わがはじ!

めんどいオタクのブログ。

あの日、教室の隅で読んでたサブカル雑誌の面白さを

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ゴールデンウィークもすっかり終わりを迎え。毎年毎回の事だが連休の終わりというのは独特の虚脱感に包まれる。仕事が嫌と言ってみたところで、そもそもその仕事が目の前に控えている現実味すらない。毎度「とりあえず明日起きてから考えるか」というのが最適解で、案外寝てしまえば人間どうとでもなるものである。

 

愚痴で始まるのが弊ブログの平常運行なのでもう気にも留めないが、今日GWの最終日、東京流通センターで開催された「文学フリマ東京」に足を運んできた。そこで買った一冊の本の話から、出版に関するところまで考えを広げてみたい。

 

・「架空映画批評」というちょっとしたアイデア

文学フリマ」は名の通り文学・批評がメインの同人イベントであり、そこでしか買えない通な作品も多い。特に今年は他のイベントにも行けず、同人イベント自体、昨年末のコミケ以来とあって否応なしに気分は高まる。目の前に広がる規則的に並べられた机、そこに佇むどこか暗さがある参加者の面々、そして企画や内容も想像がつかない有象無象の同人誌たち。その光景だけでゾクゾクする。もうフェティシズムの一種なんだろうと思う。救えない中毒患者である。

 

お世話になっているサークルさんに挨拶を終え、懐具合の寒々しさもあり早々に退散するつもりだった。まぁ、そうは言っても好みのジャンルが並ぶ同人イベントである。そんな事は不可能で。毎度の通り、気づけば腕に収まる紙の束は増えること増えること。スペースを舐めるように見まわしながら、気になる文言があれば手を伸ばしてしまう。

 

その中でも、今回最も引っ掛かりを覚えた文言が「架空映画批評」という6文字だった。見た瞬間に「やられた」と思った。「批評」なのに対象が「架空」。思わず二度見、『ビク』と銘打たれた簡素なコピー本ではあったものの、気になったので買ってしまった。100円だったし。

 

「批評」というモノ自体、何か対象を論じる事である。なのでその対象に興味があれば気になるし、あるいは批評している人自体が論客として知られていればその一家言に注目がいく。むしろ正直な話、それが「批評」をやって本が売れるストロングポイントでもある。人気作を論じればそれだけ注目は上がるわけだ。ただ、今回手にした『ビク』の清々しいところは、それを逆手にとって一次創作活動している、ということだ。

 

一次創作をしてから、批評する。なんだ二度手間のように思われるかもしれない。ただ、面白いのは「批評」という文体は前提として「実際に存在する事象を対象にする」ので、そのフォーマットを使うと急にリアリティが増す。ニュース番組のテロップ風に嘘画像を作ると説得力が増すようなイメージである。ただ、よくよく考えれば映画の場合「レビューを見てから見る映画を決める」という人にとって「自分が知らない映画」の話題を読んでいるのだから、そこで起きている現象は「架空映画批評」と同様なのだ。

 

実際に中身を読んでみたが、その映画が本当に架空なのかちょっと疑いだしてタイトルをググってしまった。読者として完全に負けている。多分、書いている本人の現実を少し混ぜながら、架空映画の批評を展開するのでやけにリアリティが生まれている。そして、きっちりと映画批評になっており、読者はそのシーンすら想像出来る。あっさりとしたボリュームながら、整った文体ですっきり読めた。「架空映画」を批評するという逆手なアプローチに驚きを覚えてしまった。

 

・同人誌の価値が際立つ今

今回紹介した本以外にも、先日ブログにも上げた「金腐川宴游会」さんの新刊『二級河川19』も密度たっぷりで「ファミコンソフトのカセット形状比べ」特集とか本気で感動したし、それぞれ着眼点という意味で非常に尖っている。特に前者『ビク』はコピ本でもあり、編集後記を読めば日ごろのアイデアを取り急ぎ本にしてみたという一冊だ。それでもその「アイデア」レベルの本が驚きを与えないと言い切れない。

 

そして、話は多少飛ぶが商業出版が苦境に立たされている昨今において、同人誌という媒体の価値は増しているように思えてしまう。

 

当然ながら今なお、全国流通を前提とした大量生産およびプロモーションで売れる作品も確かにある。需要喚起のための文学賞など有効な手立ても多い。むしろ、そうした仕組み作りが出版社の役割である。しかし、Amazonの台頭などから出版社の力も相対的に下がり、そして全国的に流通させるメディアとして紙媒体を選択するメリットも目減りしている中で。より効率的なコンテンツ消費方法を模索・提案しなければならなくなっているのが出版社の現状だろう。

 

そうした状況下において。同人誌はやはり「面白い」のだ。上記の通り、出版社が生き残りをかけて効率的になればなるほど、相対的に同人誌は面白くなる。

 

宝島にしても、徳間にしても、三才にしても。かつて、そうした規模の出版社が請け負っていた、ニッチな雑誌による情報提示は少しずつ同人誌の土壌となっているように思える。昨今のグルメ系同人誌ブームやダムや団地、廃墟といった建築物写真集、また特殊な企画の評論同人にフォーカスが当たっているのは、まさにその流れの一端ではないだろうか。そして、上記のような「ちょっとしたアイデアが光る」という小回りの効く作品がきっちりと評価を受けるのも同人というサイズ感ならではと思う。(当然マネタライズの問題はあるが、今出版社がそのサイズ感のマネタライズを請け負えるとは思えない)

 

そして、もはや全国流通というシステム自体が厳しい現実を突きつけられている。電子書籍なんて言ってる場合でなく、各種映像配信やVtuberといった新たな対戦相手も数多くいる。娯楽や教養が地域や年齢、性別にかかわらず個別化し、そこに大量生産を前提とした現物流通という形でコミットすること自体がナンセンスに近い状況に陥っている。むしろ先の小規模に同人誌を作る形以上にマネタライズに難が生じる事も考えられる。(印刷会社の受注額、作者の印税収入、広告費etc)

 

何か発信したいと思った際、当然同人誌じゃなくてもブログでもオウンドメディアでもなんでもいいのだけど。ただ、案外バズることを前提にすると、ネットメディアは詰まらなくなるし、炎上やら怨嗟やら無駄なリスクがある。「儲かりたい」ってストレートに言われたら勧めはしないが「面白いことをやりたい」という意味では、クローズドでありながら自分の意思を表出出来る、そして小さいながらも確かなコミュニティを形成出来るという意味で、同人誌という古臭いメディアは無駄に底堅いんじゃないかと改めて感じ始めている。

 

・「独りよがりの面白さ」の破壊力

先にも言ったが、同人なんて所詮は趣味である。同人誌という媒体をいわゆる「メディア論」に組み込むと、ビジネスやらマネタライズが前提となったりして。そこと同列に見てしまうと「いや、同人を同列に語るのはおかしいでしょ」というツッコミが入り、その指摘はそれ以上ないほど正しい。稼ぎたい人がやるもんではないと思う。そもそも前提が違うし。

 

ただ、逆に。「面白いことやりたい」って人はあえて同人から何かを起こすのは今アリだと思う。「遅いメディア」なんて言葉もどこかで聞いた気がするけれど、そういう意味で同人誌はめちゃくちゃ遅い。自分の意思で「面白い」と思ったものを紙やらメディアにして、せっせせっせと自分で売るのだ。地道な作業だしリアクションも遅い。自分でも「何してんだろう」って思うのも日常茶飯事である。

 

ただ、スティーブジョブスの有名な言葉として「消費者は何が欲しいのか、見せられるまで分からない」というモノがあった気がするけれど、まさに需要を見て作られたものよか「これ面白いだろう」と、全力で殴られたモノが好みにハマったとき、恐ろしい程の訴求力を持ったりする。そして、僕個人としてはついついそうした「独りよがりの破壊力」にどうしても期待してしまう。現にこれまで10年以上同人誌という媒体にハマってきた淵源はそれである。

 

本という媒体はこれまで、全国流通でも非常にニッチなジャンルの本を扱ってくれた。それが出来ていたのも、一人ひとりの編集者の熱や、作者、営業の思いが比較的小さな規模で回っていたりして、それを伝達する方法も印刷して製本して全国流通させることが、ネットワークの全てだったからだ。

 

それが今、崩れようとしている。僕らが教室の隅で読み漁っていたしょうもないサブカル本やファミコン雑誌、ホビーカルチャー雑誌、マイナーな漫画雑誌・・・皆にはイマイチ伝わらなかったけど、どれもやはり面白かった。正直、メジャーな面白さではないのは認める。小さな物語に過ぎない。ただ、多分作っていた方は、それが「面白い」「熱い」と信じて全国流通させていたんだろうし、案の定それに震え、共感した人間はいるのだ。

 

そうした、教室の隅で感じた、街の本屋の隅で感じた、独りよがりなあのワクワクを維持出来るのは今、同人誌しかないんじゃないかと遠大な独り言として文章にしてしまった次第である。

 

 

今日、「文学フリマ」に行き「あぁ、面白いな」と思える同人誌を買えた裏で、ツイッター上のタイムラインには漫画家さんが「印税の低さ」に嘆き、また電子書籍媒体の各社の足並みの揃わなさを糾弾する記事が流れ。なんていうか、ちょっとしたサブカル気質だったり視点の根暗さ、オタクの執念が生み出すような面白さをどう活かすべきか、考え出してしまい。

 

当然に同人誌から延長させて電子書籍化だったり、マネタライズを考える方法もあるとは思う。ただ、それ以前に「面白い」モノをという気概も一緒に論じられてもいいのかなと感じた。