生時代によく色んな趣味が高じて、スクール水着を普段着のインナーとして着用していたら、周囲のオタクたちから「スク水さん」と呼ばれるようになったというのがきっかけである。こう文字にしてみると何か妖怪の類な感じも受けるが、だって下着なんかよか洗えば早く乾くし、当時ブルセラ通って結構な着数もってたので、もはやパンツとシャツを別に着る手間が省けるツールとして個人的には「機能的だ」とか思ってたような気がする。

 

この思想に「キチガイ」とかそういう評価が付随することもうっすら存じてはいたのだけど「スク水さん」って呼ばれることに特に抵抗もなかったので、HNもそれにしてしまった。そしてすでに「すくみず」さんはいらっしゃったので、エゴサしやすいように「づ」にした。というそれだけである。何も特段面白い話ではない。

 

そんな人格が社会に出ていいはずがない。だって、ただの変態なのだから。しかしながら、どうも僕自身も彼と同様に取引先の一部からこの「すくみづ」という宛て名のメールが僕に届いたりするし、実際ツイッターも監視されていたりする。まぁ、そんな中なのでやりづらいのは確かだ。だって「シコって寝る」という一言も、取引先へのオナニー報告みたいなもんだし、前にはうpした女装写真をわざわざご丁寧にプリントアウトされて、先方の社内で回覧されたりした。まぁ、その会社や担当者との関係性という事情もあるのだけど「マジか」と思うこともあった。

 

・隠してるものがバレたときの爆発はものすごいと思う

このような事態というのを最初から想定していた訳ではない。ふとコミケで同人誌出しているという話題から、ちょっと現物見せてみろという話になり、軽く見せてみたらこんな感じになった訳だ。これを読んでいる方で会社バレとかしたくない人は本当に軽率な行動は取らないほうが良い。実際、この記事も見られる前提で僕自身書いている。つまり、こんな状況になろうとやってることは曲げたくない。僕はそう思ってしまうのである。

 

このネット人格とリアルの差異。考え方は人それぞれだし「隠すべき」と主張する人もいるだろう。だが、僕としてはネットとリアル人格は別と言いながらも基本的に「隠したくはない」のである。自分から積極的に提示することはないが「見せろ」と言われれば原則見せる。話せと言われれば原則話す。これは会社だろうと友人だろうと、親だろうと全部一緒のスタンスで生きている。

 

なぜかといえば、ここの見出しの通りである。僕自身、幼少の頃からどちらかと言えばイジられる方で、時にそれはあからさまなイジメに見えることもあった。そうすると「キモイ」という言葉は、最早長年の付き合いというか、腐れ縁の友達みたいな感じを受ける単語であると言える。前に女装考察の際にこの「キモイ」という言葉について言及したが、果たして人はどのような時に僕に対してキモイと感じるのだろう。そんなことを延々と考えていた訳だ。根暗も極まると病気である。これがその時の記事である。

wagahaji.hatenablog.com

取引先から「すくみづ」宛てでメールが来たり、前日のツイート内容について「キモいぞ」とツッコまれたり。あるいは両親がコミケのスペースに来たり、僕の女装写真を見て「酷いな」と言ったり。僕の羞恥を覗くのなら、誰だろうとそれをやめろとは言わない。そっちが見たいのならば、決して止めない。まぁ流石に、という一線はあるけれどもそれは、プレイでもなければ誰人も人に自分の自慰を直接見せないのと一緒である。プライバシーは守るけれども、それがパーソナリティにまでなっていれば、公開を僕は選択する。

 

何故かと言えば過去の経験だが、隠してたものが発覚した時の爆発力というものは恐ろしいものがある。前にも書いたが隠していた全身タイツや女性向け衣装を親に見つかった時には、どうしようもない空気になり、口もきいてもらえず自死すら考えた。ただ、それを抑えて生きていくという選択も取りたくはない。正直、性癖なんてものは一種の障害だと思う。なんでそれを隠して生きていかなきゃならない。隠したものが発覚してショックをお互い受けるのなら、いっそ公開した方が潔い。そして、ネットなら見つからない、という時代も終わりを迎えていると思う。僕はいつしか、ある種の覚悟をもって「キモさ」と共に生きる事を受け入れたように感じる。

 

・人を信じる自分を信じる

グレンラガンみたいな事言ってるわけだけど、いや確かにグレンラガン観てて気づかされた点もあったりする。一度「キモい」と思った人も、もうそいつの生き様だと思えばいつか理解は及ぶ。そう信じることにしたのである。だからこその公開、という処置だし、僕自身も社会の中で異常な性癖を抱えたキチガイらしく生きるという事を素直に受け入れることにした。

 

取引先でよく揶揄してくる人も、徐々にもう「そういうもんだ」と思ってくれるようになってきたと思う。しょっちゅう酒を飲みに行ったりするようになった。両親もそれ以降「またコスプレか」などと冗談交じりに会話できるようになってきている。まぁ、過程はともかくありがたいものだ。

 

今回のおさみる氏の記事を読んで、こういう葛藤はきっとネットやSNSがインフラ化しつつある社会の中で、非常に表出しづらいけれども切実な問題として各所において抱えている人がいることであろうと感じた。リアルにおいてネット人格を弄ることはマナー違反と言いたくなる気持ちも十分に分かるし、むしろおさみる氏ほどのリスクを僕は取っていないから、そこまでの事を言えるのかもわからない。

 

ただ、自分のこうしたある種開き直りともとれるような心境への過程というのも、こんな記事がなければ振り返ることもなかったように思える。気持ち悪い存在という自分をいかに受け入れ、そして周囲にも受け入れさせ、隠すことなく生きていくのか。難しいことではあるし、正直悩みは絶えない気がする。でも逃げたくはないなと思う。人によっては当然「確実に話すら通じない」という人間もいるけれども、信頼できる人に対しては出来るだけ取り繕ったリアル人格以外も伝えられればと思っている。だって、オタクは辞められないし、特殊性癖持ちも多分死ぬまで治りはしない。これから何十年と生きづらい人生を選ぶなら、より快適に自分そのものを社会に迎合させたいと思うのが自然だろう。

 

方法として、間違っている気はしないでもないが、同人誌を作ったり、下ネタでバカ言ったりするのもその一種なのかもしれない。ネットと現実。もうその間も限りなく薄くなっている中で、今の自分の在り方を改めて考えさせられた土曜の夜でした。