わがはじ!

めんどいオタクのブログ。

「アキバ」という街を読み解くために

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3/24をもって営業を終了するかんだ食堂。この日も休日の昼から長蛇の列が見られた。

東京・秋葉原「かんだ食堂」が3月24日をもって閉店 約60年の歴史に幕 / 昼時の行列は別れを惜しむ人たち!? | ロケットニュース24

 

3月くらいになると、毎年のことだがそろそろ重い腰を上げなければならない。何のことかと言えば、夏コミに向けた同人誌作成の話である。周囲に「もう3月か・・・夏コミの気配がする」などと漏らせば「それ精神疾患なのでは」なんて言葉も頂戴するのだけど。

 

日々の酒代にも事欠く貧しい同人趣味者にとって、早期入稿は絶対必然タスクであり、8月のコミケから逆算すれば7月半ばには全てのファイルを作り終えてなければらない。そうすると企画はある程度3月には仕上がってないと何も出来ないまま、五月病を迎えてしまう。

 

今回はそんな次回夏コミの同人誌のネタについて、自分にプレッシャーをかける意味でも文章を書きだすことにする。「いや、そんなまだ出来上がってもない企画の話書いて大丈夫?」「落としたらマジで笑えないよねwww」とセルフ脳内会議でも揶揄の嵐だ。昔は、ブログで「同人誌企画案」なんていう記事を書いては一人盛り上がっていたものの、ネットが拡充しきった昨今、種々リスクを考えるとやめたほうが賢明なのは確かである。

 

ただ、今回の企画のきっかけになった事を、高まった気持ちも含めて残しておきたい。

 

・今なお残る過去の「街」の姿

タイトルを見れば一見してわかる通り、次回は秋葉原という街について一冊取り組む予定だ。元来僕自身も幼少から通い続けたホームタウンであり、過去より電子パーツ、レコード、PC、アニメ・・・様々なジャンルに渡る「オタク」たちにとっての「聖地」として知られる。

 

またあまり歓迎すべき事ではないが、道端で客を引くメイドさんという光景も気づけば10年以上続くものとなってしまった通り、先のオタク文化も相まって、他の土地とは異なった独自進化を遂げた街でもある。立地も上野・丸の内と並び東東京の交通の要所であり、海外の観光客も過去から後を絶たない。

 

個人的に昔からの思い入れもあり、秋葉原を特集する同人誌は前々より作ってみたかった。現にメインではないものの秋葉原にフォーカスをした企画も行ったこともある。ただ、いかんせん今更こんな場末な同人誌が直球王道な「秋葉原」特集をしたところでその意義はないと感じていた。ていうか秋葉原を題材にした素晴らしい同人誌は既にあるし、商業誌でも特集されつくしている。

 

それでも。ちょっと僕自身も参戦してみたくなったのだ。

 

その明確なきっかけは今年の年始初頭のこと。冬コミも終わって仕事始め。仕事に対するやる気なんて更々なく「あー正月早く来ないかなぁ」と関係先へのあいさつ廻り中も時空が歪み切った妄想で頭がいっぱい。そんな最中、神田周辺から秋葉原を歩いていて目に入ったのが、日本農業新聞社の社屋だ。秋葉原駅からは歩いて10分くらいだろうか。ヨドバシカメラの前の通りを上野方面に北上。蔵前橋通りにぶつかる30m手前、右手にある。ちょっとレトロな茶色の建物が印象的だ。

 

前々から仕事の都合で日本農業新聞を購読していたので、秋葉原の近くに社屋があることも知っていた。眠い頭でぼんやりと「そういやなんで、日本農業新聞ってこんな辺鄙な場所にあるんだ」と考えたとき。ほこりを被っていた知識がふとそこで蘇った。あぁ、そうだった。ここには神田青果市場があったんだ。と。

 

何か大きな意味のある場所の周囲には、その場所と関係のある会社や商店、建物が出来る。そしてスッポリと、その中心にあった「何か」が抜け落ちると、その周囲の二次的に作られたスポットの方が案外残ったりする。安易な例で恐縮だが、江戸城の防衛の要である堀がそのまま皇居の景観として残されているのも、その一つだといえるだろう。

 

そして秋葉原にも「重要な遺物」としてかつて青果市場が存在した。そしてその周囲にはやはり日本農業新聞をはじめ、市場と関連のある場所がいくつか残っている。例えば日本農業新聞の社屋から中央通り方面に少し歩き、右手の路地。そこには老舗のフルーツパーラー「フルーフ・デゥ・セゾン」が存在する。1994年の開店から25年弱。いまだに新鮮な果物のパフェを食べられる名店だ。神田青果市場の存在を知らなければ、ここに店が存在する理由も、イマイチ分かりかねるという立地だろう。

フルーフ・デゥ・セゾン(公式)

 

また「ポンジュース」で知られる㈱えひめ飲料の東京営業事務所もその近くに存在する。実際よく見なければ気づかないが、会社の自動販売機をたまに覗けば見慣れない柑橘系ジュースに出会うことが出来る。更に、4丁目から2丁目、神田明神下までちょっと足を伸ばせば、明神下すぐに本社を構える老舗フルーツショップ「サン・フルーツ」も見つけられる。ここも市場と時代を共にした会社の一つと言えるだろう。

太陽のアトリエ サン・フルーツ

 

・人と歴史と言葉から「アキバ」を見直す

 このように流行の変遷が激しいアキバという街の中においても、いまだ尚昭和期に「東洋一」と謳われたほどの規模であった神田青果市場の名残を見つけることが出来る。冒頭の写真、間もなくの閉店を控える「かんだ食堂」もやはり田代通りを挟んで青果市場の目の前だったことから、昭和中期から市場関係者の空腹を満たした事も容易に想像がつく。

 

また、今回企画を立ち上げる際にこの青果市場に執着してしまった理由が他にも存在する。今回、企画のため秋葉原、つまり外神田出身の人に声をかける中で貴重な資料をお貸しして頂いた。『うめの香』という一冊の卒業アルバムである。平成5年、統合によってその名前がなくなった芳林幼稚園最後の卒業アルバムだ。(場所は現昌平小学校)

 

写真掲載など詳しくは実際の同人誌発刊時に記載するが、興味深い点として、昭和6年から園児数の推移がグラフ表記されているのだ。象徴的なのは昭和と平成を境、一気に園児数が減っていく箇所である。秋葉原という街自体が居住エリアから商業エリアに変化していった時代推移も当然その要因ながら、やはり神田青果市場が現在の大田市場に移っていく時期ともマッチする。

 

人口の推移、街の景観、そして都市としての意味合い。先にも書いた通り、秋葉原は時代の激しい変遷を内包しつつ、常に激流の残り香をその傍らに少しずつ残しながら歩んできた街である。そもそも、東京という場所自体、江戸時代から大火や地震、そして空襲と長い歴史はあれども激しい変遷を経てきている。そして秋葉原もとい神田はその「変化」の震源地に常に近かった場所と言えるだろう。アキバが他とはちょっと違った「文化流行の先端地」と認識されているのは、そうした東京が味わった激しい変化そのものによるものが大きいと感じる。

 

昭和という時代から更に平成すら終わりを迎えようとしている昨今。そんな折だからこそ、その街の歴史を、そしてその歴史を見る為の「言葉」にフォーカスした同人誌を作ってみたい。日々の生活の中で、この街を歩きながらそんなことを思ってしまったのである。

 

もちろん、既に秋葉原を扱う同人誌は多く存在する。特に『秋葉に住む』http://sotokanda.org/ 『アキバ暮らしを楽しむ』http://office-k2.sakura.ne.jp/akiba/ という老舗サークルさんが既に存在しており、双方ともに「暮らし」という立ち位置に立ちながら秋葉原をフォーカスするという良シリーズだ。僕自身も先達に倣いつつ、この街に残るちょっとしたシンボルや、そこで過ごしてきた方々の言葉から、更に一歩踏み込んだ一冊にできればと思っている。

 

宣伝にしてはあまりにも早すぎ、そして何より結局自分の首を絞めているだけな気もする。まあともあれ、恐らく夏に近づく中でまた様々な方のご協力を頂きつつ、一冊と格闘することになるかと思いますので、関係各所に至っては何卒よろしくお願いします。また、今回は少し歴史だとか自分自身でも学習し、記述する内容も多くなると思うので、大学時代なんかを思い出しつつ、参考文献片手に少しずつ手を付けていきたい所存である。