わがはじ!

めんどいオタクのブログ。

根暗オタクがランニングをした方がいい3つの理由

いよいよ世間はGW。日々様々なイベントが開催されており、オタクたちは一体いつからこんなにアウトドアになったのかと思うほど、各地へ活発に外出しているようで。その様子をぼんやりとSNSで眺めている。なんだこいつら楽しそう羨ましい。僕はといえば、日曜朝の定番プリキュア視聴を終え、その後なんとなく足の毛を剃った。スルスルする。えへへへ。そんな思いも込めて、連休らしく僕もアウトドア感溢れる記事を書いてみることにする。

 

 

 

唐突だが最近、やけに走っている。時間があればできるだけ走っている。とても健康的。日ごろは飲んだくれて、ツイッターやブログに妬みやひがみ文章を書き散らかすだけのクソ人間がどうしたのかと、自分でも思ったりする。いよいよ明るく楽しい健康ライフを志し始めたのだろうか。

 

まぁ、そんなはずもなく。ランニングを始めた最も大きな原因は、この4月にあった部署異動である。営業職から内勤に移り、まず運動というか外出する機会が減った。一日に歩く歩数も測ってはいないがおそらく激減しているはずである。うーん、ちょっと運動しないとな・・・そう思っていた矢先、更に追い打ちをかける情報が耳に入る。異動先の部署ではどうやら、若手社員が取引先主催のマラソン大会に強制参加とのこと。しかもハーフかと思ってたらどうやらフルマラソンらしい。おいおいマジか、殺す気かよ。2017年なんていう近未来的時代に、会社行事の強制フルマラソン?はっきり言ってやろう、バカじゃないのか。

 

内心の自由は保障されているわけで何を思ったところでクビにはなるまい。ただ、気づけば僕もすっかり会社の犬。「これは運動するチャンスだね☆」とウインクに舌ペロで即納得。前向きににランニングのトレーニングを始めたという次第である。NOと言えない日本代表強化合宿という感じ。ただ、そもそも走ること自体は嫌いではない。過去野球部の頃は投手だったので「全体の練習に出たくないから」という理由で、よく走り込みに出た事もある。誤解されないよう言っておくが、性根が真面目なのでサボってはいない。ちゃんと走っていた。ただ集団行動が苦手なだけなのだ。

 

そんなヤツがチームスポーツやっていたこと自体どうなのだろうと思うのだけど、それは置いておいて。今回、フルマラソンを走る事を考える上で、ちゃんとペースを測って走ってみようと思ったのだ。今の時代は非常に便利なもんでiPhoneでググれば、それ専用のランニング指示アプリなんてものもあるではないか。走ったコースと距離を自動で読み取り、1km毎にタイムをアナウンスしてくれる。すげえ。課金アプリではあるものの、ジムに入会したと思えば安い安い。そんなこんなで、ようやく15kmをゆっくりと走れるくらいまでになってきたというわけである。

 

走るというのは気持ちがよいものである。健康にも良いというのはそりゃあそうなのだけど、それ以上にメンヘラ気質あふれる小生には、肉体的健康以外にもランニングを継続した方がいい理由が見えてきたので、簡単にまとめてみたい。

 

①とことん独りになれる

しょっぱなからブレることなき根暗発想。そう、団体練習をサボるため走っていたように、ランニングにいそしんでいる間は誰とも関わり合いを持たなくていいのだ。昨今スマホのおかげで何をする時も外部情報が入ってくる。冒頭でも僻んだが、特に休日「〇〇さんが~に遊びに行っている」「~さんが△△さんと一緒にランチいってる」知るかこの野郎。こちとら、休日に一緒に遊びに行く友達もいねえんだよクソがみたいな内省は、僕だけじゃなく多くのネット根暗民が抱いている鬱憤だと思う。そういうことにする。

 

やはり、そんなSNS全盛の時代とあっても、さすがに走っている間はiPhoneを見る環境にない。てか通知が来てもどうでもよい。誰かとの関係に心を摩耗させることもなく、ただ独り自分を追い込むことに集中できる。単純ではあるのだけど、この時勢において完全な独り環境を得ることって思った以上に難しい。お風呂に入っていても、トイレに行っていても、食事中でも。思い返すとスマホを持っているのではないだろうか。中毒という老害先輩からの指摘も、あながち間違いではない。ある程度の時間「走るから」という理由ですべての通信や情報をシャットダウン出来るこの時間の作り方は、やはり自分のメンタル維持にも非常に有用であると感じる。

 

②自分の身の程を知る大切さを知る

自分の分際をわきまえるということは大切だと、走っていると切に感じる。ついつい「あのレイヤーさんとは云々」とか「あの作品クソ云々」とか、自分の身分すら忘れて思いあがりやすいオタクにとって非常に重要な点だ。これは今回ランニングアプリを導入し、1kmあたりのペースがわかるようになって感じた事である。これまではランニングに出かけても「今日は快調だな」と思う日と「全然走れないな・・・」と思う日が点在していた。距離を長く走れないときには「体調が悪いのだろうか」などと理由を考えていた時点で思い上がりだった。自分の走るべきペースを知ってから、そういう日は単にオーバーペースなだけだと知った。

 

現在1キロを6分〜6分半で肺に負担をかけることなく走る事を意識している。都度アナウンスを聞きながらペースを維持していると、自分の限界のスピードを把握できる。車を運転している人なら分かるだろうが、周りに障害物のないストレートな道ほどついついアクセルを踏み込んでしまう。気づけばかなりのスピードが出ているということもあるだろうが、ランニングもこれと同様、ペースが速まるのである。気づけばオーバーぺースに陥り、結局総距離を維持できなくなってくる。

 

これは何をするにも重要な事で、例えば文章を書くにしても。テンションが上がって「よっしゃ書くぞ!」と思った翌日には「まったく自分には才能がないかも」とふさぎ込むクソメンタルを保有している身としては、どうやったらこのモチベーションを維持するのかを悩んだりする。それに対して、ランニングでペース維持の重要性を学ぶと「自分に出来ることをまずやろう」という形で余計なことを考えずにまずは自分の分際に適合した事をやろうと思えてくる。何はともあれ、今の自分が出来る事をする。その姿勢を改めて考えさせられるのである。

 

③持続することの大切さを知る

長い距離を走るには、淡々とペースを維持することが重要だと知った。あとは、その自分のペースをどれだけの時間、持続できるかである。例えば、あまりに時代の流れが速く「次の流行に乗らないと!」とか焦っているオタクは、まず自分の愛好する作品に愛を注ぎ続ける事を知れという話かもしれない。いや、そうじゃないかもしれない。

 

先に書いた通り、自分に出来るペースで走ると意外と走り切れる。昨日も久々15kmほどを走った。筋肉疲労はあれど、思った以上に心肺機能にも負担は少なく1時間半強のタイム。こんなものだろうとは思ったのだけど、終盤「体力以前にこのランニングを延々2時間、ましてやフルマラソンなら4時間とか維持し続けるだけの精神力って凄いな・・・」と思えてきた。僕はどちらかといえば気が短いほうである。最近ようやく映画館で映画を見るようになったが、それまでは「2時間同じところにいるのが苦痛」という理由で見に行かなかった程である。

 

そんな人間が2時間も同じランニングを続けていると「果たしてこの行為に意味はあるのか」とか「ランニングしている僕の身体はいったいどこから来てどこに行くのか」とか無駄な哲学的思惟に邪魔をされ、心が萎えてくるのである。そうした外野からの阻害に負けることなく、自分の目的意識を持続達成させるという事が求められる。「~を成し遂げたい」という意思は結構脆いもんで、そうした自己内内省からくる妨害にすぐにやられる。ワナビー乙なオタクなら理解できるところだろう。そこの意思の強さを鍛える為にも、やはりランニングという選択肢は悪くない。

 

 

 

ということで以上、ランニングをしている最中に思った自己肯定をそのまま文章にしてみたという感じである。どうせ、自分でこんなこと書いていてもいつか気持ちが折れるだろうから、その時に読み返そうと思う。とかく。休みだというのに3000字以上もうだうだ自分の事柄について語っている時点で根暗を抜け出せていないのがにじみ出ているのだけど、そもそも根暗は治らない。イベント参加のオタクたちに妬みの目を向けるため、またツイッター散策に戻ろうと思う。