わがはじ!

めんどいオタクのブログ。

あなたが10秒黙れば世界はだいぶマシになる

今日はできるだけ短めに。ふと最近思っているネットでの発言だったり、そういうことについて愚痴まじりに。

 

ネット上において、多少なりともSNSを活用する人なら理解できるかと思うが、自分の発言を読む人に対して、その短い内容から「本意」や「文脈」を伝えるというのは案外骨が折れる仕事である。ある事象を皮肉っぽくいってみたところで、その真意が伝わるのは恐らく読む人の6~7割がいいところ。その発言が広範囲に広まってしまったのならば、残りの3割ほどの方々から非常に面倒なコメントを招く結果となる。

 

自分の発言の真意は、その批判してきている人と同じこと言ってるはずなのに、なんか、めっちゃ怒られてる。え、これどう弁解すればいいの。しかも、すげー権幕。話聞いてくれなさそう。なんていうか、文章の内容とか以前に、もうマウント取ることしか考えてないよね、この人。みたいな。そんな人災は各所で頻発している。彼らを心の中で「マウント族」と個人的に呼んでいるのだけど、とかく議論に勝ちたい人って古くはBBSや2ちゃんの頃からネットには跋扈していた。しかし、SNSがこれまでにないほど拡充した昨今では、その「マウント族」の数は圧倒的に飛躍し「炎上」という手法を持って、厄介な勢力となり始めている。彼らはどのように発生し、そしてどう対処したらいいのだろうか。

 

・便所スマホ文化

少し話題がそれるが、先日NHKのニュースでO-157が流行しているという話題に触れていた。暑い日が続くし、手洗いを励行するなどして食中毒には注意せねばならない。そこで思わぬ落とし穴があるとのこと。それはトイレでスマホを弄る行為だというのだ。要は、事をなしている間にスマホを触る。その後、手をしっかり洗っても、トイレ内でスマホを触ったことによって雑菌がスマホに残っているという。

 

なるほど。確かに言われてみれば。いや、その前に便所でスマホを触るのってやっぱしそんなにスタンダードな行為だったんだなと気づかされる。確かに小生も仕事が嫌になると会社のトイレにこもってスマホを弄る。エロ記事を読みそうになり、ちょっと頭の中で天使と悪魔が葛藤する。でも、みんなきっとそうなんだな・・・とか思うとこの国やっぱし病んでる気がしてくる。

 

そんなことはどうでもよくて、詰まるところスマホで文章を読む、SNSの発言を見るというのはそのくらいの時間内で行われる行為だということだ。トイレで用を為している間、待ち合わせの時間、電車のちょっとした移動、時々によるだろうが長くて5分、短くて1分くらいがスマホの文章と向かいあう時間だということだ。

 

そうなると、文章から得られる情報は嫌でも断片的になる。ニュース全体の意味合いから単語のみをピックアップし、そこから大まかな意訳を得たりする。それはそれで人間の素晴らしい特技なんだけど、大抵そういうことをすると情報を見誤る。お前ら、マスコミに対して「全文でなしに、一部を抜粋して意味合いを変えているじゃねえか、何が報〇ステーションだ!!偏向ステーションじゃねえか」と憤っているあれを、自ら遂行しているのだ。なんつーか、人間だもの。みたいな事案なのだけど、自分を棚に上げすぎだし、ブーメランが側頭部刺さって、血まみれですけどみたいな人って往々にしてツイッターで見かけたりする。

 

先日の真木よう子氏のCF事案の時も、なぜあそこまでの炎上事案につながったのかという話題が盛り上がった。その中でも、特にコミケという特異な文化や、それを支えてきたオタクの自意識、その点を見過ごした真木よう子企画サイドの失点など、懇切丁寧に解説してくれていた記事があった。「これは熱があるな・・・」と感心して読み進めていたところ、ラストのコメント欄に愕然とした。「長すぎる」「三行でまとめてほしい」「読む気が失せる」

 

こいつら、もう誰が悪いかとか、馬鹿だとか。一瞬でそういうのが欲しいだけなんだなと感じた。自分でも叩ける材料が欲しいだけ。わずか30秒足らずで得た情報で、マウントがとりたい。強気になりたい。そういう状況が昨今のネットのヤバさだと痛感する。

 

・とりあえずお前ら10秒黙ってろ

そこで提案したい。とりあえず「10秒黙れルール」。とかく何か記事を読む、画像を見る。そうした時に自分の感情をそのまま文章にたたきつけるのでなしに、10秒黙るのだ。例えばネトウヨの煽り記事があったとする。中国人や韓国人をあからさまにdisる記事を見た。なるほど、チュンチョンクソじゃねえかと2秒で食いつかない。ソースはどこ。いつの発言。この人の普段の発言の傾向はどういうったものか。もう何年も前から言われてるネットにおけるリテラシーの基本のきである。

 

ただ、ソースをわざわざ探すというのも骨が折れる。だからこそ、10秒黙れ。なのだ。心をいったんフラットに持っていく。なんか煽情的な情報に対して「そうだ!!おかしいじゃねえか!!」と即沸騰しない。拡散もしない。まずこの発言をしている人の本意を伺う。少しだけ我慢をする。僕のこの発言でさえじっくりと吟味をする。その上でなら「クソじゃねえか」と思ってくれて何も問題ない。

 

大抵、本ブログでコメントをくれる人の中でも、やけに叩いてくる人って、ほぼ最後まで読んでない。触れてくる論旨が「起承」で終わってる。もうー、頑張ってそこから転んで、結論だすのに。確かに「前半で読み手をつかめ!」みたいなわかりやすいブロガー講座的発想もわかるけど、グーグルアドセンスに、申請後2分で「不適格」とか言われたブログがそんなこと今更気にしていないのだ。

 

ちょっと話は飛躍するが。先日、雨の中川の側溝に落ちた犬を助ける動画がツイッターでめっちゃ拡散されていた。明らかにマイルドなヤンキーぽい人のアカウントで各所から絶賛の嵐だった。いやぁ、確かに動画を見たけど感動のシーン。コメントも「こんな日本人が増えてほしい」「最近の若者を見直した」ただ、ちょっと待てよと。なんでそもそもカメラ回ってるんだ。めっちゃフォロワー増えてるけど、そこんとこどうなんだ。てかお前ら『こち亀』の「ヤンキーが更生したら手のひら返す世の中おかしいだろ!」って画像大好きなのに、いざ実例見たら賞賛なのかよ。

 

いや、そんなこと疑うとかお前性格絶対歪んでるだろっていう指摘は甘んじて受ける。だけど、ネットはそれほどに善意と承認と下心と悪意やらが交じり合った世界だっていうこと。それは確かだと思っている。誰が何を狙って、何を本意に発言してるか。その判別はとても難しいのだ。

 

・「マウント族」はどこから来て、どこへ行くのか

最後に。何かにつけて攻撃的な事を言ってくるマウント族。自分の琴線に触れるいろんな単語をサーチしては、とりあえず殴る。それをまた電車や町中、家で特段普通の人と同じように無表情で発言していることを想像すると、マジで怖かったりする。

 

そうした彼らの発言やフォロー数、フォロワー数を見ていると、ふと思うことがある。なんていうか、SNSを見る限り失うものがなさそうなのだ。先日ネット記事でも話題になった黒子のバスケ脅迫事件で逮捕された渡邊受刑者の「無敵の人」という言葉が過る。それは、定職もなく、恋人や家族とも疎遠。つまり、犯罪を犯したところで失うものがない。そうした何も社会的なダメージに繋がらない「無敵の人」と日本の社会は向き合わなければならない。というものだった。

 

「マウント族」と彼は、たぶん地続きな気がして仕方がない。本来、名前や素性を出しての誰かへの攻撃はある種のリスクを伴う。当然違う意見の人との関係はこじれる。友人に違う意見の人がいるかもしれない。そういうバランスの中、自制をしながら人は生きていく。しかしながら、ネット弁慶というか、匿名でFF数が少なかったり、もう主義主張が偏りまくりの人しか見てない、ただひたすら文句やヘイトを垂れ流しているアカウントがあったりする。それらは、もうアカウントという隠れ蓑を使って、リスクもなく捨て身の攻撃をするだけの存在である。昨今話題の凍結マンもその一種だろう。

 

こうしたとことん攻撃したい人というのは、一種の病を抱えているように見える。嫉妬や怨嫉、社会全般への不満。SNS自体が自分のうっ憤をまき散らすだけの道具なのだ。それだからこそ、それについつい乗っかってしまう人はちょっと落ち着いてほしい。一旦、そうしたヘイトやアジテーションを見た際に自分のスタンスを見直す。その発言だけでなく、アカウントを覗いてみる。拡散や安易にコメントするのは楽だけれども。ちょっと10秒黙る。そんなことを気にすれば色んな事が多少は変わるんじゃないかなと。

 

インスタントに情報を得て、インスタントに発言する。マスゴミとメディアを批判するあなたのリテラシーはそれでいいの?とついつい思ったりする機会があったので適当まき散らしました。結局、長めになってしまった。涼しいので風邪には気を付けたい。