わがはじ!

めんどいオタクのブログ。

絶望に対するプリキュアという処方

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いやぁ、めっちゃ良かった・・・

街並みもすっかり冬支度を始め、道行く人もつられるように徐々に装いを厚くするそんな晩秋。プリキュアシリーズ15周年記念の秋映画『HUGっと!プリキュアふたりはプリキュア オールスターメモリーズ』を見に行くことが出来た。

 

僕自身、一応ある程度の過去シリーズには目を通したプリキュアファンのつもりだ。だが所詮は女児向け映画。ストーリーはそこそこ、過去シリーズ勢に思い出補正でもかけながら楽しめればいいなと思っていた。そう、思っていた。

 

そして上映終わり、金曜夜の新宿バルト9から新宿の街へ出る。少し冷たい夜風のせいなのか、涙が止まらない。僕はずぶ濡れの眼鏡をはずし、ぼやけた視界で頭上にそびえる摩天楼を仰ぐ。虚空に向かい「プリキュア・・・やっぱ尊いやん・・・」とだけ呟き、無駄にファンシーなパンフレットを小脇に抱えながら、こんな文章を考えていた。

 

・75分に詰めこまれた15年

プリキュアの映画は年2回ある。秋口は現行放送中シリーズがメインに扱われ、そして改変期の春口は過去作からのプリキュアが一挙登場するようなオールスターモノが例年の流れだ。今年は15周年記念という事で、秋口映画にも関わらず、異例の初代と現行プリキュアのコラボ、そして更に先輩プリキュア達も物語に追加、という豪華な仕様となった。

 

ファンからは「現行作だけの映画も見たかった」という声も上がるなど、賛否あったのは確かだ。しかしながら、鑑賞した後だから言う。15周年、本気だわこれ。

 

早速、本筋のネタバレになってしまうが、今回のボス敵は宮野真守演じるフィルムカメラの霊「ミデン」だ。彼は、フィルムカメラとして生まれたものの、一度もフィルムを入れられる事もなく怨霊化した存在で、その自分の役割の空虚を埋めるためプリキュア達の記憶を奪おうとする。物語序盤、すでに初代とHUG勢以外のプリキュアは記憶を奪われている。

 

更に記憶を奪ったことで技も使えるというカービィ的設定のミデン。端的に言えば歴代プリキュア技を絶叫するマモに対し、為すすべなくピンチを迎える初代+HUG勢。そこまでも見所沢山なのだけど、やはり劇場版プリキュアと言えば「ミラクルライト応援」であろう。プリキュアが作中最大のピンチになると、大抵、妖精キャラが観客に呼びかけ、小さなお友達限定に配られるミラクルライトを振ってプリキュアを応援しよう!という演出だ。いわゆる一つの「がんばえ、ぷいきゅあー!」である。

 

往々にして過去、劇場でこのシーンを見ると「あぁ、おっさんですみません」「非ミラクルライト勢」「子供欲しい」とかなんとも痛々しい気持ちになっていた。今回も案の定ハリーが「みんな!プリキュアを応援してや!」と言う。はいはい、と思って聞いていたら、なんだか演出が違う。

 

「誰でもいい、自分が好きな、今までTVの前で応援していたプリキュアを思い出して、応援するんや!」と。そして、過去の15年に及ぶ放映映像のキャプチャーを使いながら流しだしたのだ。え、ちょっと待って。ごめん、あぁ、これ俺、完全に泣いてる。まさかのミラクルライト演出によって泣いた。しかも、本当にツラかった時期、キュアトゥインクルを本気で応援し、そして生きる希望を貰った事を思い出してしまった。

 

プリキュアと社会人生活

多少映画から離れる。僕がプリキュアシリーズをちゃんとマメに捕捉しだしたのは、社会人になった7年前である。はっきり言えば後発組だ。当時シリーズは『スイート』から『スマイル』への移行時期で、社会人になったことで、比較的生活習慣も定まり、日曜の朝も早い時間に目が覚めるようになった。すると、自然にプリキュアを欠かさず視聴するルーチンが出来上がったという具合である。

 

最初は「プリキュアなんて見てる俺どうなの」と思っているうちに『スマイル』で不意を突かれ『ドキプリ』にドキドキし『ハピチャ』で神に憤り・・・そうこうしていたら、TSUTAYAで過去作も捕捉。伝説の無印8話から、絶望ドリームや、せつなやいつきに恋しかけたり、ラバースーツ小学生に興奮したりと。まぁ、4字で言えば「ハマった」のである。

 

そんな中でも、どうしても忘れられない作品が『GO!プリンセスプリキュア』である。『マリみて』的雰囲気を讃えていた本作は、女性として凛として生きる事を軸にしながら、他作以上に自分の夢との対峙に重点を置いていた印象が強い。

 

先に挙げたキュアトゥインクルこと天ノ川きららは中学生ながらモデルの仕事もこなす「兼業プリキュア」の一人で、天真爛漫な彼女はすでにその地位を確立していた。しかしながら、仕事とプリキュアを並行して行う中で折り合いがつかなくなり、徐々に双方が中途半端になっている自分の気持ちに気づく。終盤には2話をかけ、プリキュアとして周囲を救うことと、自分の夢である仕事を天秤にかけ葛藤をする。

 

そんなストーリーを追いかけつつ。僕自身、当時営業職として嫌々ながらも関東を駆けずり回り、残業代のなさに嫌気が差し仕事の合間に転職活動を始めるもうまくいかず。更にはその影響からまた自分本来のやりたいはずの同人活動も思うようにならない。完全に空回り、疲弊しきっていた時期だった。寝ても疲れが取れない日曜朝。何も選び取りたくなくなっていた僕は多分、すがる先が欲しかっただけかもしれない。天ノ川きららはどうするのだろう。心の中でぼんやりと応援しながら、彼女の選択を眺めていた。

 

そして、忘れもしない43話。一度、夢を諦めプリキュアに専念した彼女を、はるかたちがファッションショーを企画、仲間たちの助けもあり、再度夢を持つことを決意。そしていよいよ強大化してきた敵を目の前に彼女が放った一言「なんでもいいよ。絶対負けないから」僕は、その彼女の圧倒的な信念の強さに、自分の弱さを見透かされたようでボロボロ泣いた。

 

このセリフは未だに僕を支えている。簡素な一言だけれども、一分の隙もない覚悟がそこにはあった。なんでもいいのだ。負けなければ。確かに、具体的な指南ではない。ただ、それだけあれば十分戦える言葉だと思う。夢とか、将来に対するニヒリズムを抱えながら。最後は負けなければいい。その教訓を女児アニメから得て、そして今回映画で思い出してしまった。

 

・「無敵の人」さえ救おうとするプリキュアという「記憶」

 冒頭でも書いたが、この劇場版の敵、ミデンは「何も記録されることのなかったカメラ」といういわゆる「虚無が意思を持って暴走した」という設定だ。これは昨今話題の「無敵の人」を想起させる。家族や友人、仕事など社会的に守るものもがなければ、犯罪すら容易に犯せてしまう。そうした「記憶のないカメラ」という無価値的なモチーフを使い、現代社会におけるひとつの「絶望」として、ミデンを描いているように思えた。

 

ではその「絶望」に対する処方箋はいかなるものか。本作のラストではミデンを倒すのではなく、キュアエールが最後にミデンと邂逅し、その虚無から生じる苦痛を取り除く描写がある。誰かから奪った記憶でなく、自分自身が作っていく記憶によって幸せを掴んでいこうと説得。一緒にプリキュアたちと思い出を新たに作っていく。そんな提示がなされている。

 

しかし、大きな目線に立てば、本作、いやプリキュアシリーズはこれまでに溜まった15年という「記憶」を使って、この「絶望」への処方箋としているように思えた。僕自身が上記の通り『Go!プリ』に救われたように。この累積したプリキュアのシリーズは、既に「虚無」に対抗できるだけの「記憶」を、「思い出」を、そして「希望」を紡いでいる。

 

物語が世の中に対して希望を提示し続けるには、累積したものをキッチリと歴史にする他ない。今回のようにある種記念作品ということでオールスター扱いにし、15周年にわたる歴史をアーカイブとして示すことは、一面的に見れば単なる古参ファンへのサービスとも捉えられるだろう。

 

ただ、現行シリーズの『HUGっと!プリキュア』を見ていればわかる通り、ジェンダー論に始まり、育児疲れ、労働問題など、かなり社会派ともいえるテーマ性に踏み込んでいるのは確かだ。今回の敵をミデンに設定したことは「無敵の人」に対して、このプリキュアという世界観が答えを出そうとしている、いわば使命感のようなものを感じてしまった。そしてこれまで15年という期間にわたり、プリキュア達が乗り越えてきた葛藤は、誰かの虚無を打ち壊すだけの力がある。この映画そのものが、そんな宣言のようにも思えた。

 

 

 

ということで、いやぁ。こんだけ女児アニメ語ってますが、来週三十路なんですけどね。正直、過去作補正はあれど今年一番良かった映画にしてしまいそうで怖い。細かいセリフ使いでも全然涙腺に来ますので、ぜひ、プリキュアファンは見に行くべき映画だと思いました。いやほんと。見てよかった。